愛犬の死

これは2020年5月17日に書いて、そのまま下書きに入ってたやつ!
日付前後するけど3年前のものです。


昨日、飼っていた愛犬(ジョイ)が死んだ。

犬の寿命は10~13歳。私より先にいつか死んでしまう。そんなの初めから分かっていたこと。

でも、実際に犬を飼ってみると、かわいくてかわいくて、いつか死んじゃうなんて一切考えずに生活してた。

ジョイは17歳。犬の中では長生きしてて、しかも元気で、ずっとずっと一生死なない気がしてた。

まあ、そんなはずはないんだけどね。

きっとジョイとの出会いは何かの縁。

姉が、小学校の同じクラスの友達から犬をもらう約束を勝手にしてしまった。その子の家では犬が3匹生まれた。先約順に犬を選ぶことになって、我が家は3番目。つまり最後なので残った子をもらうことになった。それがジョイだった。

確かにジョイは、その3匹の中では一番ぶさいくだった。

でも、犬を飼える!!そのことが私たち家族はすごいうれしくてうれしくて我が家は大きな愛で犬を迎え入れた。

我が家は教育が甘いから、人間はわがままに育ったが、これは犬も同様(笑)

私が6歳から一緒に居続けて、私が子供だったということもあってよく喧嘩もした。噛まれて血を出して泣いたこともあるし、ムカついて叩いたこともある。私にとってジョイは犬というより、弟や友達という感覚だった。

ジョイは人の布団で人間のようにあお向けになって寝るし、犬が邪魔だから退かそうとすると怒る。脱走も何度もしたし、私や姉の部屋から食べ物を勝手にもっていって食べる。姉が彼氏にバレンタインで渡すために徹夜で作ったお菓子の家も朝起きたら壁がなくなっていた(犬に食べられた)。家に来ていた留学生の聖書も食べた。私が徹夜してミシンでつくった衣装におしっこされたこともあった。

今となってはどれもこれも大切な思い出だ。

かけがえのない、大好きな犬と過ごしてきた軌跡。

どんどん犬も年を取って、できないことが増えていった。上に書いたことはほとんどしなくなったし、私がちょっかいを出しても怒らなくなった。それが少し寂しくもあり、でもより一層愛しくもなった。

そんななか、突然ジョイは死を迎えた。

朝まで今までと変わりなく元気だったのに昼過ぎに父親が散歩してたら急に様態が変わった。急に奇声を上げ、ベロを出してぐったりとしたらしい。便も制御ができずに出てきてしまっていたようだ。父親は急いで家に戻り、母親とすぐに動物病院に向かったそうだ。

レントゲンを撮り、肝臓に大きな腫瘍ができていた。悪性の可能性が高いといわれた。肝臓は沈黙の臓器と呼ばれるほど症状が出ず、気づくのが遅れるそう。しかも犬は人間の3~4倍のスピードで進行していくらしい。

犬は瞬きもせず、ベロもしまえずぐったりしていたので、すぐに酸素室に連れていかれ、点滴を入れられたらしい。

私は運が悪く、このご時世でほぼリモートになっていたにも関わらず、その日は用があって出社をしていた。幸い、抜けれる仕事だったので先輩に事情を話して早く帰った。

親からの連絡が16時ごろで私が家についてのは18時ごろ。

動物病院の営業時間は19時までのため、急いで病院に行き、この後犬をどうするのかを家族で話し合った。

犬を家に連れて帰るか、このまま酸素室と点滴のある病院で1泊させるか

悩んだが、もし今夜死んじゃったら、犬は病院で1人で死ぬことになる。それならみんなで見守ってあげたいと思い家に連れて帰った。

夜中、家族で犬を囲み寝ることにした。でも犬が心配で誰か1人は起きているような状態だった。犬の呼吸が速く、浅くとても怖かった。犬は何度か頑張って立ち上がり、こっちへ来たそうな様子をしていた。ジョイは後ろ足が動かなくなっており、移動することはできなかったが。

正解はわからないが、私はそれは犬ももう自分が死ぬことをわかっていて最後に家族へ甘えたかったんじゃないかと考えている。だからみんなで順番に抱きしめたりしていた。

きっともう長くないことは分かってた。今夜が山だと。

不運なことに、その日看護師の姉は夜勤だった。16時にはすでに職場にいて、もう抜けてこられない状況だということは父も母も分かっていたので、気を使って連絡をしなかった。だからこそ、姉が夜勤を終えて家に帰ってくる10時まで、生きてほしいと強く願っていた。

けれど、明け方5時にその時はきた。

「ジョイが息をしていない」と母親が言った。

怖い怖すぎる。揺さぶったり呼び掛けたりしても動かず、わからないなりに胸骨圧迫もした。どうしてもジョイを死なせたくなかった。ジョイの死を迎え入れたくなかった。もう一生会えなくなるなんて嫌だ。その思いでできる事をがむしゃらにやった。せめて姉が家に帰ってくるまでは、、、

でもジョイのお腹がもう一度動くことはなかった。

ジョイは死んだのだ。

最後に姉に会うことはできなかった。

すごく悲しかった。17年連れ添った犬はもはや犬ではなく、紛れもなくかけがえのない家族で、仲間だった。

皆で泣いた。朝になり姉が返ってきて、また皆で泣いた。

その時、私はこんな思いをするのなら、もう先に死にたい。もう誰かの死を迎えたくないし、知りたくないし感じたくない。そう思った。こんなつらい思いもう耐えられないと。

でも隣で泣き崩れる母を見て思った。

確かに、私はこんな辛い思いをもうしたくないけれど、それ以上にこんな辛い思いを母親にさせたくない、と。私はこの人より早くは死ねないなと。強く生きていかなきゃいけないなと。そんなことを考えられる自分に正直驚いた。



犬が我が家に残した功績はとてもでかい。

私は反抗期が長く、家族へいつも高圧的な態度をとっていた。だから家族は少しピリピリしていた時期もあった。そんな時家族をまとめてくれていたのは確実に犬だった。癒しだったし、みんなの共通の話題や、家族で過ごす時間を作ってくれた。

多分、犬がいなかったら家族は崩壊してた。確実に。

本当に本当に犬がいてくれてよかった。

だから正直、犬がいなくなってこれからの家族が心配でもあった。どうしようって。でも、この死を通して家族のきずなが深まった気がするし、私ももっと家族に貢献しないといけないという自覚が出てきた。

きっとこれも犬が残してくれた最後の功績。

最後の最後まで、本当にありがとう。

我が家のみんなはジョイのことがこれからもずっとずーーーっと大好き

今は喪失感がすごくて、少し考えるだけで涙があふれてくるけど、ちょっとずつ前に進んでいこう。

ジョイが死んでしまったことに対する悲しみより、我が家に来て家族になってくれた幸せや感謝の気持ちのほうを大きく持てるように。





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