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海外でのモデル経験

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海外の事務所にどのような経緯で所属したのか、オーディションや外国人モデルとのシェア生活のエピソードなど、赤裸々に話しています。所属し活動した/しているのは、ニューヨーク、シンガポ…
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#海外でモデルになる

選んだ道を正解にする

モデル業をしていると、いろいろな人に会うことができます。それは、毎回違うメンバーと仕事をするから。ご一緒したことのある人がいる時もあれば、現場によっては全員初めましての状態からスタートすることもあります。 そういった環境にいるモデルにとって、再び同じクライアントから呼ばれることは、ものすごく嬉しく、光栄なことです。けれど、その"リピート” は、決して容易には叶いません。私がそのことを身をもって実感したのはNYでした。 ◆帰る度に、やり直し今回3年半ぶりにNYに来ていますが

モデルになって捨てたもの

求められる場所で頑張りなさい。この言葉の意味を、モデルになってから身を以て実感しました。 そもそもモデルを目指そうと思った当初は、パリコレに出たい!ただその一心で頑張っていたように思います。けれど私のモデル人生では、意識すればするほど「パリコレ」の文字は通り過ぎて行きました。 ◆1度目のチャンスはNYで私が初めてその舞台に近づいたのは、NYコレクションの最中。NYの街中を1日10本ものキャスティングを抱えて歩き回る中、事務所から突然「今からここに行ってほしい」という連絡を

とても小さくて、物凄く大きな一歩

私がモデルとして初めて海外に挑戦したのは、シンガポール…ではなくて、実はパリだったのかもしれません。 かもしれないと書いたのは、まだモデルとしてきちんと活動できていなかった学生のときに、度胸試しとして行ったものだからです。たった8日間。けれどあのときに起こした行動が、モデルとしての小さな一歩であるとともに、大きな意味を持ったものだったのではないかと思います。当時の情景は、今でも私の脳裏に焼きついています。 ◆何一つ準備せず飛び込んだモデルをやるならパリコレ。始めた当初に私

NOと言う勇気を持つ

AMIは写真が撮れない モデル事務所のオーディションに受かり、所属時の面談で言われた言葉は今でも覚えています。 悔しい…そう思うや否や、負けず嫌いな私のやる気に火がつきました。そこから、怒涛の写真作りが始まります。 今回は、そんな新人時代から取り組んでいるテストシュートについて、撮られる技術向上のためにやっていたこと、取り組む中で感じた不安や恐怖、今まさに感じていることについてお話しします。 ◆真似したものに価値はある?テストシュートをするにあたってまず最初にしたのは

もっと、自分本位。

NYにいたとき、ハプニングは常につきものでした。そしてそれに付随する「ごめんなさい」という謝罪の言葉。 日本とは異なる環境の中で、本当に発するべきときとは?外国人が頻繁に言わないのはなぜ?度重なる出来事の中で、いつしかそんな疑問が大きくなっていきました。 ◆”私のせいじゃない”けど…8月下旬のNYFW直前のこと。朝から何本ものオーディションをこなし、その日一番モデルが集まるであろうオーディションの列に並んでいたときの出来事です。 私が受付に行くと、受付済みのモデルはすで

自分を止めているのは自分

やりたいことがあるなら、ときには周りに反対されても、一度は自分の意思に従ってやってみる。そのことで得られるものが必ずあると思っています。 「モデルとしてどこか海外でやってみたい」始めた頃に漠然と抱いていた想いは、幸せなことにNYの地で叶うこととなりました。 しかし、叶ったと同時に待っていたのは、選択の日々。毎日が決断の連続でした。果たしてこの決断は合っているのか、悩みすぎて辛くなることもありました。今回はその中でも、日本とNYを行き来していたことで起きた、特に印象に残ってい

代わりがいないということ

モデルは意外に体力勝負。毎回場所も人も異なる現場に、不規則な就労時間。そんな環境の中で、常にベストな状態でいることが求められます。 どんな職業もそうだと思いますが、モデルにも代わりはいません。一度決まった仕事は、余程のことがない限り延期することはできず、這ってでも行かなければいけない…今回は、そんな責任の重さを痛感したエピソードです。 ◆真夏から真冬へ。全員が発熱9月末、まだまだ暑さが続き半袖で過ごすことも多かったNY。そんな中、オーストラリアへの出張が決まりました。

他人が気にならなくなったとき

私がnoteを書いているのは、モデルをやっている人に「そんなことで落ち込まなくていいんだよ。自信を無くさなくていいんだよ」と一言声を掛けたかったことに端を発しています。 こんなことを言ったら、上から目線に思われるかもしれない、、そんなことが頭に過りつつ、これが私の本心でした。 私自身モデルとして過ごしていく中で、何度も自信がなくなるような出来事を経験しました。そんなときには、周囲の人が話してくれる体験談や、そこから紡ぎ出される言葉にいつも助けられていました。お陰で「そこまで

とことん楽しむと世界は広がっていく

NYで初めて髪色を染めたことがありました。染めても茶髪くらいしか経験のなかった私が突然の、レインボーカラー。今回はそんな貴重な髪色になって過ごした数日間のお話です。 ◆レインボーカラーのマッシュルームヘアカラーをした理由は、お仕事でした。内容は、NYでは名の通ったヘアサロンの広告撮影。サロンに所属する各ヘアスタイリストに1人ずつモデルが割り当てられるというスタイルで、私の担当はオーストラリア人の陽気な男性でした。 彼との初顔合わせは撮影の2日前。この日は準備日として設けら

眉毛がもたせてくれた自信

何か1点、自信を持てるものがあれば変わってくる。私にそれをもたらしてくれたのは、眉でした。ブリーチして黒からハイトーンの金色へ、いわゆる"眉なし"状態の時期がありました。今回はそのときのお話です。 ◆きっかけは海外での作品撮り実は、日本でモデルの眉をブリーチすることは、気軽にはできないと聞きます。 理由としては、肌の弱いモデルだと荒れてしまったり、なんとブリーチを施した人が元の色に戻すのを忘れて帰ってしまったり、そうかと思えばモデル自身がその状態を気に入ってしまい「戻さなく

現場が凍りつきました、、、attitudeって何?

忘れもしない、帰国直前のNY撮影。 この頃、ショーやスチールの撮影が多かった私は、日本でもほとんど動画撮影に参加する機会がありませんでした。そんなとき、まさかのNYでその機会が巡ってきたのです。 ◆容赦ないスチール撮影モデルはレディース3、メンズ3の計6人。スチール、動画の両方がありました。 スチール撮影では、まずそのうちの5人が呼ばれて撮影(え?6人で撮るんじゃないんだ?と結構驚きました)。センターとなるモデル2人は決まっていたようで、それを囲む3人は並びのバランスを見な

とりあえずやってみる姿勢

NYで仕事をしていたとき、帰国直前になってもいつもバタバタしていました。事務所に私が帰る旨を伝えていても、最後の最後まで撮影やオーディションが入る。前日にオーディションに行かされたときなんて、本番日にNYにいないって言ってるのにどういうこと??と疑問しか浮かびませんでした。 ◆直前オーディション6月。その日も確か、帰る予定日の前々日くらいでした。いつものようにオーディションが入っていた私は、また帰るって言ってるのに入ってる、、意味あるのかなぁ?と不思議に思いながら向かってい

オーディションで落ちても否定された気持ちにならない、めげない

モデルになったら誰しもが経験する、オーディション。仕事を得るためにその都度受け、合否の判断を下されます。その数、年間で数十本〜数百本。 例えるなら、学生時代に経験したあの「入試」を毎回受けているようなもの。1本のオーディションに多大なプレッシャーがかかります。 そんなオーディション、行くもの全てに受かるなんてことは、まずありえません。どこかで必ず落ちることになります。 その落ちたときの気持ちといったら…自分という人間を否定されたような気になることも。がっかりすることはもち

必ずある、困難を乗り越えられる出会い

まだ海外撮影が頻繁に行われていた頃、NYのマネージャーから、よくダイレクトブッキングの話がきていました。AMIのここの日程はどうなっている?まだ決まりじゃないんだけど、結構大きな仕事だから候補に出したいんだよね、と。 ダイレクトブッキングって基本は海外からの仕事依頼だから、顔見せなしの写真選考だけで、決まらないことが多い(私は中々決まらなかった!あまりにも決まらなくて、そのうち”あーはいはい”って端から期待しなくなったほど笑)。 このときも、”1ヶ月前にも同じ話が来てたけ