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おひとりさまの元旦🎍

2023年になりましたね!
仕事がずっと接客業ばかりだったので、年末年始は顧客のお世話しかしてませんでした。
去年は母を見送った後の放心でいったいどんな風に過ごしていたのか記憶が。
父を亡くした際にとことん向き合わず結果的に長引いてしまったので自分の心の回復を自然に任せようと思っていました。
秋からムクムクとエネルギーが湧いてきました。そうそう、これこれ久しぶりだねー。一年半くらい待ったわよ。

父も母も姉も他界しているので(もうひとりの姉は遠方で家庭を持っています。母の介護やもろもろで他人以上に遠く気を使う相手なため除外)
実質的には天涯孤独です。

20代で俗に言う玉の輿に乗りました。
夫は申し分ない人でした(金銭的な面でもでしょうが、人間的に。経済優先で相手を選択する女性を軽蔑します。事実最初は職業を私に伝えていませんでした。男性側も経済的余裕や学歴を売り物にせず秘す人ほどいいパートナーを見つけてます。目当てで寄ってくる人をふるいにかけているのでしょう。)
ただ実家がかなり田舎の方でその保守的思考との水があわなすぎました。「思想」と簡単に書きますがそこは水俣という場所でいわゆるチッソの城下町でもあります。小さな街でチッソで働く義父側の家族のお義母の思想と水俣病で苦しむ方側に寄り添いがちな私の思想(生い立ちですね。見放される側に目が行きがちです)は徹底的に相容れませんでした。他にも要素はあったけれど根幹は「思想」だと思っています。
曲がりなりにも物書きである私にとって譲歩することのできない箇所でした。

結婚していた時期もここで今書くまで他の理由が大きいと告げ
元の夫にも誰にも話さなかったことです。
20年は経ったのでもう時効でしょう (笑)

たった一冊しか詩集は出していませんがそれに目を通してくださった方なら
私の生い立ちもご存知で離婚しても帰る場所が無いこともご存知でしょう。
だれかが書いていました。

結婚とは、リスクの分散。

だと。
そうだと思います。一度結婚してしまえは経済的に豊かでないほうは非があったとしても離婚の際ものすごく有利で財産の分与もある。知ってます。

私に言わせてみれば

くそくらえ   です。

結婚するときから離婚しようと思う人はいません。実際どんなに賢くても社会的に成功していても
結婚に失敗している人は溢れ返っています(仮面夫婦もこっそり浮気もすごい数)パートナーシップの維持に賢さも社会的成功も関係ないのです。

子供がいるからが理由?(私はつくってません。これも詩集にあります)
将来の不安で?

もうすでに気持ちの離れきった人と一生を過ごす?


下手かもしれんけど死ぬまで詩を書くことを選択した。
人はどうでもいい。
詩は鏡のように書いた人間の心を映す。人を巻き込んだズルは出来ない。

「ここにとどまった方が穏やかに生涯生活できる。」
頭の中で声がしてました。
「口先だけで畳の上で死ねないかもって言う人いるけれど私の場合は
リアルにそうなりかねないよ!」
浅はかな私でもそれは頭にちらつきました。

今の私も何も持っていない。むしろ年齢を重ねてさらにエッジ・オブ・ナイフ生活です。
同年齢の人は退職後の生活を考え始めたりしている。
去年は救急車を呼ぼうかと思うほどの出来事もあった。
(結果的に呼ばずひとりで対処した。)
大晦日も元旦もひとりで過ごしている。

負け惜しみじゃなく
自分をかわいそうだと全然思ってない。
ほぼ初めてのちょっと余裕ある年末年始のお休みを(会社員で休みのときは休みに合わせて寝込んでたことが多すぎた。責任感が体にまで染みこんでいたのね)大掃除とか頑張ってして年賀状も丁寧に相手の顔を思い浮かべながら書いたりして
ひとりぶんのお雑煮とか料理を作ったりして楽しんでる。
(人の分だと気を遣うけど食べるのがセルフなら多少アレンジして作れて喜び♪)

最近気付いたのですが
自分が結婚した年月日もすっかり忘れていました。
犬を買えないのだけは痛恨だけど
そろそろだよねと
終の棲家について考え始めてます。

家も無いし家族を見送った。
これからは、自分のためだけの人生。

大腸も順調に回復し血液検査もオールクリア。
両親からの遺産は一円も無い、が。
父が遺してくれたタヌキ的愛嬌笑顔と
母が遺してくれた野良猫ソウルがある。

2023年。そしてこれから。
どこにでもいける。
たとえどこにもいけず無残にどこかで朽ち果てたとしても
後悔はない(いまのところ、ね。)
自分を信じて選択しチャレンジしたことは
死ぬまで心に遺せる。

(本年もどうぞよろしくお願いします)

                           網野杏子 拝

アンビリーバーボーな薄給で働いているのでw他県の詩の勉強会に行く旅費の積立にさせていただきます。