ちがういきもの

Eテレで、アリの生態をあつかう教育番組をみていた。正確にはアリの巣に入り込むアリじゃない生物について。アリの巣の中には、こういう居候が結構いるらしい。アリそっくりのクモで、アリに擬態してて、アリのふりしてエサをもらって食べている、とか。あるいは巣の構造物そっくりでじっとしてて動かないから気づかれなくて壁の一部なんかだと思われてて、実は気づかれないようにちょっとずつ移動している、とか。

おまえ見るからにアリじゃねーだろ、アリは気づかないのか? と思うけど、アリ研究の先生によると気づかないのだそうな。というのもアリは視覚ではなく匂いとかフェロモンとか温度とかで外界を知覚しているので、アリそっくりのフェロモンを出してれば、周りはアリと認識してくれるのだと。すごく怖くなった。もしこれが人間だったら?

われわれの多くは、視覚と聴覚を主につかっている。他に嗅覚味覚触覚。超能力のある人は6つめとか7つめとか。しかし視覚ひとつとっても万能ではなく、人間の可視光線の波長は限度があって、赤外線や紫外線は見えない。たとえばモンシロチョウは、われわれから見ればオスもメスも白いチョウチョで、ぱっと見では見分けがつかないが、モンシロチョウ自身は紫外線が見えて、紫外線だとオスが黒っぽく、メスが白っぽく、そりゃもう一目でオスメスがわかるようになっているのだ。しかし人間には見えてない。

聴覚だって、人間に聞こえる可聴範囲とそれを超える超音波ってやつがある。嗅覚や他の感覚もそう。人間は、あくまで人間に知覚できる範囲で知覚しているのだ。当たり前っちゃあ当たり前だが、それが世界の情報のすべてではないどころがごく一部に過ぎないことも忘れてはならない。

偽アリは、人間の視覚なら一発でクモと分かるのに、アリたちの知覚世界ではすっかりアリとして認識されている。もしかしたら人間世界にも、こういう存在がいるのではないだろうか。人間の感覚で同じ人間と認識されていても、五感以外の何らかの知覚、例えばヘビは舌先で温度を精密に感知するそうだし、それこそ昆虫はフェロモンで会話したりする。そういう人間が知り得ない方法で認識してみたら、実は人間ではない全然別の生き物が紛れ込んでいる、ということはないのだろうか。

映画好きな方ならジョン・カーペンター監督の「ゼイリブ」を想起されるかも知れない。ある男が特殊なサングラスを手に入れる。そのサングラスで人間たちを見ると、実は人間と人間そっくりに擬態している気持ち悪い怪物が混在していることがわかる。怪物らは巧みに人間社会に紛れ込み、人間たちを支配し、搾取していたのである。

人間社会で生きていると、ときどき同じ人間とは思えない人に出会うことがある。あいつは人間じゃねえ、などと言うこともある。人間じゃないのかもしれない。本当に違うのかも知れない。下手すれば本人も気づいてなくて、人間のつもりで暮らしてるけど、実は違うのかもしれない。人間に理解できるセンサーでは知覚できてないだけかもしれない。

あるいは自分の方が違うのかもしれない。人間じゃないかもしれない。でも気づいてなくて、ちょうど醜いアヒルの子のように、一生懸命みんなになじもうとしているけどどうしても上手くいかない、なんでだろう、ということなのかもしれない。でももしかしたら、そもそも別の生き物なのかもしれない。

そう考えたら怖くなると同時に、ちょっと楽になる気もする。なまじっか「同じ人間だ」と思ってしまうから、思い通りにならなくてイライラしてしまうのではないか。そこでそうか、人間じゃなかったのかと。あいつもそいつもこいつも、違う生き物だったのかと。あるいは俺が違ってたのかと。そうなれば楽になるだろう。それは人によっては腐った老害の処世術にみえるかもしれない。世の「不正」と戦わず、見て見ぬふりをする唾棄すべき諦念にみえるかもしれない。そしてその指摘は当たっているかも知れない。ただ自分の心情的には、今とてもしっくりきているのも事実なのである。

幸い今の自分は同じ種族(たぶんそうと思われる、確証はない)あるいは近い種族を何人か見つけて、そいつらとまあまあ仲良くやって、人間社会ともそこそこ折り合いをつけて暮らせている。自分としては上出来だと思っている。もうすぐ50歳だし、あとちょっと稼いだら死ぬだけなんだし。ダメかしら。

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