ぐらしあすの「別に良い人をやめなくても良い」

ぐらしあす自身は、良い人をやめたと言ったことがある。
人間は多面的である。
要は、良い人(良い人仮面をつけている人)は、わざわざその、良い人仮面を捨ててしまわなくても良いということ。

人間は成長する過程で、いろいろな仮面を手に入れていく。

例えば、幼い子が持っているおもちゃをその子が落としてしまい、それを拾ってあげたら、その時は自然と良い人仮面(にこにこ仮面)をつけているのである…自ら意識せず。

親しい友人と飲みに行ったときには、楽しい表情仮面を着ける。
気難しい人と会議室で2人きりになる…良い人仮面はなかなか着けられない、普通仮面をつけるか、苦虫を噛むような仮面をつけるかだが、普通仮面を着けるのが無難である。
電車の中で、たまたま乗り合わせた見知らぬ人から理不尽に文句を言われ絡まれたた時、
人さまざまで、別に気にしない仮面をつけるか、無視する仮面を着けるか、むっとした仮面をつけるか、なんじゃこら仮面を着けるかで、そこで敢えてにこにこ仮面を着けないだろう。

友人の結婚式に出たときも、むかつき仮面を着けないだろう。
自分の好きな人が新郎新婦のどちらかであれば、感情を抑えて嬉しく楽しい仮面を着けるのは、なかなか悲しく切なく難しい。

このことは八方美人を意味するのではなく、そもそも自然と湧き上がる感情そのままでいられるのであれば良いが、何も無理をしてその場しのぎの仮面で取り繕うとすれば自分の精神状態にも悪影響を及ぼす。

大事なことは打算抜きでの人間関係に於いて、自身の仮面(ここでは素の表情とも言える)が意識せずどうなのかと言うことである。

いつも素のままでいられる(他者から奇妙で困った人と思われないのが前提)はそれはそれで良い。

要は、自分の今置かれている状況下で事に当たる時、何かしらの仮面をいくつか持っておいた方が良いなと思う。

仮面を外した巣の表情が柔らかであれば、それは素晴らしい。

なんてまとまりのないことを書いたけれど、ぐらしあすは、良い人仮面と良い人ではない仮面を持っている。
その他もろもろ、長く生きてきたらその分は仮面は増えていくであろう。

上記のようなことを書いたぐらしあすは、なんやかんやと書いたけれど世渡り下手である。


ディプレッションまっさかり。ぐらしあすの「こころの声」を中心に、自分が体験したことや、時折感じる何のエビデンスもない、主観の記事も徒然に書いていきたいとおもいます。よろしくおねがいします。