6月20日 ヴァレンヌ逃亡事件

パンがなければお菓子を食べればいいのに


と言ったとか言わなかったとか、マリー・アントワネットの発言にされていますが、どうやら違うようですよ。

パンがなければブリオッシュ(※)を食べればいいのに

というのも出回っていて、私たちからすると贅沢にもきこえるけど、ブリオッシュは当時パンとはみなされてなく菓子扱いだったようで、というか、そもそもこの言葉は何かと

“上流階級の悪女の発言”

として扱われてきたもののようで。
1760年出版のある本には

“トスカーナ大公国の公爵夫人”の発言

として紹介されている、と書かれているらしいですし、他にもいろんなソースから、いろんなふうに出ています。
実際のマリーはいがいにも? 飢饉の際に子供の宮廷費を削って寄付したり、他の貴族達から寄付金を集めるなど、国民を大事に思うとても心優しい人物であったとされるようで。←!!
マリー・アントワネットの名誉回復は、死後30年以上を要したそうで、現在では、「パンがなければ」をはじめとする、彼女に対する悪評は、そのほとんどが中傷やデマだということが判明しているのだそうです。

マリーに対するフランス国民の怒りは、むしろ革命が始まってからの方が大きかったみたいですね。
フランスの情報を実家~オーストリア皇室~などに流したりして、革命に対する手立てが取れない夫ルイ16世に代わって反革命の立場を取ったことが、フランスと革命とに対する裏切り行為~外敵通牒~ととられたようです。

(※)
ブリオッシュは現代ではパンの一種の扱いですが、かつてはバターと卵を原料に使うことから、お菓子の一種の扱いをされていたそうです。
フランスパンの原料は、小麦粉/塩/水/イーストだけなので、何かと“違う”と扱われてきたそうです。
クロワッサンもそのクチで、ケーキの仲間扱いだったそうです。

にしても、誰も彼女と美人とは書いてない(笑)。
ひたすら肌が美しかったそうです……


6月20日 ヴァレンヌ逃亡事件


1791年。
ルイ16世とマリー・アントワネットが革命中のパリから逃亡した日。
翌日国境附近のヴァレンヌで逮捕されパリに送還されてしまった。
ルイ16世な1792年8月10日に、マリー・アントワネットは1793年10月16日に刑死した。

そして1810年のこの日は、マリーの愛したスウェーデン貴族、ハンス・アクセル・フォン・フェルセン(漫画ではフェルゼン)侯爵が民衆に侯爵より惨殺された日。
フランス革命で恋人を失ってからフェルゼンは、冷血な領主となっていたようで、民衆に憎まれての死だったようです。

それでも地球は回っている