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転校生の憂鬱

小学2年生の時に親の都合で転校をした。同じ札幌市内ではあったが、東区から、手稲という山の方に転校になった。家から学校まで1.5km、山道を歩かねばならず、とはいえ若いので何も大変ではなかったが、転校した先では色々な経験をした。
私は一年生のときから先生に絵が上手いと褒めてもらえた。他は何も記憶にございませんが、絵だけは描き続けなさいね、と転校前に言われたのを覚えている。親ではなくて第三者に褒められた経験というのは変に自信がつくもんだと思う。わたしは、絵が上手いのかもしれないという根拠のない自信だけを持って、手稲の学校に行った。

これは一年生の時の先生にすごく褒められた絵だ。先生がみんなの前で褒めてくれた。

これは正直覚えてない。

転向した先でも友達はすぐにできた。転向したことのない人は知らないかもしれないが、転校生というのは妙に人気が出る。1時間目、自己紹介を終えた後に、机の周りに知らない顔の友人が群がる。どこからきたの!?なんて名前で呼んだらいいの!?などの質問を浴びせられる。私は小学校を2回転校しているので、この経験は2回ある。割といい気分だ。だけどすぐに飽きられる。そこからはまぁ、自分の世界で過ごせば良い。2年生の頃の自分は何も考えていなかったので、寂しさも悲しさも何もなかった。
図工は、別にステージが変わろうとも、最も楽しみにしていた時間だった。今回のお題は「自分の理想の世界」を絵にしようということだった。とりあえず、理想的な世界というのは、明るいものだろう、紙吹雪が舞い、パレードとかやっているだろう。ピエロもいるだろう。そんな感じだ。知らない国と思われる場所だが、今思えばイメージはイオンの特設ステージ的な催しをイメージした気がする。想像はすぐできたので、即着手。図工の時間というのは数時間かけるものなので、2時間目、日を開けて3時間目、4時間目、と色つけまで進めたところで、先生がハイ注目〜的な感じで私の絵をみんなの前に掲げた。
「みんな、理想の世界というのはこういうことです。みんなどうして自分のお部屋を描いているの?それは自分だけの世界だよね?こしばさんの絵を見て、考え直してくださいね。」
ごんべえ先生というあだ名の初老の先生に、そういう感じで自分の絵を褒められた。褒められた!嬉しい!みんなは着色まで済んだその絵を最初から描き直すこととなった。私はそのまま続行だったので、虚無の時間ができた。
そうしたら、おそらくクラス内でヒエラルキーの最上位であろう背の高い美人の女子2人(なんだか大人びている)の班に突然呼ばれた。机を3人でくっつけて、絵を描くことになった。先生に大胆に絵が褒められたということで、突然最上位の2人に仲間と認められたのだった。何を話したかは覚えていないが、確かに2人の描いていた絵は、自分のお部屋の絵だった。洋服がいっぱいあって、可愛いベッド、可愛いカーテンなど、素敵な大人っぽい空間が広がっていた。それはそれで今思えばいいと思う。
理想の世界を描く課題が終わった後、それはもうあっさりと2人と遊ぶことは無くなった。用済みというわけだ。小学生は正直だ。
その年の学級文集の表紙は、この理想の世界を描いた絵が採用された。私のではなく、あやちゃんの描いた絵だった。パレードとピエロがいて、紙吹雪が舞い、みんな笑っている明るい絵だ。
私は表紙を見た瞬間に、この世には実力だけではどうにもならない利権関係(?)のようものがあるということを知った。毒舌になるが、明らかに私の絵をパクって描いたものだが、そして、私は奥行きある3D(のつもり)で描いたが、あやちゃんの絵は2Dだった。申し訳ないがパクリの上に劣化版だ。ごんべえ先生はあのように私の絵を評価してくれたが、それすら、利用されたと思った。こういう絵を表紙にしたいから、転校生以外の人、誰か描いてくれ、という説明だったんだと思った。
誰にも文句は言わなかった。ただ、どうしようもないことがこの世にあるのだと知った。母には話したと思う。それで、転校生だから選ばれなかったんだよ、と諭された気がする。いまだに納得いってない出来事である。
結局そのあと、3年生の終わり頃にまたもや親の都合で釧路に転校になり、一年ちょいしか在籍していなかったが、釧路でその後ずっと仲良くしてくれる友達が何人もできたので転校も悪くないと今なら思う。

一年ちょいしかいなかったあの学校で、私のことを覚えている人は1人もいないだろう。私は何人か覚えてる。でもきっとあちらの子達は誰も覚えてないだろう。私の写真もないだろう。私の顔も誰も覚えていないし、ごんべえ先生は年齢的なことを考えても死んでいる可能性が高い。いい先生だったと思うが、最後までみんなのようにごんべえ先生と呼べなかった。私の絵のことも誰も覚えていない。あやちゃんは覚えているだろうか?覚えていないだろうな。私を席に呼んでくれた2人の美人さんたちも私のことを覚えていないだろう。あの時は美人だったけど今どうなっているんだろう。幸せに暮らしているかしら。

母が私の絵を写真に撮って送ってくれた。記憶の中にしかなかった絵を、母は取っておいてくれていた。やはり母は最高だ。そしてあの出来事は妄想ではなく、真実だったのだとあらためて突きつけられたのであった。転校生よ、負けるでない。

そんな憂鬱さを感じないほど、母から送られてきた絵は愉快だ。自由だ。だから、いつかそれが仕事になるのだよ、大丈夫だよ、と当時の自分に伝えてあげたいと思った。文句をつけがちの文章になってしまったけど、絵はどこまでも自由なので、当時の自分に謝りたい気分になった。ごめんよ!!性格は陰湿のままだ!笑

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