関係者から聞いたどうでもいい話44〔有料&購入者様も他言無用で願います〕


信頼できる人から聞いてますが、証拠・証明はできませんし、ほんとだろうが嘘だろうが、たぶん誰も傷つかないだろう内容です。


大人


人は大人に生まれてくるのではない
大人になるのだ


とのっけから、ボーヴォワールの名言もじってみたけど、要するに最初から大人で生まれる人はいないわけで・・・


大人って何だろう


成人するだけで大人になるなら、成人式で暴れる青年はいないはず。
でも暴れる。
ちょっとのことに逆上して、煽り運転したり、配偶者を殴ったり、殺したりもしないはず。
でも事件はある。
どうして大人になれない?
私たちは?
キミたちは?


昨今人様に成長してほしいと思うことが多くなった


老いて、あとは逝くだけとなった今、形あるものを幾ばくかでも残したいと思うのか?
まあそんなのは、先に逝くだろう者の勝手な感傷で。

より緻密でないと本物の賞なんて取れないよ

とか

作劇が串団子だとみっともないよ

とか。
でも、そういうやりとりの挙げ句に返ってくるレスの大半が、

ではどう直せば正解なんでしょう?

って、じかに正解を聞いてくるパターン。
まあそうだよな。
わからないからそうなってしまってるんだもの。
わからない、から自力で脱出出来る人は、正解は?とは聞かない。
自分で考えて、試し試し、前へ進んでゆくのだ。

こうですか?

そうなのよ。
そこよ・・・


じかに正解を聞いてくるパターンが二例続いて、はたと気づく、最短距離しか興味ないのかも。
そして、そのことにも、そんな自分なことも気づいていないっぽい。
たぶん自分は実際より出来る。
大きいと思ってる。
だから指摘されること自体が不快・・・


答えてくれればいいじゃない!


なのかな。
甘えてる、とか、安易だと、ついつい思ってしまうけど、今の時代、ちょっと検索するだけで、答えはあちこちに書いてあるんだろう。
だから二言目には答えをほしがるのだろう。


山本五十六は言ったらしい
「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」


これには続きもあるらしく、こう続いているらしい。

「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず」

その先もある。

「やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」

うはーーーー。

一人はアドバイスそのものを消し、いま一人は返してくるコメ返してくるコメ、冷笑的で、読むこちらのメンタルがもたなかったのだ。
冷笑的でない文章もたまにあり、どうして違うのかと聞いたら、

失礼のないように、何度も何度も推敲していると。

!!

そうしないと失礼な文章になっちゃうってことおおおおおっ????

こりゃだめだと思った。
作品には作品の都合もあって、直せない、変えたくないところもあるだろう。
でも手紙は、心得次第じゃないか。
答えてほしいこと、教えてほしいことを、ちょっとでも教えようって言ってる人間に、口先だけでも感謝して、気持ちよく説明させちゃう文章が書けないって?
推敲して推敲して推敲しないと、相手が気持ちよく読める文が書けないって?
どんだけ他者を見下してるんだって話だよ。

そんな口調の人間を、育てる義理はないと思った。
それともこう思っちゃう自分がせこいのか??


『やってみせ、言って聞かせてさせて見て、褒めてやらねば人は・・・』


やってみせ、

→やってみせた。

言って聞かせて

→言って聞かせてた。

させて見て、

→は、まだこれからだった

褒めてやらねば人は動かじ

→褒めてやれるほどの何ものもなかった。

これが現実だったのだ。


物事にはたいてい理由がある。
とすればこの二例の理由は?
私はここから何を学べるのか?


気づいた。
この二例の人は私に、しっかりした関心がなかったのだ。
ほめてもらえたらもうけもの的な気持ちで私に臨んでいたのだと思う。
だから私の評に納得いかず、納得しても省みる気にはなれなかった。
そんなに言うなら答えをちょうだいよ。
そんな気分だったのだろう。

わかるよ。
とてもわかります(笑)。

追記

興味関心があれば、敬意は自然と出る。
そういう敬意で向き合うと、どんな大物も心を開いてくださるし、私はそうやって、道を切り開いてきたとも言える。
ただ一度だけ、私も過ちを犯したことがある。


山田太一にお願いしたこと

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