見出し画像

その悲しみも悔しさもまた日常に溶け込んでゆく

高校3年生のとある日。
閉鎖病棟のテレビに映っていたのは、選手宣誓をしている小学生からの同級生でした。

小学校低学年の時はよく遊んでいたけどそれ以降はなんとなく同じグループに居て、たまーに話していた𓏸𓏸君。
あるスポーツで活躍していたのは知っていた。
でも中学生の私はたまに話すクラスメイトだったけれど、テレビに映っている彼は宇宙人のように思えた。
それくらい実感がなかったからか、見てはいけないものを見たと思い直ぐさまテレビを消し、病室に戻って毛布にくるまった。

泣いた。
涙が溢れるなんて綺麗な表現を出来ないくらい、これでもかというくらい泣き叫んだ。

はっきり言って惨めだった。
あの子は部活のキャプテンで大会で選手宣誓をしていて、私はズタズタの手首とODのし過ぎで閉鎖病棟にぶち込まれている。
なんだこの差は。
いつからこうなったかなんて薬でパヤパヤした頭でも分かる。
でも認めたくなかった。
スタートは同じだった筈なのに、同じクラスで環境も一緒だった筈なのにと、当時は思っていた。
だから私は何も悪くない𓏸𓏸君が憎く思えてきた。
完璧に八つ当たりだ。でもそうしないと惨めさで死んでしまいそうだった。
その思いは10代を終えるまで抱えていた。
20代になって、風の噂でその子がプロの選手になったと聞いた。
ネットで調べたらちゃんと出てきた。
そこで私は思い直した。憎む相手が違うと。
というか最初から誰も悪くなかったんだ。
そんな事はとっくの昔から頭で分かってたんだ。
努力して掴み取ったあの子と努力出来る土壌にも立てない環境だった自分。
真っ直ぐな道を歩んだあの子とぐねぐねした道をとぼとぼと歩んだ自分。
どちらも道を歩んだ事には変わりないのに。
それから素直にその子を応援出来るようになった。
私自身の惨めさも少しずつマシになった。

良かった。この考えの道に戻れて。
良かった。あのままとぼとぼ悲しい道を歩くのを止めて。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?