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『ブラッディチャイナタウン』第4巻が配信になりました

『ブラッディチャイナタウン』趣味で描き始めてずいぶん経つ漫画ですが、そろそろ終わりに差し掛かってきました(わあ寂しい)やはり安心して漫画を描くことはかなわず、物凄くガッカリする事に直面しなければならなくなって、一時期どうなる事かと思いましたがなんとか描き終える事が出来そうです。突然脱線しますが、萩尾先生が書かれた大泉サロンでの出来事についての本が、このところ自分の中でモヤモヤしていて、それに付いて考えています。私は仕事柄萩尾先生にも竹宮先生にもお会いしたことがあって、もちろんお二人ともお優しくて大人な先生だった。才能が物凄いので、そっち方面では無理ですが、こんなそぶりになりたいな、と思わされるようなソフトな喋り方と空気感。とても気さくで、ほんとうに偉い人は威張らないものなんだというのもよく分かった。この本の事は世間で色々言われているけど、おそらく竹宮先生は事件の事はかなり忘れていらして、萩尾先生はとても覚えていらっしゃるんだなと言う感じはした。でも人間って生きていくには多少忘れることも大切だし、忘れられないことも大切だと思う。私自身はどちらかというと忘れないタイプで、いつまでも苦手な人は苦手、だからもう嫌な思いをした人には近寄りたくないと思う。でも世間にはさっぱりした気持ちの人もいて、気にしても仕方ない事はきれいに忘れる人ができる人もいる。一般的にはさっぱりしたほうが大人だし、つきあいやすいと言えるけれど現実にはなかなかそうもいかないので人間は悩むのですが、それはもう体質なので仕方ないという気もしています。私もがっかりさせられて、夜は眠れなくなり、なんとかしたいと身も蓋もなく奔走し、結果なんとなくバカにされたり(これは慣れている)でもなにが良策か一緒に考えたりしてくれる人もいて、よくない効果だけでは無かったから、それは良いのですが。まあ最近私もある漫画家さんにされた失礼なことをきれいさっぱり忘れていて、自分大丈夫か…と思ったものですが、そんな風に忘れる日が来ることを待っています。そして、心静かにつぎのお仕事もできたらいいなと。色々な意味で『ブラッディチャイナタウン』はまた思い出深い作品になりそうなので、最後までおつきあいくださいね。見捨てられた若者たちが死んでいく舞台が中華街なのは、異国情緒や、私が好きな街だからではなく、ちゃんと意味があるのです。

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