私本義経 伊勢三郎

勝浦


人一倍疾く渡れたはいいが、汐と雨とにどっぷり濡れた。
どうせ物見する。
身を乾かそう。
腹も満たそう。
あの荒波を越えてくれた水夫たちにも恩寵を。
我々の煮炊きしたものを、水夫たちにも振る舞っていると、土地の子らが寄り来た。

平氏かい源氏かい。

子らは無邪気に聞く。
年かさの子が賢しらに言う。

旗が白い。
源氏様じゃ。

ほう、平氏が赤旗と知りおるか。

年かさの子は真顔になった。

赤旗は嫌いじゃ。
ひらひらした着物見せびらかしつつ儂らを蔑む。
そのくせそうして蔑んでおきながら、儂らのところから稗粟まで持ってく。
そんなのが雅なら、儂らは雅なぞ要らぬ!

賢い子だ。
物事がちゃんと見えている。
それでは白旗が赤旗を叩き出してやろう。
代わりに一つ頼まれてくれるか?

腹一杯食わせて去らせる。
土産も持たせた。
入れ替わりに弁慶が寄り来て、私に耳打ちする。
伊勢が?

伊勢三郎義盛は、もとは鈴鹿山の山賊である。
父は勢州三重郡河島を領して河島二郎盛俊といい、伊勢で生まれ鈴鹿山にいたところ、強すぎる力と高慢~に見られやすい目鼻立ち~を領民に嫌われたらしい。
まるで山賊だの、人でなしだのと言われたため、

ならその山賊になってやろう。

と山賊になったという。

されど人でなしにはなるまいぞ。

そういう志で山賊を行い、強いものからしか奪わなかったという。
私との出会いは、私が中原殿と行った、年貢輸送の旅程だった。
隊に手出ししてきたものの、配下が私の郎党ら~弁慶や吉内や佐藤兄弟ら~に斬られるのに耐えられず、投降してきたという情の者だ。
悪党でありながら、情にもろいところがかわいく思え、郎党に加えてしまったが、弁慶や吉内らに比ぶれば、いささか浅薄なところは否めない。
それでも義経様義経様と慕ってくるのがかわいくて、いつしか愛顧していた…
それが姿を消したという。

船には乗ったと思ったが?

はい。
上陸も見届けましてございます。
されど先刻より、姿全くありませぬ。

痴れ者ゆえ…物見遊山にでも行ってしまったか?
言葉にしそうになったそのとき。

義経様ああああ!!

叫んでこちらにやってくる、 肩白赤威の鎧…
三郎だ。
見知らぬ武士を連れている。
名を近藤親家というこの御仁は、阿波に在する土地の武士だった。


近藤親家


わたくしどもは今でこそ、阿波の寒村に在しておりますが、一族の出自は京でございます。
鹿ケ谷の陰謀に連座させられ、平清盛によって粛殺された西光の血縁だったため、こうして鄙(ひな)で暮らさせられておるのです。
西光は清盛に取り調べられただけでなく、足蹴にされ、拷問され、処刑前には口を裂かれたそうです。
そんなわたくしどもが、最寄りの島で平家の者を養うなどありえぬ。
ですので…

近藤親家は阿波での案内(あない)、並びに助力を請け合ってくれた。


どうやって近藤殿を見出だしたのだ。

みんなに問われ、三郎は鼻高々だった。

伊達や酔狂で鈴鹿に居たんじゃねえ。
たれがどこへ流されなすった、たれがたれを恨みおる、できるだけ覚えるようにしてきたんでさ。
立派な侍にならねえと、勢州の領民見返せねえからねえ!

見た目で損をしてきた分、三郎はひどく成り上がりたがってきた。
それがよい賽の目を生んだのである。


三郎の働きは、桜間攻めに大いに生きた。
桜間とは、平家最大の大立者である阿波民部大夫の近親者、桜庭能遠の城である。
阿波国衙(こくが。国衙は国司が地方政治を遂行するための、役所が置かれている区画のことである)に隣接する、平家方の重要拠点であった。
まずここを攻め伏せたため、平家は海に孤立する島以外の拠点を完全に失うこととなった。
陸の拠点を失えば、平氏は海へと逃れるしかない。
この頃範頼兄上も、ようやっと九州に渡れており、これで平氏は九州側にも阿波讃岐にも上がれなくなった。
かの者たちに残されてあるのは屋島と屋島に近接する陸のみ。
そこも我らがこれから攻め潰す。
そうなれば、かの者たちは、以後果てなく海上を漂うこととなるのだ。
いかに海の民とはいえ、海の上には真水はなく、魚以外のなにもない。
稗も粟も米もない。
そんな場所に平家を追い込む。
それが我々の戦略なのだ。

それでも地球は回っている