私本義経 墨俣川に散る

義円兄上は、私より四つ上。
全成兄上よりは二つ下だった。
なぜ頼朝兄上に合流しなかったのだろう。
私はそうしたのに。
全成兄上もそうしたのに。
運も悪かった。
平氏は昨秋の、富士川の戦いでの敗北を、意地でも取り返さなくてはならない立場だった。
今年四月、再度東国を叩く~今度こそ叩く~ため、組織された官軍は、平維盛と平重衡とを将として、勢いあるまま尾張辺にさしかかったのだ。
遠征先が東国なら、また兵が途中で飢えたり、やる気なくしたりもあっただろうが、大垣あたりならまだまだ平氏や都のご威光が効いただだろう。
しかも兄らが軍勢を置いた墨俣川東岸は、葦原で、ぬかるんで、機敏な作戦行動を兵たちが取りにくい場所だったという。
しかもそんな中で源行家殿と兄上は、先陣を争い、指揮権を奪い合いしていたというのだ。
兄上が目指したのは夜間、渡河しての奇襲だったが、平氏軍もさるもの、濡れている兵士が敵であると気付いた。

濡れている兵を斬れ!!

兄の配下は次々斬られ、突かれ、矢の雨に打たれ続けた。
引こうにも、ぬかるんだ葦原である。
折り重なるようにして、兵たちは死んでいった。
兵たちだけではない。
尾張源氏の将、源重光(泉重光、山田重満とも)殿、大和源氏の将、源頼元殿、頼康殿らも落命した。
そして義円兄上も…
思わず拳を握った。
地図で見ても、そのあたりが葦原であろうことは容易に察しがつく。
総大将は兄だったのではなかろう。
行家軍、と呼ばれていた、なら行家殿がすべて引責すべきであろう。

行家殿は?
行家殿は討ち死にしておらぬのか?

討ち死にどころか!
いまこの鎌倉に辿り着いておられますわ!

吉次…

いつもと違う道で行こう思て、大垣に出てまいましたんや。
戦さがきつうて身の回り守っとくれる野伏にまで逃げられてしもて。
そしたら若いお侍はんが目の前に倒れてこられましてなあ。
これ、預こうて…

守り袋だった。
私の持っているものと瓜二つ。
全成兄上のお持ちのものとも瓜二つだった。

お、乙若…!!

兄上っ!

儂、平泉行きご一緒した際に、義経はんのを見てましたから、もしや思たが…兄上はんどしたか…

明るい、威勢のいい吉次がすっかりしょげている。
弁慶も佐藤兄弟も、もちろん吉内も顔を伏せている。
私も兄上もだ。
つと兄上が目を上げられた。
乱暴に立ち上がり、どかどかと出て行った。
私も続いた。

行き先はもちろん頼朝兄上の居室だ。
諸将がともに在るかと思ったが、珍しくお一人で、正面には四十がらみの小汚い、だが立派な鎧をまとった侍が平伏していた。
今若兄上が、いきなり、えやとばかり、侍を蹴倒した。

叔父上ともあろう者が、なにゆえ甥を見殺した!!

脱げた兜の下の、髪を掴んで引きずり倒す。

あなたの甥、私の弟、義経の兄。
それをおまえは見殺したのだ!

さ、さりとて。
我が次男、行頼が敵軍の捕虜となっておりますれば!

だから甥は死なせてもよいのか!? 僚友は!? ああっ??

兄は激しく荒れている。
激しく怒れば何をしでかすかわからない源氏の血が今騒いでいる。
それは私も同じで。
今行家殿のお命は、まさに風前の灯火だった。

全く間の悪い。
行家殿の戦下手には呆れてものも言えぬよな。

冷たく笑い、手酌で酒(ささ)を召し上がる。

よさぬか全成。
そやつ振り殺したとて、吾らが弟は戻らぬ。

まあ叔父上には、しばしこの地で休んでいただこう。

それで良いな。

ぎろりと、私と兄を見る。
鎌倉の主、東国の雄。
これでは黙るよりなかった。


それでも地球は回っている