私本義経 滅びへの道

郷御前


その昔(かみ)、日照りが続いたので、後白河法皇様は神泉苑の池で百人の僧に読経させ、雨を祈らせ給いました。
雨は降りませんでした。
引き続き、法皇様は、百人の見目麗しい白拍子に舞わせ、雨を祈らせ給いました。
雨は降りませんでした。
しかしながら、遅れて参った一人の若い白拍子が舞うと、たちまち黒い雲が現れ、三日間雨が降り続いたそうです。
その白拍子が静様でした。
法皇様は、静様を見て、

「かの者は神ノ子か?」

と、心から感嘆したそうです。
静様は法皇から「日本一」の宣旨を賜りました。
静様はそういうお方です。

それを殿は、

妾とされたのですか?


義経


住吉で、雨乞いで舞う姿を見たのじゃ。
昔の知り人に、ちょっと似ておって、その。

その、何ですか?

郷御前は容赦ない。
それでも私は言うよりなかった。


静がその、

私はその人だ

と言うたのじゃ…


再び郷御前


頭が痛い。
真実はどこにあるのだろう。
最初に出会ったという住吉の雨乞いは、鎌倉行きの直前だった。
鎌倉で、兄上に会おうという旅に、私でなくその女を連れて行ったのだ。
生まれ年は一つ前。
さしたる美貌ではないにせよ、見目麗しい百人白拍子に呼ばれただけの麗しさはあるわけで。
蕨様のことは許せても、静のことはちょっと悋気してしまう。
女心には鬼が棲む…

されど懸念はそこではないのだ。
後白河法皇様のお気に入り。
殿も後白河法皇様には可愛がられている。
だからお気に入りの白拍子まで下げ渡したのか?
そのあたり、なにやらきな臭い。

殿は脇が甘い。
自分の行動がどんな結果を招くかあまり考えないし、たれとたれがその決定に巻き込まれるかも考えぬ。
腰越去るときのあの悪態は、所領を失わせてしまったし、剣も必死には探しておられなかったと聞いた。
範頼様はまだ九州で捜索をされておられるというのに。
付け入られる隙がありすぎるのだ。


で、妹御のことはどうされるのです。

私の問いに、殿は、ううむと唸ったきり、何も言われぬのだった。


妹御のご心配には、とうに飽きてしまわれているのだろう。
幸い廓御方のことは、あまり世に出ていない。
廓様ご自身も、以前お世話になっていた、藤原兼雅様の許へ戻りたいとの仰せなので、人を遣って水向けさせると、兼雅様ご自身も廓様を慈しみ、懐かしんでおられるご様子とわかったので、そちらでお暮らしになれるように手配した。
蕨様にもご報告申し上げ、この件はかなり穏便に片付けられたと考えている。
我ながらよう頑張れた。
しかしながらこの件は、傍から見れば、

義経が女人を公家に差し出した

行為とも見ゆる。

平氏の女人を妾にした

に続いて、

自家の女人を公家に遣った

である。
しかもその女人は鎌倉へ連れて行った女人。
そうなるとこの件は、

頼朝に献上しようとした女人を連れ戻り、後白河法皇の忠臣の一人に差し出した

に見ゆるのだ。
実情は、

兄に妹を穏便に引き合わせたかっただけの、他意のない弟の心情

だったのだが。
もうたれもそうは取らぬだろう。
生まれが生まれの姫ゆえ、殿も説明がしづらい。
となれば誤解はうねりを立てて、疑惑へと突き進んで行くだろう。
堤防は決壊したのである。

それでも地球は回っている