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ズーム詩の教室とモリマサ公さんの出版記念会と。part1

9月になって初めてのnoteです。
隔週になっても読みに来てくださった奇特なみなさん
忘れないでいてくれてありがとう。

9月9日、重陽の節句は生まれて初めて詩のイベントをハシゴしました。
久々に詩にまみれた濃厚で素敵な一日。

ZOOMで詩の教室の合評会に16時まで参加。教室が始まる前に出かける準備は整えておいて提出していた自作の講評を聞き
16時でお先に失礼します(もちろん主催には前もってお伝えしていた)
ダッシュで福岡西新オレンジ通りにある古書店「MOOK」さんへ向かう。
とある詩人さんからお誘いを受けたモリマサ公さんの『絶望していろ、バーカ』(しろねこ社)出版記念トークイベントを聴きに行くためだ。
こちらは16時スタートだったけど自身の作品講評を聞くのは外せないので、
前もって誘ってくださった方にはお伝えしての遅刻参加だ。
今回の日記では今回のZOOM詩の教室の感想。次回はモリマサ公さんのイベント&ポエトリー・リーディング(なんとこの日2名の方が初リーディングだったようで)などについて書こうと思う(これは変更なしです。モリマサ公さんの詩集も買ったし、渡辺玄英さんや「さきがけ文学界」のゆうやさんの朗読について書きたいし、2次会でいただいたエキノコックスさんや西の子さんの作品集についてもちょっと触れたいしね)

ZOOM詩の教室前半では
長く教室に通っていらっしゃる、松下さんが選んだ3名の方の作品を各自が朗読したりその作品について別のお2人が作品の感想を語ったり作者に質問したり。3名それぞれの詩作についてのお話を松下さんが質問を交えながら聴いたりする時間になっていました。

↓(そしてここからまたもや語尾不統一病が発症しているがそのままにしておく。きっと何かが自分の内部で切り替わっているのだろう)

印象に残ったのは
松下さんの「詩作に対してこれからどうしていきたい?」というような質問に対して、
「物を見る目を深めていきたい」と答えられた女性の方だ。
若い頃に詩を書いていて、当時は自分!自分!で自分の作品のことしか見えていなかった。そんなこんなで疲れてしばらく詩を離れて年齢を重ねてまたこの教室で書き始めたという方だった。
(録音しているわけではないので記憶だけで書いている。訂正がありましたら遠慮なくお伝え下さい)
そしていまは「物を見る目を深めていくこと」が大切だと。
その答えを聞きながら深めるに思いいたるまえに「自分」にしか焦点を置けなかった視野がいったん詩作を離れたからだろうか?広がったからこそ今そう思ってらっしゃるのだな。と感じながら聴いていた。
以前に提出された作品で海外移住経験があると話されていたしお仕事的にも
どちらかといえばセレブっぽい?
私とはてんで違う世界に住む方なんだろうなと勝手に思っていた。
それがお話を聴いていくと
実家は漁師町だと言われるしこの日朗読した以前の作品も労働者のおっちゃんへの視線があったかい。上からでなくフラットなのだ。原爆にまつわる詩を書く気骨も持ち合わせている。これも、ただ、書いている。のでなく体感がある作品だ。
(実際に親戚の方だったろうか?被爆されているとのことだ)
数作品だけでその人の「人となり」をなんとなく決めようとしていた自分がつまらなく思え、こうして作者の背景の話は聞く機会があれば聴くものだとつくづく感じた。
その人を知ることで作品への興味、読む気持ちの熱量が変わる。
自分自身の不要なフィルターを外すことを意識して目を洗って再度以前の作品を読むことが出来る。
私が参加しはじめてこの教室では
角川短歌賞、現代詩手帖賞をダブル受賞した竹中優子さんや、詩を書いている人はもはや知らない人はいないでしょ?と思う伊藤比呂美さんがゲストだった。
今回も参加者が飛びつきやすい方がゲストなのかしら?と思っていたら教室に今も参加されていらっしゃるような方で
私にはむしろ新鮮味があった。
違う角度から詩について、詩を読むことについて考えさせてもらえたからだ。

相変わらず話が逸れるけど
(昨日KADOKAWAチャンネル無料期間だからと観倒して松田優作「蘇る金狼」も観たばかりなので「木星にはいつ着くんだ?」とか絶命時のセリフ言ってみたい。すでに言ってる。しかし70年代の日本映画ってちょっとアメリカンニューシネマみたいでエネルギー溢れてた。荒唐無稽すぎる部分もあるけど私は全然イケる)
この会が進行中にチャットでダイレクトメッセージがきた。ZOOMは仕事でも使うし詩関連でもお世話になってるが開催中の個人メッセージは初めて。
以前冷泉荘詩話会でご一緒したことのある方だった
「あちらでご一緒しましたよね。よろしく!」みたいな。
こんなひそやかなやりとりも出来るんだわねー。
楽しいなZOOM教室♪とほんのり嬉しくなった出来事も添えておく。

本題に戻る(キリッ←できてない、できてない…)
詩を読むことにおいて
興味があまり湧かない作品を読むのは誰にとってもなかなかに困難なことだと思う。
けれど私の心の師「金時鐘」が言っていたように私も何度も書いたように
好きなものや興味惹かれるものは
すでに自分に馴染みがある。表立って出てきてはいないが自分の深部にある
ものが多いように思う。

ぶっちゃけ
好きなものは
人が止めても読むのである。

時代は変化する、人間も変化する。
オリジナルはないのかもしれない。
すべてが二次創作なのかもしれない。
そうだったとしても
やってもみないで
有名な人が書いた言葉でわかった気になる。それが真理だと思い込む。
そんな詩書きにはなりたくない。
そんなもん、もっと正確なものや文献がググればすぐ読めるんだよ2023年。

あがくために、生まれてきた。

                   (part2 10月1日も読んでね~)

アンビリーバーボーな薄給で働いているのでw他県の詩の勉強会に行く旅費の積立にさせていただきます。