じいさまの感謝状

免許証を返納してから早三年が経とうとしていた
「車さえあればこんな道、すぐだというのに…」
「あいつもあいつじゃ。せっかく来たのなら送迎くらいせんか」

そんな悪態が口をつく。
歳で震える脚をグイと出す。
「待っていろ。ばあさん。
お前に伝えねばならんことがある」
急勾配の上り坂を
老体に鞭を打ち
ただひたすらに登ってゆく

あの日もこんな風に紫陽花が咲いておった。
「娘さんが…」
久々に役割を与えられた固定電話
その役割はわしらの心を砕くものであった
交通事故。
高速道路にて
逆向きに走る老人が
娘夫婦の車に突っ込んだ。
相手の老人ももちろん、この世にはいない
ただチャイルドシートに乗せられて
奇跡的に助かった孫娘だけが救いであった

「長かったな。」
そうして残された孫娘を
わしらは引き取り育てた
高齢化の進む農村で
同年代の友人も少ないこんな田舎で
苦労をかけてしまった事だろう

つまらない
じぃじうるさい
ここマジでなんもない
頑固過ぎ
なんでそんなに頭固いの

孫娘に言われた言葉の数々を思い出す。
そのいくつかでも当の本人は覚えておるのだろうか

「悪かったな。頑固で。」

ばあさんの墓には真新しい花が供えてあった。
先ほどあいさつに来た孫娘のものであろう

水を汲み。ばあさんの墓石にかけてやる。
こんな陽射しの下じゃ。暑かろう。
今日はばあさんの好きな花をたくさん持ってきたぞ
何が好きかは知らんが、とかく多く持ってきた

「今日はなぁ、ばあさん。」
「あの子が結婚したいと言い出したんじゃ。」

ポケットからボロボロになった箱を取る
中にはろうそくと線香が入っている

「お母さんの分まで、幸せになるからなどと。一人前に。」

お前からもらったジッポのライターで火をつける
お前には本当に与えてもらうばかりじゃった。
マナーが、常識が、世間の目が、などと
夫とは、旦那とは、妻たるものは、などと

「何も知らず、何もやらず、身勝手なのはわしの方じゃった」

それでもお前は
呆れながら
悪態をつきながら
ついてきてくれた…

「お前がおらんかったならば、わしはあの子を育てられなかった」
「わしはずっとお前に謝りたかった。」
「わしはお前に何ができていたじゃろうか」

今となってはもう聞けぬ
今となってはもう伝えられているかもわからぬ

「わしは、ずっと、お前に感謝していた…!」
「わしのただのプライドでお前にありがとうすら言えておらんかった」
「もう遅いかもしれんが…」

「ありがとう、ばあさん」

もう休めるんじゃ。お前も、わしも…

「またくる。」

いずれお前のもとに行く。
まだわしはすべきことがある。
それまでどうか、待っていてくれるか。

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