親の子ども時代から私を育てるまでを私なりに振り返る#2

「わがままだっていいじゃない」

「子ども時代」でも綴っていたように、私はおとなしくて良い子だった。
まるで呪文を唱えるように母は私に、「おとなしくて良い子」というフレーズをたくさん染み込ませてきた。
「わがままになってはいけない」「あなたはおとなしくて良い子だから」
それを私は当たり前のように受け取ってきたし、子どもとはそういうものなんだという事を疑うことなく生きてきた。

まるおにはわがままになってほしくない。
まるおにも良い子に育ってほしい。

私も母と同じように「呪い」をかけてしまっていたようだ。

「夫」という第三者の目を介して

夫自身の生育環境も「複雑」ではあった。

自営業で両親が不在の中、兄妹三人(夫は長男)だけで過ごすことが多かった、という話を聞いていた。その一方でそれぞれの祖父母や伯父叔母に可愛がってくれた、という羨ましい話も聞くので、私とは比較にならないと思っている。
だからこそ夫も人間である以上、感情で言っている面もあるし、時には理解し難い面があるだろうことも承知している。
だけど間違いなく、「第三者」から見て感じたままのことを言ってくれているその目は、事実だと受け止めている。

最初に夫が挨拶に行った時に抱いた母への第一印象は、「しっかりとした思いを持ってシロメガネを育ててくれたお母さん」という好印象だったようだ。
だから、メンタルが不安定な私のことを、母と一緒に自分を叱咤激励しなければ・・・と思っていたらしい。
それが間違いだと気づいたのは、まるおを育てる中での私の考え方や声の掛け方に違和感を覚えたから。
その頃、私は前職で学童期の子どもたちと関わることが多かった。先生たちと子どもたちのことで話し合いをたくさんしてきた中で、たくさんの「おかしい」が増えていった時期でもあった。そのことで苦しんでいて、あの小さい身体にたくさんの「ストレス」や「やるせなさ」をぶつけてしまっていた。今にして思えば「虐待」と捉えられてもおかしくないと思う。
夫は夫なりにいろんな知識を得ようと、「発育」や「毒親」などに特化した本をたくさん読んだ。その中で私が育ってきた環境があまりにも「過酷」すぎたことに、私よりも早く気づいてくれた。
話してくれた内容が難解すぎてすぐには理解できなかったけれど、少しずつ噛み砕いて話してくれたことで、ちょっとずつ納得できるものが増えていった。

実は寂しかった子どもの頃

父は帰ってくるのが遅かった。土日いないのも当たり前。
だがしかし「仕事」だったら理解できる。というのも我が家は他の家庭とは違う特殊な事情があった。

ある「宗教」に入信していたから。前置きしておくが、結構マイナーなやつだ。

父はいわゆる「布教活動」といわれていたものに参加していたので、会社終わりはもちろんのこと、貴重な休日をそれに費やすことが多かった。
それは家族のため、ひいてはあなたのためなのよ」と耳にタコができるほど聞かされ当たり前だと思っていたのは昔のこと。今の私には一ミリも理解できない。

「ウチは裕福ではないから贅沢ができない」
「お友だちの家では当たり前のことでも、うちにとっては贅沢」
「良い子なんだから理解するのが当たり前」
それらを嫌になるぐらい聞かされ、刷り込まれてきた。当時友だちが当たり前のように発している言語行動を「ありえない」と思っていた一方、それは「羨ましいと紙一重であったのだと思っている。

全部でなくてもいい。その活動に参加しているうちの一回ぐらいの情熱を家庭に傾けて欲しかった。その活動に行くためにかかるお金を家族との時間に使って欲しかった。
新幹線に乗って行く旅行じゃなくても、海外じゃなくてもいいから、電車やバスに乗って観光スポットや遊ぶ場所にたくさん連れて行って欲しかった。ちなみに電車に乗って行ったのは「宗教の聖地」ぐらい。でも電車は混んでるし、僻地みたいなところだし、何一つ良い思い出はない。
唯一嬉しかったのはディズニーランドに連れていってくれたことと、父の生まれ故郷に行ったこと。その時に初めて会った年上の従兄弟たちと遊んだ思い出は今も楽しい思い出として刻まれている。

ちなみにだけど、結婚前に夫と行った伊勢神宮の話が母から未だに出てくる。
きっと母の心中は複雑だったのだろう。「良い子」のシロメガネが「男」と旅行に行った。しかも伊勢神宮。
後から、いや、あの時行った伊勢神宮は意味があったわよ、行って良かったじゃない、別になんとも思ってないわよ、とお前何様だよ的な言い訳のごとく言ってくるけど、やっぱり旅行に行くなんて贅沢、って思っている節、今もあるだろうね。まぁシロメガネ家計が厳しいんで今は旅行行く余裕ないんですけど。

話がそれたので次に続く。


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