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おはようございます。金曜日の朝ですね。

今日出勤したらお休みの方も多いのでは。あとひとふんばりですね。

今朝も少数の友人だけに開いているSNSからですが私にとって思い入れの強い日記です(一部加筆)。最後まで読んでいただけたらうれしいです。



4日夜にBS2で放送されていた
「知られざる渥美清」を見た。

彼のことは寅さん俳優としてしか知らず
しかも寅さんはほとんど見ていない。
私はお決まりのストーリー(だから吉本新喜劇も好みではない)

がどうも苦手で、古臭いと感じる上に格好悪く思えていたからだ。

ドキュメントが進行するうち渥美清という人物が真摯に演技と向き合うプロの俳優だったということが痛いほど伝わってくる。

演じる上で彼には拘っていることがあった
自分自身で見、聞きするか体験したことを演じること

(実際ほとんどの作品が彼の実体験と重なっている)

渥美清が言うには結核にかかった事のない人がする咳と
本当に結核になった人がする咳は明らかに違うらしい

常に、取り残された側の人や庶民を演じること。
興味深いことに、彼が真正面から正攻法で取り組んでシリアスに演じたものは、あんまり面白くない。評価も芳しくない。

可笑しくって、実は哀しい

それを演じさせてこそ、輝く俳優

まるで私が好きなチャップリンのようだ。
放浪紳士チャーリーとフーテンの寅
なんだか 似ていなくもない。

山田洋次監督はTVシリーズ最終回でスタッフの大反対を押して
ハブに噛まれて寅さんを死なせた。
確固とした理由があった。

「寅さんみたいな人は、この社会では生きていけないんです」

ものすごい抗議の数でスクリーンに蘇った寅さん。
一作あたり10億円を稼ぎ出した寅さん。
渥美清が死んで寅さんが終わった4年後、ドル箱を失った松竹の大船撮影所は、閉鎖に追い込まれたということだ。

心を入れ替えて、今度寅さんを見てみよう。
渥美清が演じる上で拘っていたことと私が書く上で拘っていることは
まるで同じじゃないか。
彼が憤りを感じていたことは私のそれととても似ているじゃないか

小説の中で、まるで流行のように登場人物が自殺する。
エキセントリックな環境が嫌というほどもてはやされる。
だって
それは
読んでいる人にも
書いている人にも
客観的に見られるフィクションだから。
たとえフィクションでも
実感を感じられたらそれだけでいいのに
私がそれを見出せるのはほんの僅かで
ほとんどが
ただ
きれいに
しぬ。
この憤りは、多分大切な人を亡くした人にしかわからない

現代詩のコミニティを探すと
その大半が
教師、大学で詩を勉強した、文学部出身
現大学生と院生に占められる

それが悪いと言ってるんじゃない
その割合こそが、問題なんだ。

金時鐘氏が目を細めながら言っていた
「フランスという国では詩が日常生活に息づいていてね農夫がジーンズの後ろのポケットに当たり前のように詩集を忍ばせて農作業の合間にそれを開いたりする。今でもそうかわからないけどいつの日か必ず行ってみたい国なんです」

私は昔、書くことをあきらめていた
ある日気が付いてしまったのだ
音楽に音痴が存在するように
どんなに好きでも
作品を書くと私は「詩」音痴だった
小学生のときから書いてきた、子供の頃から父に詩を暗誦させられていた
それでも
私よりもっと後に詩に出会った人たちの方が
人に誉められる「詩」を書けていた。

一人でたくましく生きているとか
若くして管理職にまでなったとか
20才そこらで封筒が立つくらいの給料をもらっていたこともある私に
お世辞半分で人が言っていた
安易に羨ましがってなんか欲しくない

あの頃

大学で知識を手に入れたあなたたち
17才から風呂もトイレも共同のアパートに住み、高校に行きながらバイトに明け暮れて食べるお金を稼ぐ術を手に入れた私

どちらにも、手に入れられなかったものはあるのだから。


でも
今からでも遅いはずはない

いつか

「詩人の人生に無駄なものは一つもないんだよ」
そう言って今もなお商業に紛れず、
孤高に立ち続けるあの老詩人に認められる詩を書きたい
賞なんか取れなくていいから
願わくば
農夫のような詩に触れることが少ない人たちのポケットに入れてもらえる詩を書きたい
デリダもイエーツも勉強してなくても
いつまでたっても詩音痴が直らなくても
堂々と恥ずかしがらず自分の感性で
詩を読んだり書いたりしていきたい

詩には、その力があると信じている。


「麦」  石原 吉郎 ※


いっぽんのその麦を
すべて過酷な日のための
その証としなさい
植物であるまえに
炎であったから
穀物であるまえに
勇気であったから
上昇であるまえに
決意であったから
そうしてなによりも
収穫であるまえに
祈りであったから
天のほか ついに
指すものをもたぬ
無数の矢を
つがえたままで
ひきとめている
信じられないほどの
しずかな茎を
風が耐える位置で
記憶しなさい

  ※(思潮社現代詩文庫『石原吉郎詩集』より)

アンビリーバーボーな薄給で働いているのでw他県の詩の勉強会に行く旅費の積立にさせていただきます。