ふってわいたヒトリゴト


天才性はどこにいても同じで
私であるがゆえの
私であるがこその
私足るものであること
それでしかないという証明でしかない

職場で
真面目に考え込むほど
ぐるぐると悩みにはまり
正しく伝わるメールが作れない。

頭がボーッとしてて
なんとなくの感覚でまとめあげる方が
伝わる文章になり、とてもシンプルに仕上がる

ボーッとしてるっていうと
語弊もある気がするけど

真面目に考えすぎるよりも
伝えようと一生懸命になるほどどつぼにはまり

こんな感じかなーとぼんやりまとめあげる方が
結局まとまるといった感じで

これは私の天才性そのままである

一人で考え込むとどつぼにはまり闇落ちしていく

天才性を発揮するということに
場所や環境は関係ないんだってやっとふに落ちる

よりいかせる場所、環境はもちろんあるだろうけど、
そのせいで自分が生きられない、いかされないというのは
すこーし違っているように感じる。

どこでいきるかは選べるし
どう生きるかも選べる


優先順位はあって、
何を大切にするのか人それぞれにちがう

自分は何を選ぶのか、
この環境で、状況で

そして選ばないのも自由なんだ。


結局いっつもここへたどり着く。

さて、どれ選ぶ?なに選ぶ?


(なにいってるんやろねって感想は
おおむね正しい。)