愛国心は持つ方がいいのか

愛国心とは自分がすんでいる国を愛する心である。国を愛することは一見いいことかも知れない。しかし、国とはなんなのか、学校では国はこう教えられる。政府と領域と国民である。これは確かにそうかもしれない。しかし、学校で教えられる事は嘘である。それならば北朝鮮や沿ドニエストル共和国など国として定義される。しかし日本国政府は国として認めていない。もうひとつ政府が国際関係を考慮して勝手に国か国じゃないかを勝手に決めているだけに過ぎない。話がそれてしまった。私は国というものはその土地を支配している政府が勝手に領土を主張されている存在に過ぎないと考え、そして、政府が勝手に決めている土地の中にいる人が国民である。と考える。つまり愛国心というのは政府が勝手に支配している土地のことを愛していることである。そしたら国民というのもその土地にすんでいるひとを勝手に呼ばれているだけのことである。国民はその土地を支配しているので、国民は自然と政府に支配(拘束)されている。だから、人間は生まれたときから政府によって拘束されているので自由が存在していない。自由とは無政府状態のことをさす。なので、独裁国家も民主主義国家も国民の自由を拘束されているという点では同じである。しかし、なぜ自由ではないのか?無政府状態だと、殺人や万引きが横領する。今の日本国は殺人や万引きする行動を拘束されているし、多くの国民は殺人や万引きする行動を拘束されることを願っている。だからある程度の自由を拘束(制限)しなければならない。独裁国家や民主主義国家の違いは政府が制限のある自由をどこまで与えているかの違いである。しかし、独裁国家は政府に異を唱えたりできるという言論の自由や選挙でも監視されているという最低限の自由以上に制限をする。一方で民主主義は最低限の自由以外だけを禁止する。政府によるこのシステムを国民が強制的に受け入れされられている。しかし、このシステムに異を唱える人はほとんどいない。話を民主主義国家に限定すると、政府が与えている自由によって、政府に入り込む国民を選ぶことができ、その国民がなにしたいかによって決められている。

話がそれたのだが、愛国心は持ってもいいし、持たなくてもいいからである。繰り返し話すが、政府が勝手に支配する土地を愛そうが愛さまいが我々国民の考えの自由だからである。なので、愛国心という思想に対して強制させることは間違っている。だから、愛国心を国が持たせることは言論の自由を侵害する行為である。以前国旗を破壊するというのを犯罪だとする法案が上がったが、言論の自由を損害し愛国心を強制させるというとんでもない悪法である。審議段階で終わったことに良かったのだが。


個々からはずれるのだが、私は国目線というより、国民目線で考えるべきだと考える。国の発展ですべての国民が幸せになるのだろうかと考える。国という機関よりも国民一人の命の方がはるかに重要である。例えば、もし他の国に併合されることで、自由主義であり今の暮らしより生活が豊かになれるのならば、私は日本という国を滅ぼして、他国に併合されるべきだと考える。(もちろんこうしていくにあたり元国民になるだろう人の理解が必要だが)。私は国を守ることは大事ではないと考えており、そこに住んでいる人々の生活や自由が守られることだと感じている。そして国という縛られた範囲ではなく地球にいるすべての人々に対してのことだ。

むろん国は滅ぼしてもいいという考えだが、その地域の伝統や文化を守らなければいけないことも確かである。それは日本という国が無なっても、可能だと考える。琉球王国が滅ぼされても、沖縄の文化が多少として残るように。

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