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出産

出産直後、といっても4ヶ月後くらいに書いた日記をmixiで見つけたので一部加筆修正して載せま〜す。今日は娘10歳の誕生日。

はーもう3/16です。驚き桃の木20世紀です。
12/6に出産しましたけれどもね。元気な玉のような女子です。
書きたいこと滝のように山のように海のように一杯あるんですけれども
もうほんとにめんどうです。いちから話すのほんとうにめんどうです。

陣痛の痛みについてだけ言っておこう。
とりあえず今まで痛い事とか無かったと思うんです。この人生。
骨折とかもしてないし、大きな事故や手術も経験したことないのです。思い出せる限りで一番痛かったのは、中学生の時、私の右手が友達が蹴った平均台の下敷きになった時だと思います。
平均台の下の隙間からケツを出して数人が待機して、そこめがけて寝そべった私が壁を蹴って浣腸をしに行く、みたいな意味わかんない遊びを授業中にしていた際の事故でした。誰の尻が浣腸されるかわからないというスリルがこの遊びの醍醐味でした。友人の尻めがけて発射した私という名のミサイルは、あと数センチでケツに到達するというところで、ターゲットであった友人Hの突然の起き上がり、そして目にもとまらぬ速さでの平均台キックにより、平均台の下敷きとなったわけです。
なぜか右手だけが犠牲になりました。その時は右手がじんじんして、ビリビリして、みるみる患部が真っ黒になっていって、あ、これどう考えても折れてるな、と思ったんですけど、一ミリも折れてませんでした。数日依田整形外科に通ったら治りました。

まあそんな話はほんとうにどうでもいいんですけれども。


陣痛の痛みは、色々な表現の仕方があると思うのですが、私の感覚だと「お腹の中に入ってるボーリングの玉(13ポンド)がものすごい回転しながら下から出ていこうとしてる」って感じでした。

軽い陣痛がはじまり、病院へ。簡単な診察後、「今日産まれますね、とりあえず入院の準備します。」なんて言われ、部屋の準備をしていただくことになりました。その間、診察直後くらいから結構な陣痛がきてたのに、お昼ご飯食べてないことがすごい気になって、仕事を早退してきてくれた妹と共に病院内にあるローソンまで歩いて(ローソンに着くまでに8人ぐらいに「大丈夫ですか!?」って声をかけられました)、かつ丼(好きじゃないのに)を買って、病室のあるフロアまで戻って、「ちょっと携帯充電してくる」と妹を置き去りにし自分の入院する部屋に向かったんですけれども、そこにベッドがあったのでちょっと横になったつもりが、そこから怒涛のような痛みが襲ってきました。病室には旦那と両親しか入れないので、結果として妹は意味も分からずそこに置き去りにされることになりました。

どんくらい痛かったかというと、ほんとうに声を抑えられない痛みでした。なんかもうすでに死にそうに痛いのになぜか病室に誰もいなくて本当に恐怖でした。とりあえず「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」と叫び、助産師さんがやってきました。「結構痛そうですね~」なんつって。おい。なんてお気楽なコメントだ。というかたぶん時間的にまだまだかかるであろう出産ですが、初っ端からこの痛みだと死ぬなと思いました。いや、こんな冷静ではなく、「待って!?こんな痛いの!?これずっと続くとかヤバいんだけど!!!死ぬんですが!!!」って感じでした。それからもうかつ丼どころではなく、携帯の充電どころでもなく…って感じでした。

友人に陣痛がきてる最中にのんきに「そろそろ生まれそうですか」的なメールしてしまったことがあるんですが、その友人に、約束していた通り「陣痛来ました」って連絡をしたところ、「あーまだ携帯打ててるならこれからだよ」と返ってきて戦慄しました。その時はたぶん7分間隔くらいだったと思います。7分痛くなくて1分くらいめっちゃ痛い、みたいな。


んでほんとに携帯ってなんやねんみたいな痛みが巻き起こった瞬間がありました。まじでさっきもう限界って思ってたのに、もうほんと無理無理あかん無理無理あかん無理無理あかんって感じの痛みです。ですが子宮口はまだ7cmくらいでして、「まだ出したらだめよー」って助産師さんはおっしゃるのです。何度も何度も波があり、その都度、下半身全体がスポーンって抜けそうになるぐらいのPOWERで出ていこうとするボーリングの玉。助産師さんが波が来るたびに、下半身の出口という出口を全力で押さえてくれました。ほんとうにあの方が居なかったら、私は子宮口が開き切る前にボーリングの玉を排出していたでしょう。その際、内臓やらなにやらが破れに破れ、無残な死を遂げていたことでしょう。ありがとう、だれだかわからないけれどあの時押さえてくれた人。(のちに同じ保育園に通わせていたママと判明)


そうこうしているうちにもう本当に生き地獄ってこれかーって思うくらいの波が来ました。私はどうすることもできず、歯を食いしばりました。「ぎぎぎ」という音が奥歯からしました。ああ、もう一回でもこの同じ痛みのヤツきたら死ぬわ、って思いましたがその時に朗報が舞い込んできました。「子宮口全開です!!」

そういわれてもその時は、はあ、なに、はあ、そうなの、って感じでしたが、今までは胎児のように横に丸まるような姿勢でいたのが、仰向けにされ、ハイパーーーーM字開脚を強いられました。もうほんとに世界丸見えです。でもほんとうにそんなことはどうでもいいのです。ただこの状況を抜け出したい。っていうか痛い。まじで痛い。
「それでは、全開なので、今度波が来たら踏ん張ってみましょう」と言われました。
その時痛みの波は2分間隔くらい。2分痛く無くて1分痛い、くらいの感じです。ただ、もうすでに満身創痍という感じで2分どころか一回息吸って吐いてる間に次の波が来るような短さに感じました。

そのあたりでめ~っちゃめちゃのんきな旦那登場。
じつは旦那とは陣痛がきてから連絡がつかず、最近徹夜続きだったので電車にひかれでもしたのか!?などと凄く心配になり、会社に電話したところ「今日藤田さん夏休みだよ」と言われまじで疑問符が百個くらい浮かんでる最中にこの激痛な状況になったため、旦那の顔を見た瞬間にはかなり驚きました。
波の合間に「どこいってたの!?会社に電話しても休みだって言われたんだけどまじいみわからないお弁当も作って持たせたのにどこいってたのこのクソバカ」というようなことを言ったら「かぐや姫物語を見に行ってた」と言われました。
会社休んで映画ですか。はあ。全然意味わからない。と思う間もなく次の波。ニヤニヤして一応手を握ってくれる旦那。意味わからない。けど多少安心する。

次の波間にさらに詳細について聞いたところ、「朝電車の中で一件確認する事項があって、それがOKだったら今日休めるなーと思ってて、電車の中でいきなり休むことにした」と言っていました。最近の徹夜につぐ徹夜、休日出勤、全部浮気のいいわけだったんだろうか…!?などということも多少頭に浮かんでおりましたけれども、ははあ、なるほど。そういうことですねって理解ができました。これはもう友人たちに話すと全員理解しがたい感じでしたが、一応夫婦なのでこの人嘘言ってない、そう、こういう人やねん…という感じでぎりぎりの精神力の中でもなんとか許すことができましたので、より一層出産に集中する態勢が整いました。

そんなタイミングで何度も何度もイキみました。イキむ際には全身全霊すべてを排出する気概で挑みます。うんこですか?絶対出ますよ。出さないと無理です。幸い私は蓄積物がなかったため出ませんでしたが。イキんでいいよといわれてからボーリングの玉を体内にとどめる努力をしなくてよくなったので、かなり体感的に楽になりました。とはいえもう無理。体力1位しか残ってないです。そんな時に美容室で髪切ったあとに後頭部の様子を見せていただくようなノリで、大きな鏡で陰部を見せられました。信じられないことに赤子の頭がちょこっと見えました。ほんとうにあんなにあんなに痛かったのに、何もかも吹き飛ぶくらいびっりしました。
※今この文章を見てそんなシーンあったっけ!?と驚き

そうこうしているうちに、あの、会陰切開しますので、次イキんだら出ます。って言われました。会陰切開というのは陰部をちょっとハサミで切るという至極恐ろしい行為です。ただ、その痛みにまったく気づかないほど陣痛は痛いのです。そしてジョキンという音。ああ、切られた。次ででるんだ…ドキドキ。きた!なみきた!最後だと覚悟し、ほんとMAXパワーで挑みました。だが!なんかしらんが出ない!
「ごめん、次ラスト!」と実に気軽に言われました。ほんと慣れてるなぁ、気軽だなぁと思ってる間に最後の波。全力を尽くしました。もうカラカラのかれた砂漠で最後に雨乞いするような…そんな振り絞りでした。そうしましたら助産師さん全員に突然「もういきまないで!!!」と言われました。わたしはフと下半身の力を抜きました。そこで聞こえてきたのは水を含んだような産声。「ぷぎゃ」と聞こえました。

CHANGE THE WORLDって感じでした。ゆっくりとゆっくりと引き出される胎児の体。体が全部外に出る前に我が子は大きな声で泣きはじめました。その時の感動は言葉では現せません。あの瞬間、良かった…ほんとに良い…


そんな感じで子が産まれました。診察を受けてから5時間10分。2786g。プリティ~むすめです。


後日談ですが、情熱的に色々書いてますけど、実際にはものすごいクールな患者として扱われてました。声もさんざん振り絞ったつもりでしたが、となりの妊婦の1/10くらいの騒ぎぶりだったそうです。また旦那との痴話げんかなども含め、初産なのに余裕な経産婦として扱われました。


陣痛のあとがきですけれども、ここまで書きましたが、実はもう一段階くらい痛くなると思っていました。死ぬほど痛いと人に言われてたので死ぬつもりで挑んだんですが、死ぬまではいかなかったです。でも人によってはマジで黄泉の国が見えるそうなので、死ぬんだ、と思って挑んどいて損は無いと思います。


こんな長いの誰が読むんだろうと思いつつも、今日は娘の100日。お食い初めの儀を執り行いました。なんかすごい嬉しかったので、そんなんで、誰かに聞いてほしくなったのでした。おっしまーい。また気が向いたら何か書きま~す。

おしまい。臨場感のある文章でしたね。
これがmixiに書いた最後の日記でした。
10年前、あと二時間ぐらいで娘が生まれますね。
正直、産む時よりも産んでからの方がうんと大変でしたが(私が)、娘は元気に塾に行きました。
まるで一人でここまで大きくなったような顔をして、生足をニーハイで覆って足を組んで助手席に座っていました。
心優しい娘に育ちました。全ての神よ、ありがとう。

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