私本藤原範頼 西行の章5
犠牲
戦い済んだ屋島を臨む浜に、僧侶が来ていた。
読経を神妙に聞きながら、義経が、弁慶が、新参の若者が、忠信が、鎧の袖を顔に押し当てさめざめと泣いている。
読経を終えた僧に、義経は手ずから太夫黒を引き渡した。
手綱を引いて僧が去る。
義経郎党はいつまでも見送っていたが、やがて義経がその場を離れると、たれもが義経の背(せな)を見送り、互いに強く頷き交わしていた。
その頷きの意味は一目でわかった。
この主君のためなら、命を失うことなど露塵ほども惜しくはない。
彼らは互いにそう思い合ったのだ。
そういう家人が私にあっただろうか?
たくさんの兵を連れ来たのに、私は己がひどく孤独な気がした。
いやそれでも。
私は総大将である。
暴風に吹き戻された梶原の軍も、もうすぐ着こう。
最後の戦いは、私の采配の許に行われるだろう。
私が総大将だ。
大丈夫。
志度
屋島の戦いから三日。
本陣を失った平氏に、上がれる陸はもうなかった。
かろうじて上がった讃岐の志度道場に、今上を行幸させたものの、義経の手勢八十騎現れ、追撃したという。
戦いのさなかに義経に帰順する平氏の家人すらあり、もはや戦の態すらなしていなかった。
平氏は再び海に逃れた。
今上も二位尼も、息をつく暇もなかろう。
どこかへ上がろうとするたびに、土地のこどもが義経の勢に知らせる。
義経様義経様。
平氏がきたよ。
△△浜に上がるよ…
もちろん周防と九州は、私の勢が張っている。
いっそ宋まで逃れてしまえばいいのだが、長旅を行くだけの、食料も水もないのだろう。
哀れにすぎる。
私は糧秣と水を小舟に乗せ、沖合に向けて流した。
仮にも天子を飢えさせては、天の在りようにもとると思ったからだが、平氏の船に届く直前、火矢が幾本も小舟に届いた。
目の前で焼け落ちる糧秣は、平氏の心をどんなに損なったであろう。
矢を放ったのは義経の勢だった。
情を傾けている暇(いとま)はございません。
京には今も陸平氏が出没、院も公家衆ももろびとも、生きた心地なく過ごしておるのです。
私はこちらを平らげて、急いで京に戻らねば。
断然と言い切る義経に、私は戸惑うばかりだ。
義経様あ!!
若い郎党が駆けてきた。
三郎とか呼ばれている。
ああ、平氏の家人、田内左衛門尉を引き込んだ若造だ。
もとは…山賊とか。
卑怯な脅しでもかけたのだろうか?
山賊の耳打ちを受けて、義経が目を上げた。
私に気づき、私の方に小走りで来たが、私の方にも使いが来た。
同じ内容かと思いきや、私の方にきたのは、全く以てがっかりな報告だった。
義経と同じ日に渡邉津に在った梶原の配下が今日、よりによって今日いま、讃岐勝浦についたという報告だった。
呆れてものも言えない私に、義経が別事を報告する。
最終決戦の場が、定まったようです。
赤間関にて我らを待つ気のようです。
優れた諜報能力の郎党。
私の三万騎が、愚か者の集団のように思えてしまう。
それでもいよいよ決戦である。
それでも地球は回っている