ぐらしあすの「精神科病院に入院するか否かの判断基準」

理屈抜きに意欲がわかず、楽しいとも感じず、日々朝が来るのが怖くなってきたとき、その繰り返しが頻繁になってきたとき。一言でいえば「しんどい」のだが、この「しんどい」という言葉に凝縮された苦しみは人それぞれだろう。ぐらしあすの場合、「しんどくなっていくプロセス」を例えると、海で寄せては返す波の中に、ぐらしあすの身体のふくろはぎくらいまで浸かっていたり、はたまた足首のあたりになったり、そしてごくごくたまに、砂浜にあがったり、しかしまた、海水につかり始めふとももくらいまで浸かったり、そして徐々にお腹のあたりまで来て、胸のあたりまで来て(まだ大丈夫ライン)、首のあたりまできて、でも足は海底についている(ぎりぎり大丈夫)、そしてまたちょっと戻ったり、そうこうしているうちに、海底に足がつかなくなってきて(きわどいライン)アップアップし始めて、とうとうまったく足が海底につかなくなり、そのまま沖へと流されそうになった時、入院したいと感じる。最近ようやくその一歩手前でSOSを出せるようになってきた。それでもちょっと遅いぐらいかな。実は今、胸のあたりまで浸かり始めたように感じる。笑えない、他人の顔を見れない、自己肯定感が持てない、このままだと廃人になってしまうのではないかという恐怖の波が、ぐらしあすの胸のあたりまで迫ってきていると自覚している。もう少し踏ん張ろう。SOSはいつでも出せるから。

ディプレッションまっさかり。ぐらしあすの「こころの声」を中心に、自分が体験したことや、時折感じる何のエビデンスもない、主観の記事も徒然に書いていきたいとおもいます。よろしくおねがいします。