二都物語


         1 


東京。
テレビ局も、制作会社も大半そこにあって。
街々も、渋谷やら吉祥寺やら六本木やらあって。
それに比べれば大阪なんて。
よみうりテレビとかABCとかあるだけじゃん。
そういう考え。
東海テレビとCBCしかない~いや実際は中京テレビもNHKもある~土地から、私は旅立った。
東京へ。

制作会社で事務。
食事に連れ出してくれるのは社長さん、監督さん。
連れて行かれるお店はといえば、俳優さんや女優さんが副業でやってるようなお店とか、見るからに素敵な今風のとか。
ただの事務員でさえ味わえてしまう役得。
物書きになりたいんですう。
語尾上げただけでかなってしまった願望。
たった二年で専業シナリオライターに。
当時100万したオールインワンワープロを一括現金で買い、みんながまだ手書きだったから、合わせて二百字で打ち出して、みんな物珍しそうに、インクリボン印刷の原稿束ねたのを、回し読みしてくれていた。

でもそんな時代は二年と続かなかった。
有名作に呼ばれたり、思いもかけない企画に携わったりしているうちに、いつしか完全思い上がった私は、とあるアニメ制作会社の文芸部の男の子を狙った。
ブスと言い捨てられたことのない、事務員時代もセクハラの嵐、師匠すらちょっと悪心起こしてこの小娘をホテルに連れ込もうとした~もちろん未遂に終わったし、私も根には持ってないけど~、こんなことばかり続けば、ありもしない自信も湧いてしまう。
私は彼を誘惑し、一度は成果を得たのだけど。

愛そうと、努力したけどダメだった。

さすが文芸部、しゃれたことを言いやがる。
たった三ヶ月の恋。
しかも実績は逢瀬一度の、電話が一度。
振られてからは目も合わせてくれなかった。


上京して。
なりたいものになって。
親世代くらいのプロデューサーがたに、娘のように可愛がってもらってたバカは、この一件を境に、あっと言う間に何も書けなくなった。
いや、書くは書けるのだ。
でもそこに、躍動感は一切なく、プロデューサーがたがべた褒めしてくださっていた発想ならび自由度は、どこにも、片鱗も、見当たらなくなってしまっていた。
失恋と、超特大スランプ。
かなり大物の困難が、それも二つ、いちどきに、正面から、容赦なく私を見舞った。
しっかりした技術の裏打ちもなく業界入りした私は、ただただその苦悩に翻弄され、なすすべもなく砕け散った。
再び立ち上がるだけで八年かかったし、作品の出来はもう並レベル。
発想だけが最後の武器で、自由度はどうにも戻らなかった。
つまり評価も頭打ち。
私は完全に行き詰まっていた。


それでも書いて書いて書いて書いて書いて書いて。
スランプをはねのけるのがプロというものだ。
けれど運だけでその場に立った私には、どん底をしのぐだけの知恵もなければ、技も根性も欠けていた。
比するに同期同胞の、同年代のライターたちが台頭してくる。
彼ら彼女らの活躍は本当に華々しかった。
人気作をコンスタントに書く者。
書けたらいつでも持ってきてと、すべての制作会社から言われてる者。
根性実ってメインライターへの道を開拓した者。
親の七光りをうまく活かして、結局実力も身につけた者、等々々々々。
私一人が消え去っていた。


         2


私は気にしないふりで、バイトやビデオ観賞や、お笑いライブにうつつを抜かしていた。
出会いのチャンスづくりはお手のもの。
売り出しの若手のネタブレーンになったり、漫才ライブの常連になったり、ほんとチャラチャラチャラチャラと、日々を浪費し続けていた。
一廉のものになりたいけど、どうすればなれるのかわからない。
こんなざまになっても、私はただただ足掻いていたのだった。


彼に出会ったのは、まさにそんな鬱屈のさなかだった。
深夜に一回こっきりの、

注目若手に枷かけて演じさせる

という企画が放映された、そこに出演していた中の一組が、y本の若手であった彼らだった。
今となっては他に誰誰が出てたのかとかも全然覚えていない。
彼らが仰せつかったのは、英語を使っちゃいけない漫才。
日本語に馴化した言葉まで排除して、かなり見事に演じていたが、松本浜田のダウンタウンを

下町

と訳してしまう大失態。
(あれは英語に詳しい友人によると、

盛り場

と訳すのが正しいらしい。
私だって知らんがなそんなこと…)
ハラハラしながら見守る私と、スポーツカーを運動自動車と訳すべきかで揉めてる、テレビの中のチビノッポコンビ。

と。

ノッポが突如不敵に笑んだ。
笑んだままこう言ったのだ。

なんや知らん、腹立つわー、この企画。

不敵に。
切れ味よく。

この一瞬、ただ一瞬に、私は彼に恋していた。


とはいえ彼らの活動拠点は大阪。
私は食い詰めた関東住み。
行くこともままならず、出会うチャンスなどない。
とりあえずプレゼントを贈ってみた。
EXパックで。

なぜEXパック。
だって電話番号書くとこあるんだもーん♡
書くことになってるんだから書かなきゃしょうがないよねー…


この卑怯ぶりが功を奏すという、まさにまさにのシンプルスタート。
彼らは私の番号を、明確に認識し、どちらがgetするか、ジャンケンしたらしい。
電話をくれたのはノッポだった。


会ってみると、そんなに長身ではなかったが、私自身が見かけより低く、彼は見かけより高く見える。
ちょうどいい身長差となった。

きょうこれで仕事終わりやねん。
あんたんち泊まってええ?

そんなんありかーーーーーー!?


         3


関西流のナンパに、『ええからええから』ってのがある。

ええからええから気にせんと。

で、上がり込み、ベッドにも上がり込み、何もかもいただくパターンだ。
彼は若く、ムキムキでもなく、しなやかな肌に少しだけコロンが香っていた。
そして当時、私は超太っていた。
知人のバラエティー番組の、ダイエット企画のサクラになった影響で、超太りやすい体質になっていたのだ。
まさに絵に描いたようなリバウンド。
でも彼は気にしなかった。
デブ専なのか!?
そうではない。
後に激やせした私を見ても、彼は全然変わらなかったから。
要するに彼は自分しか見えてなく、自分が今イケてればそれで十分だったのだ。
一言で言えばナルシスト。
でも私は彼がナルシストだったから救われたのだともいえる。
600キロも距離があるのに、東京で仕事があるたびに、彼は私に電話をくれた。
朝四時に、同室の先輩がはよ発ったからって、電話くれたこともある。
小田原まで来てんのや。
それだけ告げる、“会えへんけど電話”をもらったこともある。
出番まで9時間もあんねん。
で、東京中をブラブラしたことも。
じゅん散歩みたいな番組のロケ隊にぶつかりそうになって、慌てて隠れたこともあった。
彼は言う。

東京のやつは誰も俺や言うてくれへん。

悔しげに。
でも楽しげに。
声をかけられたくもあり、かけられたくなくもあったのだろう。
そういうお年頃。
世間の認知もそのくらいだった。

親しい芸人さんは誰?
例えばてんそ(吉本天然素材)だと。

長身のイケメンと小柄なサルのコンビおるやろ。
猿のほうと仲いいねん。
こないだネタ、つかみ込まれてしもた。
ちびーっと当てこすったらな、

すんません。
でも兄さんも俺らのネタ、つかみ込みましたよね?

だと。
逆襲されてもーたわ……


         4


大阪ではどんなふうに活動してるのか。
だんだん観たくなってゆく。
ほとんど仕事もしていない。
蓄えなんかほとんどゼロだ。
でも会いたい。
そして観たい。
学園祭シーズン狙えば。
いけるかも!
私は無謀を強行した。

A学園、K学園、少し離れるけど大学。
あと、本拠、NGK。
若手の本拠二丁目劇場にも出向いたし、y本だけでは片手落ちとばかり、松竹の小屋も探して行った。
ますだおかだとよゐこを観た。
この直後、この二組はぐいぐい伸びていった。
恋する目と、腕をみる目。
オトコを見る目と、芸人を観る目。
私の中で二つが揺れる。
相方のチビさんがピンでテレビ出だして、期待値があがってゆくが、彼にはあまりスポットが当たらない。
人気はたいていボケがさらう。
ボケを引き立たせるのがツッコミの腕。
腕冴えわたらせればわたらせるほどボケだけが輝いてゆく…
私が投宿し、彼がホテルに忍んでくる。
明け方、ビューウィンドー覗き、さっと出て行く。
何事もなかったように舞台を務める彼。
ファンは結婚したいと口走るが、私は恋人であることすら信じまいとしていた。


12月。
神戸の新聞会館。
昼席も夜席も買ったら、全く同じ席だった。
手袋を置いていったら、夜そこにあるだろうか。
試したくて試したくて仕方なかった。

丸一ヶ月後。
早朝。
関西は大地震に見舞われた。

         5


新聞会館は完全に横倒しだった。

煙。

炎。

NHKの映像を見ながら、震える手で電話した。

本人が出た。

おふくろも妹も無事やった。
これから親父捜しにいく。
電話、ありがとな。

切れた受話器を置いて祈る。

お父さまも無事でと。

それ以外、何もできない…

悪いことは重なり、相方のチビさんが骨折。
三月もの間、二人で舞台に立てなかった…


どうせ東京で食えない。
大阪行ってしまえば?
ああでも。
彼らはy本興業だ。
正月ごとにお年玉。
彼らを兄さんと呼ぶすべての人に、与え続けなくてはならないし、すべてy本の流儀で行わなくてはならないのだ…

ギャラが気に食わんなら、一生休んどけボケエ。

そういう会社。

私の中で、同社はヤクザと同義語だった。
組のルールで生きるのだ。
二度と堅気には戻れないのだ…




私は彼を捨てた。


         6

再起のライブに行った。
単独ライブ。
特別よくもなかったが、特別悪くもなかった。
誉めとこう。
電話した。
ほんとに久しぶり。
さよならって言ってないから彼は、交際し続けてる気分だったかもしれないが、私の中ではとうに終わっていた。
大阪に、追っていけなかった段階で、私の愛はたかがだったのだから。
単独ライブだしゲストもいた。
今頃は飲みだろう。
感想は留守電に…

もしもし。

!!!

なんでいるの!???

いえ。
動揺しちゃだめだ。
感想を。

なんだいたの。
打ち上げとかはなかったの?

すると相手は意外なことを言った。

ああ。
倅のお友達ですか。
倅、仕事で出てますねん。

お父さま!!
ご無事だったんだ!!
あいつちゃんと引き取って…

涙が頬を伝った。

あ。
お父さまでしたか。
すみません。
△さんにはまた改めて電話いたします。
お邪魔いたしました。

切った。
これで完全に終わったのだけれど。
心のどこかでこれでいいと、強く思ってる私がいた。


追記


Wikipediaにはこうある。

この当時、彼は女芸人と真剣交際していたと。

でも彼女は別の、堅気の男と結婚した。

互いに独身だったのに、彼は彼女と添わなかった。

今でもきっと、彼は私のものなのだろう。

きっとそうだ。

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