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ブラッディチャイナタウンで描きたいこと…

たまたま人に、こういう経緯でnoteで漫画を描く事になったと話をしたところ、とても驚かれたので、そんなに驚くことなのかな、と思ったので前回の記事を書きましたが、意外な反響いただいて、驚いたり感心したりしています。私は漫画家なので、お友達に漫画家も多いのですがここ数年、私と同じような経緯でネームがなかなか通らなかったり、漫画に意欲がなくなってしまったり、故郷に帰ってしまったりされた作家さんがいて、ストレスは痛いほどわかるんですが、水面下で話しているだけで実はそういう事情で漫画に向き合えなくなったり、つらい気持ちでいる作家さんがかなり孤独のまま、いるんじゃないかな、と思ったのです。前回の記事で、編集者ヒドい!みんな死ね!とか一切書いていないのですけど、普段は一人一人はいい人で、ひどいと思いつつ作家に対して冷たく対応したり、雑な対処をするほど会社にゆとりがなくなっていると思います。ことに、二番目の件の編集さんは「がんばりましょう、やりましょう」と励ましてくださり、ネームを2度直して、すごくよくなったと褒めてくださり、本来は会議が無いとネームは読んでくれないのですが「もうこんなに面白いんですから編集長に胸張って読ませられます!頼んですぐ読んでもらう!」とまで言ってくれました。結果、編集長が「載せない」と言ったため(なぜ載せないか理由は聞いていませんし、知りません)没になりましたが…。そうなると出版社に必要とされない自分=ダメなやつ、というループに入ってしまいがちで、気力が衰えるのも無理はないと思うのですが、会社に「お許し」をいただかなくても、読者に読んでいただければ良いのです。もちろんそれで生活していくには技術がいりますが、人間って、だれかの顔色を見ながら、お許しが出るのを待ちながら、ある時は打ち切りの恐怖におびえながら、いい気分でいられるのでしょうか。私は無理です。うまれつきドMなのですが、身体的に限界があったようで、ある日激痛がきて、帯状疱疹になってしまいました(;´∀`)泣いてもわめいても、変わらないものは変わらないし、石は石、空は空でしかないので、出版社も変えることはできない。ただ、入ったお店で自分の望むようなお料理が出てこないなら、ほかのお店に行くか、自分で作ればいいんです。それを考えた時、行き所をなくして生きる術を見失った人間が命をなくしていくけれど、自分の居所は自分で作れば良いんじゃない?と考えたことが、漫画ブラッディチャイナタウンの根底のテーマになりました。苦しんだり悩んだりは、時間の無駄と言えなくもないけど、痛恨の思いをした経験も漫画にするのが漫画家の甲斐性といえるでしょう。がんばります。

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