私本義経 鞍馬寺

再嫁とともに私と平の縁(えにし)は切れ、私は鞍馬寺に預けられた。
十一才。
年端もゆかぬからだと、母譲りの顔かたち。
先輩の僧たちは、争って稚児にと望んだが、段脆という古株が、

手出し無用

と言ってくれ、私はたれにも身を預けなくて済んだ。
だがそれは、孤独であることも意味した。
平のうちにいたときは、誰彼となく話してくれ、遊んでくれた。
ここにあるものは、ただ静寂と無視だけだ。
そういえば母が言っていた。
直兄が二人いて、片つながりの兄もいくたりか。
平のうちも子は多くいて、母の違う兄弟がさまざまにおって。
寂しいなんぞという感情は、とんと持ったことがなかった。
そうだ。
名も変えられたのだ。
私は遮那王(しゃなおう)と名付けられた。
意味は知らぬ。
聞くところによると大乗仏教における如来の一人、

毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)

からきているらしいが。
宇宙そのものを象徴する仏。 
その光は全界を照らし、自身から分身・化身たる化仏たちを生み出し遣わす…

今から思えば、そんなたいそうな名をもらってしまったこと自体、何かを勘違いさせるには十分だったのだ。
孤独と誇大な名前。
私は知らず知らず、今で言う、中二病の状態に突入していったのだった。


鞍馬寺近辺は、見上げると首が痛くなるほど高い、鬱蒼とした杉木立に囲まれている。
稚児も若僧も、社や建屋を一切外れまいとするほど闇が恐ろしい。
木立のまにまに異界がほのみえると噂されているせいでもあり、あやかしが住まうと言われているせいでもあり、天狗を見たと口々に、言の葉乗せる人々の多いためでもある。
十二になりたての秋の夜半、私は杉木立奥にある空丸(あきまる)という空疎に呼び出された。
倒木と伐採により畳二畳ほどの空き地があるきりの場所だが、これより上は迷うぞという指標にもなるため、我ら稚児には重宝な場所だ。
呼び出したのは段脆。
私は幼いなりに、段脆は男気のひとと思っていたので、多少怖くても支えてもらえようと思って出たのだが、その考えはめちゃめちゃ間違っていた。

おう。
きたかきたか。

年の頃なら十九か二十才。
ちょっと癖のある笑顔をする。
それだけの年なのにまだ小僧であることが、頼れる係累のないことを伺わせる。
殺されもせぬ代わり、上り詰める機会を与えられる価値もないのだと、私より一つ二つ年上の稚児が言っていたのを思い出す。
価値…

ここへ来い。

自分の膝の上を示す。
本人は倒れ苔むした老木に座しておる。
蟻も蜘蛛も来よう。
膝の上の方が汚れずにすみそうだ。
有り難く思って膝に乗ったが、座りごごちはすこぶる悪かった。
腿と腿の間に、突っ張りが出ている。
どうして丸太を挟んでいるのだ?
そう思ったとき、丸太はぐぐんと太くなった。

臀に当たります。
丸太をどけてください。

恐る恐る言うと、段脆はひどく酷薄に笑んだ。

それは丸太ではないわ。
こう使うものじゃ。


悲鳴は、


夜陰の木立に吸い込まれていった。


後に幽籃と命名された稚児はこの時、私の悲鳴を切れ切れに聞いたという。
遮那王にも時がきたのだなと思うた。
遅いか早いかの違いだったと知って、少し安堵したと。
私一人が何も知らなかったのだった。

このときを境に、道具のように使われることとなった。
さすがに段脆より下のものには使われないけれど、きゃつよりいささかでも身の高い奴らには、女人代わりに使われまくった。
源氏の子は具合が良い。
繰り返し、繰り返し言われた。
源氏の子?
ああそれだからこんなめに。
清盛が父ならば、こんな屈辱はなかったのだ。
せめて義父に、なってくれておれば!!!

痛みは怒りとして肉に蓄積されていった。
それなりにかわいがられているのだと思っていた時には、お勤めも懸命に行うていたが、白拍子代わりに使われておるのなら、勤勉にする必要もあるまい。
逃れ出ては捕まって、仕置きされ、仕置きを憎んでまた逃れ出てまたさらに仕置きを受ける。
傷の数だけ心はねじくれてゆく。
だんだんに学ぶ。
下山しようと逃れると見つかりやすいが、空丸より高所、奥まったほうにゆくとみつかりにくい。
僧どもも、寺奥の闇が怖いのだ。
そしてその闇の中で。


私は出会ったのだ。

その女に。


それでも地球は回っている