ぐらしあすの「ギタースタイルがいきなり変化しだした」
ぐらしあすは中学1年生の時にギターを始めた。
所謂フォークギターってやつ。
これを持てばスーパースターも夢じゃないってやつ。
お年玉を握りしめて定価20,000円のギターを16,000で円で買った。
今でもどこで買ったか、友達の誰がついてきて来てくれたか鮮明に覚えている。
(因みに人生初のこの思い出深きジャパニーズビンテージのギター、数年前に長女に譲ったが、実家に置いてあるという程度で弾いている様子はない)。
毎日ギターの練習をして、A,G,Cとかのコードを弾けるようになって、Fコードも音が出るようになって、人生初弾けるようになった曲が「22歳の別れ」。
所謂アルぺジオを弾けるようになって、人前で弾き語りしたのを今でも覚えている。
当時は歌詞の内容をあまり考えてもいなく弾き語っていたが、今考えると、寂しさや幸せ、複雑な心境が今でもしっくりと来ない。というか切なすぎて意味を未だ理解し得ていえない。
中学2年生になって洋楽に興味を持ち始め、初めてエレキギターのレスポールを買った。
エフェクターも買い始めたが、今のように情報も少なく、このフェイザーどんな音がするかな?このイコライザーはどんな風に音が変わるかな?とある意味一発勝負の購入であった。
因みに当時買ったBOSSのOD‐1、実家のそこら中探してもないのが悔し過ぎる。
それからジャパニーズヘビーメタルが流行りだし、何曲かをコピーし始めた。
ギター三昧の毎日で、高校生時代に定期テストの最中にも関わらずエレキを弾きまくっていて、ある日業を煮やした親父にアンプを蹴られたという、あの時の親父の表情や蹴り方が軽いトラウマになっている。
高校生時代はLOUDNESSにおおハマりで、何度も練習して完コピをすることが出来るようになった。
ヴァンヘイレンの真似をして、ストラトキャスターのシングルコイルを全部自分で取っ払い、リアにハムバッカーを埋め込むことが出来るように、一生懸命ギターのボディーを彫刻刀で削った。
(今考えるとトリマーを使えば容易に削れたのに)。
そして何を埋めるか吟味して、これも一発勝負だがディマジオのTONE ZONEというハムバッカーを埋め込んだ。
40年以上経ってもいい音出している、ぐらしあすにとっては肌身離せないギターとなった。
今から考えると、あんな速弾きやライトハンドが出来たこと自体、自分のことながら信じがたい。
あれから40年たってもエレキギターを弾くときは、どうもヘビーメタル調になってしまう。
ここからが本題でかなりマニアックになるけれど、結論から言うと、なぜかここ1か月で、音を歪ませずクリーンな音でしっかりとピッキング、と言ってもピックは使わず親指や人差し指でギターを弾くという音の心地よさを感じるようになった。
前述の思い出深きストラトキャスターとは別のストラトキャスターのネック側に、セイモアダンカンのSH1nハムバッカーを入れて、フロントばかり使っている。
なんという心地よさだろう、指が動くまま、感性がおもむくままに1時間ぐらい弾きまくっている。
心地よいサウンドはある意味エクスタシー。
エレキギターなのに、わざわざベース用のイコライザーを使い、醸し出される低音によって、古い我が家の引き戸がギシギシと振動する。
田舎に住んでいるので、ギターをアンプを通して弾くのを20時までと自分で決めている。でないとかなり目立つというか耳だつ。
この心地よさは一体なんでだろうと考えたときに、最近「こころの調律」ができ始めたのだと思う。
今度は今持っているレスポールのネック側にセイモアダンカンのSH2nハムバッカーを入れる予定。
今日もこれから、どれだけ心地よい音で酔えるか、オーバードライブやディストーションを使わずに、コンプレッサーとベース用イコライザー、そしてディジタルディレイだけを使って、自分の世界に浸ろうと思う。
因みに今夜のアンプはJC‐120。
ディプレッションまっさかり。ぐらしあすの「こころの声」を中心に、自分が体験したことや、時折感じる何のエビデンスもない、主観の記事も徒然に書いていきたいとおもいます。よろしくおねがいします。