恋愛の終わりかた、終わらせかた

若い頃は、人並みにモテた。

いやモテたかモテないかの平均はよくわからないから、自分の中でそう思ってるだけ。
客観的なところは全然わからん。

元々物心ついた時から遊ぶのは男の子とゲームやサッカー、そんなのばかりで、女子的なオツキアイ(小学生の頃は既に女の子という生き物はマセているのだ)が苦手だった。

だから必然的にプライベートでも遊ぶのは男子だし友達も男の子が多かった。
もちろん女子の友達もいた。

ただし小学校高学年辺りにもなるとそうもいかない。
女子のやっかみみたいなのが始まる。

私が男子と仲がいいから。
そして男子的な付き合いかたで、多分女子特有の(空気を読む)みたいなのができなかったから。

そこから先の話は別の機会にするとして、とにかく、男子との距離が多分近かった私は、思春期過ぎても男子と話す遠慮みたいなのも恥ずかしさもなぜか一切なく、しかし向こうは恋愛対象として意識していた、みたいな齟齬がよく生じた。

いわゆる男女の友情問題ってやつ。

そこらへんの誤差に当時の私は少なからずショックを受けはしたものの、だんだん(そう言うものなのだな)と受け入れた。


そして学生時代に数人に告白されお付き合いし、数人の告白を振ったり恋人にお別れを告げたりした。

恋愛に対して完全に受け身の私である。
ありがたいことである。

つまり私から振られたことはない。たぶん。
いやそのように仕向けられていただけで実は私の方が愛想を尽かされていたとか、そう言う可能性はある。
そういうのに鈍感なのだ。能天気なことに。

つまり今までの男性には私から全てお別れもしくはお断りを告げたのだけど、どの別れも本当に辛かった。

自分勝手で恐縮だが、わたしも大変に傷ついた。
道徳の授業でどれだけ習おうとも、人を傷付けるのは自分も苦しいのだと、最初に告白を断った時、初めて身をもって実感したのである。

理由はほとんどが”自由になりたい”だった。
他な好きな人ができた、とか、相手のことを嫌いになった、とか、では一切ない。
何を綺麗事を、と思われるかもしれないけど、本当にそうだった。

とはいえ束縛されていたわけでもない、ただ私が1人に自由に自分の時間を謳歌したかっただけ(かと言ってやりたいことがあるかといえばそうでもなかった)。

どの彼氏も、男友達も、私のことを理解して、理解しようとしてくれて、本当にいい奴ばかりだった。

だから辛い。
私の好きな(友達的な意味で)人たちを悲しませてしまうのは辛い。
できればこんなこと言いたくない。
なんで私はこんなに私の事を思ってくれてる人を私の身勝手な気持ちで悲しませなくちゃならないんだろうって。
でもその辛さのために私がこれからの未来の何かを我慢しなければならないのはもっと辛い。
これだけいい人なんだから、私じゃなくても幸せになれるさ(とは絶対に言ってはならないと思ってるので心に秘める)、というか幸せになってくれ、私の大切な人。
そんであわよくば結婚式にも呼んでくれ。


(身勝手なのはわかってるけど、私は私が結局一番可愛いのだ、悲しいことに)


これはよく言うのかもしれないけど、私みたいに受け身で自由を愛する女性を、私が男だったら付き合うの辛いだろうな、と思う。


だから、お別れは本当に、辛い。
今まで私のことを好きだと言ってくれていた人たちはもう私のことなんか一ミリも忘れてしまうくらいに幸せになってほしい。
円満な別れってなんだろう、2人が前向きになれる別れって、私にはたぶんなかった。


失恋って、あんまり経験ないけど、自分から望んだくせに、勝手に失恋した気になってるのだ。

一番長く付き合って一番思い入れのある彼氏を振ったとき、最後に「ずっと好きだった」と言われたときの景色と後悔はたぶん、一生忘れないし、一生思い出して泣くんだろうな。

まとまりがないけど、全部いい恋愛だったなって話。

夜中に突然語りたくなったのでした。

それでは。

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