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第1幕『流れ星の少年』 #1

こちらの空も綺麗だが、そちらの空はどうだろうか。



8月2日
月齢:20.0
天候:曇

 流れ星を聞く方法がある、というのは、世間一般にも知られている話なのだろうか。

 いつまでも白紙の進路希望調査票を見ているのにも滅入って、気分転換がしたくて散歩に出ていた。歪んだガードレールに腰を下ろして小休止、そのついでに、ラジオの砂嵐をヘッドフォンでぼんやりと聞き流してみる。ザッ、と数瞬だけ砂嵐が途絶えたのに気づいて、ふとあおいだ夜空には分厚い雲。この曇天では、星なんか見えそうにない。べったりとした湿気。今宵も熱帯夜だ。
 まったく、嫌になる。
 ガードレールから立ち上がって、なんとはなしに歩き出したその刹那。
「ちょっと待てー!」
 がくん、と上体が揺れた。腕を、掴まれる。細い手だった。強く引き戻される。ひとの体温と脈動。ひとの、子ども。
 なにごとか、と眉をひそめて振り向けば、
「なにやってんだよ!」
 真っ先に目を惹いたのは、雪のような白い髪。それから、髪のあいだに見える、大きく見開かれた瞳。その鮮やかな赤色が、にじんで、揺れた。ぽろりと、大粒のしずくがこぼれ落ちる。
 え。ちょっと。
「なにやってんだよ! 死んだら、死んじゃうんだぞ!?」
 そう言われて、ようやくあたりを見渡す。
 激しいクラクション、往来する車の走行音。ヘッドライトが路面をまぶしく照らし、テールランプが尾を引いて去っていく。大通りの横断歩道にともっているのは、赤信号。
「……なるほど」
 僕は、自分が思っているよりはるかに参っていたらしい。彼が引き留めてくれなかったら、いまごろ天に召されていただろう。その命の恩人はといえば、自分のことでもないのにぐしゃぐしゃに泣いている。ぼろぼろと流れる涙の止め方を、僕は知らない。なにを言えばいい、なにをしてやれる。結局、僕は彼に腕を掴まれたまま、ただ彼が泣き止むのを待つことにする。
 わずかに、砂嵐が途切れるのが聞こえた。また星が流れたのだろう。見えないけど。左のポケットの小型ラジオをカチカチといじって、ボリュームを上げる。
 いくつか流れ星を数えたところで、ようやく彼は僕の腕を放してくれた。その手で涙を拭うと、一喝。彼の鋭い声は、ラジオの砂嵐を貫通してよく響いた。
「あのなあ!」
 はい。すみません。
「なにやってんだよにーちゃん!」
「なにを、というわけでもないけど。まあ、周りはまったく見えてなかったね」
 少なくとも音のたぐいは一切耳に入っていなかったし、こんなに大きな通りに出てきていたことにも気づいていなかった。
 平然と答える僕を見て、少年は唖然としたようだった。ぽかんとして、数秒。
「だー! とりあえずそのヘッドフォン外せ! ひとの話はちゃんと聞くもんだぞ!?」
「なるほど」
 それはたしかに。ひとまずヘッドフォンを片手でずらして外し、いったん手首に引っかける。それから、ええと。いろいろ考えているとだんだん面倒になってきて、左のポケットに突っ込んであった小型ラジオごとヘッドフォンを彼に差し出した。
「はい」
「……は?」
「いや、外せと言われたから外した」
「……。にーちゃん、だいじょーぶか?」
「だいじょうぶに見える?」
「見えねーよ! ぜんっぜんだいじょーぶに見えねーから止めたの!」
「だろうね」
「だー!」
 淡々とした僕の反応に、彼はいちいち頭を抱えてうめく。わしゃわしゃと白い髪をかき回しているあたり、本気でパニック状態のようだ。まあ、この齢でひとの生死に直面するとか、そうそうないか。
 ──混乱したようすのひとを前にすると、かえって平静を取り戻せるのが人間の不思議なところだ。少しずつ頭が回りはじめる。この状況がおかしいということを理解できるくらいには。
 目の前の彼は、どう見ても小学生かそこら。ちらりと腕時計を見やれば、時刻は二十三時を過ぎている。こんな時間に、ひとりで。
「ねえ」
 僕の声に、少年は睨むような視線を寄越す。その真っ赤な瞳を見つめ返して、僕は尋ねる。
「君は、なんでこんな時間にふらふら歩き回ってるの」
「……それ、いま車にはねられかけてたにーちゃんが言う? にーちゃんのほうこそ、なにしてたんだよ」
 ごもっとも。僕は差し出したまま宙ぶらりんになっていたヘッドフォンと小型ラジオを、軽く持ち上げて示した。
「ちょっと、流れ星を探してた」
「この天気で?」
「この天気で。天候は関係ないよ」
「関係なくないだろ? こんな曇り空じゃ、星なんか見えないぞ」
 なるほど、そういう反応になるわけか。
 このぶんでは、流れ星を聞く方法なんかより、「流れ星は天に旅立つ誰かの魂だ」とかいう話のほうがよほど知られていそうなものだ。ばかばかしい、流れ星の正体なんて、燃え尽きてしまう宇宙の塵にすぎないのに。
 と、いうのはさておき。
「見えなくても探せるよ」
「……にーちゃん、どっか壊れた?」
 それはそれは、ご愁傷さまだ。
「知らない? 流星散乱」
「は? りゅーせー……なに?」
「流星散乱。細かい理屈は省くけど、ようするにラジオの砂嵐を使うと流れ星が聞けるんだよ」
「……マジで?」
 そう問うてくる彼の目が、不思議ときらきらしていて。これはもしかして、
「君も、流れ星を探してたのか」
 すぐ目が泳ぐ。……そういうことか。
「探してどうするつもり」
「……言わなきゃだめ?」
「警察呼ぶ」
「はあ!?」
「まあその場合僕も補導されそうだけど。子どもの安全には代えられないよね」
 手探りで、右のポケットからスマートフォンを取り出した。えーと、警察、警察。110番だっけ。すると彼は、ほとんど悲鳴みたいな声を上げる。
「やめろって! 言うから! ほんとに流れ星探してただけだから!」
「だから、探してどうするの」
 きっ、と僕を見上げる強い視線は、しかし不安定に揺れていた。睨み合うこと数十秒。やがて根負けしたように、彼はがくりと頭を落として口を開いた。答えて曰く。
「流れ星にお願いすると、叶うんだろ?」
 毒気を抜かれた。
 流れ星に、願いを。……それは、迷信の類ではなかろうか。それこそ、流れ星をひとの魂になぞらえるのと同等の。
 かといって、子ども相手に容赦なく否定するのもおとなげない。まあ、べつに、大人だと思われたいわけではないし。それに実際、うまい落としどころを見つけられるほど大人でもないのだけど。
 ぐるりと考えを巡らせてはみたけれど、結局、僕は曖昧に相槌を打つことしかできなかった。すると彼はうつむいて、白い前髪をいじる。
「だから、流れ星、探そうと思って……」
 こんな深夜に小学生がうろうろする理由が、流れ星に祈るため、だとは思いもしなかった。小学生というのは、こういうものなのか?
 ちなみに、
「なにを願うつもり?」
「言いたくない。願いごとってのはないしょにしとくもんだろ!」
 確かにそうか。きっぱりと言い放たれて、僕はそれ以上の追究を諦める。
「……でも、ほら、こんな曇り空じゃん。どっか雲のあいだから空見えないかなーって探してたんだけど」
 そうして星を探す道中で、あわや大事故を起こすところだった僕を見つけて引き戻した、ということらしい。
「そんで? どーすんの。けーさつ、呼ぶのか?」
「いや。僕も、こんなことで補導されるのはごめんだ」
 それよりも。
「ほら」
 えい。彼の頭にヘッドフォンをかぶせてやる。ぎょっとした彼に、ああ、補足が要るか、と気づく。
「流れ星、聞いてみなよ」
 僕の意図を理解した途端、彼はぱあっと目を輝かせた。ちゃんとはまっていなかったらしいヘッドフォンをがちゃがちゃ直して、
「え、え、なにこれ、どーやったら流れ星聞こえんの!?」
「流れ星が降ると、砂嵐が途切れる」
「とぎれる。……じゃあラジオ聞けんのか!?」
「運がよかったら、数秒」
「マジかー!!」
 まあ、大概は、「ザッ」という短いノイズにしかならないが。
 それでも彼は、嬉しそうに楽しそうに、ラジオの砂嵐に耳を傾けていた。
「──うおっ、いまなんか歌聴こえた! 歌ってた! なんか知ってる歌な気がする!!」
 それほど長く聞こえたなら、願いのひとつくらい唱えられそうなものだが。
「願いごとは?」
「ん? あー、にーちゃんは気にすんなって!」
 彼は笑って、またラジオに集中してしまう。歪んだガードレールに腰をかけ、目を閉じて、流れ星を探すのに夢中になっている。
 ……楽しいなら、まあ、いいか。
 耳を澄まして星を探す少年に付き合って、僕は空を見上げる。大通りの灯りで星は見えづらいけれど、それでも。曇り空の切れ目、ぽつり、ぽつりと星明かりが増えていく。
 ──それにしても、白い髪に赤い目、色の薄い肌、か。ひとつ脳裏をよぎった知識は、あえて言うことでもなかろう。参考程度に、頭の片隅に留めておくことにする。
 星空を眺めながら待つことしばし、十数分。ようやく彼はヘッドフォンを返してくれた。かと思えば、僕の顔をじーっと覗き込む。やはり、見間違う余地のない、赤色の目。
「にーちゃん、命はだいじにするもんだぞー?」
「その節はどうも。それじゃあ」
 受け取ったヘッドフォンをはめ直して、身を翻す。さっさと歩き出した僕の背に、彼は大きな声で。
「またなー、にーちゃん!」
 ──「また」が、あるのか。
 そのときは、そんなはずはないだろうと、思っていた。


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