「手術前日ですが不安なことはありますか?」 「孫の受験です」
2019年10月、私の祖父の膵臓に、ステージ1の癌があることが発覚した。当時祖父は88歳だった。
発見が比較的初期であったことと、88歳だが毎日ゴルフをするほど元気で、体力もあったことから、高齢ながら手術をする選択をした。一般的には、高齢で膵臓がんの場合、手術はあまり勧めないらしい。祖父の場合も、手術ではなく、より治療が楽で副作用の少ない重粒子線治療を行う選択肢もあった。しかし重粒子線治療で癌が完治する確率は約60%。手術を行い成功すれば、100%癌を摘出できるということだったので、家族で相談し、手術することに決めた。(今書いたことは、病院によって、またその人の癌の場所やステージによって異なるかもしれません。あくまでも、私が病院で説明を受けた内容はこのようなものでした。)
それから、私たち家族は、医師から手術計画や術中及び術後に起こりうる様々な事態についての説明を受け、祖父は、いくつかの精密な検査や、膵臓外科だけでなく色々な診療科の先生の診察を受けた。手術予定日の12月10 日まで、落ち着かない日々を過ごしていた。
当時私は、浪人生だった。
大学受験は1月のセンター試験を皮切りに本格化する。受験生の冬は追い込みの冬。ましてや一度受験に失敗し、未来が定まらない漠然とした不安を1年間味わい続けてきた浪人生にとって、冬はひと時も気を抜くことはできない大切な時期。私自身、毎日朝の9時から夜の9時まで予備校にこもって勉強していた。入院している祖父には、予備校のない日曜日に数時間会いに行った。模試で会いに行けないこともあった。祖父の病院には、私の母が毎日通ってくれていた。
12月9日、つまり祖父の手術の前の日。私は変わらず朝から予備校に行った。そしていつもと同じ、夜9時すぎに家に帰った。家に帰ると、その日も母が祖父の話をしてくれた。
「しおりちゃんおかえり。今日はおじいちゃん、精神科の先生の診察を受けたんよ〜。ほんとにいろんな科の先生に診てもらうんだね。診察の後、先生があたしの所に来てさ、こうに言ったのよ。
『小平さん(私の祖父の苗字)、精神的には問題なさそうです。明日の手術大丈夫そうなんですが、、、
小平さんに、手術前日を迎えて今不安なことはありますか、とお聞きしたんです。そしたら、、
孫の受験です、と答えていらっしゃいました。』」
私はそれを聞いて、体がぽわーっと熱くなった。心臓が痛くなった。涙が出てきた。嬉しい、ありがとうが混ざった気持ちになった。
「孫の受験です。」なんて的外れなことを真剣にまっすぐな目をして言うおじいちゃんの姿が目に浮かんだ。涙がずっと出た。止まらなかった。
私は、愛とはこういうことなんだと思った。おじいちゃんは明日手術なのに。成功するかもわからないのに。私が受験に必死である以上に何十倍も生きることに必死なのに。おじいちゃんが私を愛してくれていることを強く強く感じた。
本当の愛とは、「疑う予知のない、例え侵入しようとするものがどれだけあっても、その侵入者がどれだけ強くても絶対に揺らがない、無条件なもの」であると思う。私とおじいちゃんの間には、本当の愛がある。本当の愛は、心をあたためてくれる。
祖父は8時間半の手術に耐え、無事回復し、退院した。私も、無事第一志望の大学に合格することができた。
私はときどき、おじいちゃんが死んだときのことを考える。悲しいし、長い時間泣くんだろうなと思う。でも、おじいちゃんの愛はずっと私の心にあり続けるしだろうし、おじいちゃんは永遠に私を応援し続けてくれるんだと思える。
おじいちゃんの愛を知っているから、これから何があっても私は生きていける気がする。
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