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闘う君の唄を闘わない奴等が笑うだろう

※あみのお決まりの一気書きスタイルです。語尾不統一、誤字等ご容赦くださいませ。

立春も過ぎていよいよどことなく春の気配を感じるのは福岡という南の土地だからでしょうか?

PC検定も無事にクリアでき翌日にこちらにも書いた詩の合評会に行ってきました。

冷泉荘詩話会の前半では現代詩の流れと重ね合わせて、講義よりもやわらかく玄英さんがひとりの詩人をピックアップして話をされます。

1月度の詩人は「萩原朔太郎」(先月が第一回だったそう)
心でつぶやきました。

超ラッキー!

詩を学ぶなら朔太郎を外す人なんて多分誰もいないはず。
大阪文学学校のクラスでは私が通っていたころ(今は不明)合評オンリーで日本での詩の歴史の流れ、外せない詩人、外せない作品 など
通常講義にはなかった。
習うより慣れろ。方式ですな。これはこれで良かったけれど
書く年数も長くなると好きだからこそ知りたいことも増えていく。
なおかつ
学んだことによって

そのスタイル(形式)は
すっげーーーー古い
やりつくされているんだからそれするなら、さらに加えるか工夫必要かも

などなど考えたり出来る。

私は詩作スタイルはスーパー大雑把に分けたらふたつ。だと思っている。

1から100タイプ (今までのスタイルなどを知識としてインプットされている。多くの文章を読んでいる人がこちらを選択してる気がする。いわゆる換骨奪胎スタイル。カッコイイ作品になりやすい)

0から1タイプ(自分の生き様、思考が身体フィルターを通して言語につながるタイプ。読書量が多いわけではないがならではの個性が炸裂する。読む人によっては訳がわからないけどハマル人には唯一無二の作品になりやすい)

どちらが優れているとかは、ない です(断言)←馬鹿はすぐ断言するらしいよ(笑)
(批評しにくいのは圧倒的に後者だけど)
私は後者スタイルだけど1から100スタイルを学んでおいてなにも損はない。

いつかどこかで自分の作品に生かせる日が来たりするのであるから。

お話内容、合評内容はここでは書かない。
お金払って学んでるんだもん(ケチかよ!)
この時代になってもまだ実際に時間と手間をかけて足を運ばないと手に入らないものはあるのですわ。

今月は朔太郎晩年詩集でで最後になるらしいからどうにかやりくりして行きたいなと思っている。
作品書けるかなー。
実質一年半ぶりに書いた新作は思っていた以上に評価が良くて嬉しかった。誉められてうれしかった。というより

「自分でなかなか書けたかもと思った作品と人からの評価にあまり差がなくなってきている」
これを確認できた。そこが最も嬉しかった。

ものすごく嬉しかった感想もいただいた。初めて参加された方らしいけど
「朔太郎が立ち向かわなかったことにこの作品は立ち向かっていると思いました」「中島みゆきの唄を聴いてるような」といわれた事。

嬉しすぎて自慢になってしまいました。すみません。

ひー!恐れ多いーーーーーーー!相手は現代詩の神様じゃーーーー!歌姫なんじゃー!
(詩については天狗に決してならないそこが私のいいところ)

と思ったけど最近ちょうど中島みゆきをいまさら好きだという知人が出来て
久しぶりに聞いたりして

さすが谷川俊太郎を卒論に選んだだけある人だわ。歌詞ものごっつい。
と感じたばかり。

タイトルの「ファイト」の歌詞も
ラジオのハガキがきっかけで作られたとは知っていたけど
ユーチューブで読んだコメントに

「ファイト」は応援 の意味でなく
「闘え」の意味で書いたらしい とあった

それを読んで思わず泣いてしまった。
ちょうどそのタイミングとシンクロしていたから。

2月25日はゲストが竹中優子さんに決まっている松下育男さんのZOOM講座に参加予定で
3月5日は豆塚エリさんの講座に申し込みを入れた。
https://resolatenjin.jp/news/2023/01/19/240/

(まだ若干席があるみたいですよー(2月5日現在)無料ですぜひー)

楽しみ楽しみ。

お二人とも個人的にお話したことがあるからこそ言える。

それぞれにずっと、闘い続けている。
それはもう、闘い続けている。

だからこの二人が世に出たのは当たり前だと思っている。

私もいろんな場所で色んな熱を浴びながら
どんなにみっともなくても、人に笑われることがあっても
死ぬまで詩にしがみついていきたい。

                      (おしまい)

アンビリーバーボーな薄給で働いているのでw他県の詩の勉強会に行く旅費の積立にさせていただきます。