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『イルカとあおぞら』#4

2月11日 木曜日
 
 
 ガラスの工房って、はじめて行った。
 ガラス職人さんに、はじめて会った。
 
 
 湊が案内してくれた先は、レンガづくりの建物だった。駅前へ向かう大通りから、ちょっと路地へ入ったとこ。角のガラス雑貨屋さんが、ちょうどいい目印だった。
 建物、二階建て、っぽい。一階は、窓が大きくとってあって、おひさまの光がよく入ってきて、明るくて。すごい、きらきらしたもの、たくさんある。こんな無造作に置いちゃって、いいのかな。こんなに、綺麗、なのにな。
 こっち、って湊に招かれるまま、階段をのぼる。二階も、つくりはほぼ一階と一緒、だけど、ずいぶん暗い。古木でできた背の高い棚に、材料や作品がたくさん並んでる。作業台もある。あと、ひとが住んでる気配がする。ソファーの上には、しわくちゃになったおふとん。小さなテーブルがあって、ごはんに使ったっぽいお皿と、カップと。
 ……勝手に入って、いいのかな、ここ。半分くらい、住居だけど。
「おはようございまーす」
「んー、いらっしゃいー」
 もぞ、っておふとんが動いて、びっくりした。そこから起き上がる、ぐしゃぐしゃの黒髪に黒い目の、青年。ぼんやり、湊のほうを見て、首をひねって。
「……あれ、ほんとに来た。珍しいね、湊がここ来るなんて」
「いや、自分から連絡入れておいてすっぽかすほど冷たくも意地悪でもないですよ?」
「じゃあ、ガラス、復帰する? 歓迎するよ」
「あはは。きょうは、僕じゃなくって。あくまでこの子の付き添いでして」
 ふらっと、視線がこっちを向いたので。慌てて、頭を下げる。
「は、じめ、まして。すみません、朝から」
「ん、はじめまして。気にしないでいいよ、いらっしゃい」
「あ、……ありがとう、ございます」
 消え入りそうなわたしのお礼を、このおにいさんはきちんと拾ってくれた。ふわり、目元が和らいで、どういたしまして、って。それから、
「ていうか、よく来たね。見つけにくいでしょ、ここの入り口」
「そこ、は。湊がいたから、平気でした」
「ああ、そっか。……まずい、まだ頭が寝てる」
「せんせーい、ちゃんと時間も伝えたのに二度寝したのがわるーい」
「え、なんでバレてるの」
「むしろこの状況でバレないと思います?」
「あー……そうだ、そういや食べてそのまま寝たんだった、食器そのままだ」
「食べた直後に寝転がるの、あんまりおすすめしませんよー?」
「よく言われる……」
「なるほど、いまだに直す気がないと。どうなっても知りませんからねー」
「自己責任なのは承知してやってるよ、これでも」
 ほんとに眠たそうだけど、湊と話しているうちに、だんだん頭が回ってきたようで。もう一度、わたしのほうを見て、
「——ああ。この子が」
「うん、そういうことです」
「そっか」
 なんの話、だろ。わからないけど、
「どしたの、こんなとこまでわざわざ。なんか、材料がない、とは湊から聞いたけど」
「え、と。ダイクロ、練習してるんですけど、ちょっと、いろいろ使いきっちゃって」
「ダイクロ。また難しいのに挑むね」
「そ、なんですか」
「うん、少なくとも俺はあれ苦手。ぜんぜんなかよくなれない、打ち解けてくれない」
「……なかよく、なれない」
「ん。俺にとっては扱いにくい、なんとなく手に馴染まない、って感じ。綺麗だな、とは思うんだけどね」
 ガラスとか、素材が、なかよくしてくれない、感覚。わたしにはないかも、と思う。だいたい、なんとなく、こうしたらいいんだろうな、こうしてほしいんだろな、って、わかる、というか。
「まあ、吹きガラスが好きで、バーナーワークとかがそんなに、ってのも理由として大きいんだけど」
「なる、ほど」
 ここも対照的かも。わたしはバーナーがほとんどで、吹きガラスは微妙に苦手だ。
「ちなみに、なんだけど。現状どんな感じ、って聞いてもいいのかな」
「あ、えと」
 いちばん気に入ってるの、持ってきてある。まだ、納得しきってはいないんだけど。ペンダントを鞄から引っ張り出して、そろり、渡してみる。
「このくらいまでは、できる、かんじです」
 そのひとは、大きな両手で丁重に受け取ってくれて。暗闇のなかに浮かぶ、虹色のきらきらを、しばらく光に透かすようにして眺めると、
「すごいね、きみ。ダイクロが使えるんだ」
「え。……使えて、ますか?」
「うん。基礎はひととおり、じゅうぶんにできてる。あとはもう、自分の表現したいものにどれだけ寄せていけるか、じゃないの」
「そ、なんだ」
「俺はそう思うよ」
 ぐしゃぐしゃの前髪越しに、ちらり、見上げられる。黒曜石みたいな目だ、と思う。
「個人的には、ほぼ独学でここまで習得できちゃうお嬢さんがちょっと恐ろしいかな」
「え、う」
 その、呼ばれかたは、なんか落ち着かない。ふい、と視線がすぐに外れて、でも、質問はわたしに向かって飛んでくる。
「そういえば、きみ、名前は? なんていうの、っていうか、なんて呼んだらいい、ていうか」
「あ、えと。雛井るり、って、いいます」
「ふむ、るりさん。名は体を表す、いい名前」
「ありがとう、ございます?」
 ……ところで、このおにいさんは、お名前、なんていうんだろ。首を傾げていたら、わたしの隣、湊がちょっと苦笑して。
「ちなみに。この、なんとも言えない脱力無気力なお兄さんは、硯さん。すずり悠生ゆうきさん、ここの工房のオーナーさんです。だいたいは、ユウさん、って呼ばれてるよ」
「……あ。俺、また名乗り忘れてた?」
「うん、ばっちり聞くだけ聞いて自分の名前は黙ってましたね」
「うわ、ごめん、やっぱりまだ頭寝てる」
「あはは。そうでなくても名乗るのすっぽかしますもんねー、ユウさん」
 起きろー、って自分の頭を片手でわしゃわしゃしてる。ただでさえ寝癖っぽい髪が、余計に崩れていく。だいじょうぶ、かな。あとで鏡見たほうがいい、と思う。だいぶ、なんか、芸術的な。
「あとは、んーと。僕の師匠、かな?」
「元、って頭につくけどね」
「あ。……そしたら、わたしの先生の先生、だ」
「ん、そうなるんだ」
「うん、そうなると思います。最初、るりにガラス教えたの、僕だったので」
「ああ、そっか。湊はともかく、俺、べつに先生なんてがらじゃないけどな」
「あれ? なんで僕のこと『ともかく』で置くんですか、先生?」
 とか、話しているあいだ、このひとはほとんど、わたしの試作をじーっと見ていた。目、ぜんぜん合わないな、なんて思ってたら、ふいにこっちを向いて。
「ひとまず、作品、返すね。見せてくれてありがとう。綺麗、びっくりするくらい」
 言いつつ、わたしの手に、ペンダントを乗っけてくれて、それから立ち上がって。ちょっと、わたしのほうこそびっくりしてしまった。
 背、高いんだ、このおにいさん。
「これだけ使えるひとの手に渡ったほうが、素材もしあわせだと思うし。ちょっと、いくらか持ってくる。るりさんと湊は、いったんここで待ってて。どっかてきとーに座ってていいから」
「……この惨状で?」
「そこはもう、それこそ、てきとーに」
「はいはーい。るり、こっち」
「え、あ。えと、お借り、します」
 さすがに、作業台の椅子は座れる状態だったから、そっちを使わせてもらって。
「湊は?」
「んーとね、このひとの荷物、迂闊に動かすと試作とか出てくることあるんだよね」
「え」
「うん。本人は、べつに作品を粗末にしてるわけじゃないんだけど……そのへん把握できてないひとが触ると、まあ、ちょっと事故みたいなことにもなるので」
「なる、ほど」
 がしゃ、って、棚のほうから物音がしている。雪崩とか気をつけてほしい、なんて思ったけど、収納した本人ならそのあたり平気なのかな。しばらくして戻ってくると、
「このへんかな、ダイクロだと」
 大きめの箱を、渡してくれて。見てみる。ざっくり袋で仕分けられたフレークとか、かけらとか。あ、ロッドもある。
「——すごい」
「いいよ、好きに持ってって」
「え。ほんとに、いい、んですか」
「うん」
 え、でも、これ。お値段、ちゃんと計算したら、すごい数字になるけど。
「ひととおり仕入れてはみたんだけど、俺にはどうにも扱いが難しくて。というか、軽く触った段階で、俺となかよくしてくれる気がしない、というか。自分ができないようじゃ、教えることもできないし。そもそも吹けないし、ダイクロ」
 あ、たしかに。ダイクロガラスって、バーナーや電子炉の高温でないと扱えない。
「ここにあっても、眠らすしかないから。こいつら、るりさんの手で生かしてやって」
「あ。——ありがとう、ございます」
 ひととおり、見ていく。青いの、だけでもすごい数がある。自分で、運べる、かな。
「あれ。青いの以外、使わない?」
「ん、と。青いのがつくりたい、から」
「なるほど?」
「ほかの色、青と組み合わせても綺麗だと思うよー? 膨張係数とかは注意だけど」
「ん。それに、とりあえず持っておけば、練習用にはなるんじゃないの」
「そう、かも」
 ということで、結局、箱の中身ぜんぶ譲ってもらえることになった。お財布、もう、からっぽになるくらいの覚悟をしてたんだけど。
「ダイクロのほかは? 足りないものとかないの」
「う、……わりと、片っ端から、足りてない、です」
「そっか。普段、ガラス、なに使ってる?」
「ん、と」
 なに、になるんだろう。考える。あれ、普段使ってるのって、なんてガラスだっけ。ふらふら視線が泳ぐわたしを見て、ユウさんがわずかに頭を傾けて。
「……ん、あれ。俺、困らせるような質問しちゃったかな」
「あ。ごめん、なさい、そういうわけじゃ。これ、っていうの、考えたけど、わたし、なにも思いつかなくて。家のバーナーで扱えるものなら、なんでも使っちゃう、ので」
「そうなんだ」
 また、棚の向こうに姿が消える。ごとごと、物音。引き出しかなにかを開けている、ような音。それと、質問が飛んでくる。
「んーと、湊。この子が使ってるバーナーって、橙子の、ってことでいいの」
「ですねー、設備はもう母のアトリエそのままです」
「ふむ。そうすると、きみ、バーナーワークで扱えないガラスってとくにないんだね」
「そう、なる……かも、しれない?」
「そっか。……んー、あれ使うなら、まあ、まずボロシリケイトかな」
 ころころ、作業台の上に並べられる、ガラス棒。ガラスロッド、とか呼んだりする、ランプワークでの基本的な材料だ。
「これも、持っていったら」
「こんなに、いい、んですか」
「いいよ。ボロガラス、どうがんばっても吹けないから」
「そ、か」
 なるほど。吹きガラスの設備で出せる温度では、耐熱性の高いボロシリケイトまでは熔かせなかったはずだ。
 こんな調子で、「吹けない」たぐいのガラス、片っ端から見せてもらって、選んで。最終的には、段ボール箱でふたつみっつくらいになってしまった。ちゃんと買ったら、とんでもない額になる。本来なら、わたしの手に取れないものばかり、だけど。
 生かしてやって、って言われてしまうと、なんだか、断れなくて。
「持てる? 重たいでしょ、さすがに」
「……無理、です、たぶん」
「だよね。運ぼうか」
「いい、んですか」
「うん。俺、わりと暇だし」
「暇、ってよりは、時間の融通がきく、のほうが正確なような?」
「そうとも言う。納期とか守ってれば、まあ、なんとでもなるから」
「なる、ほど」
「ん。あとは、ここでいじっててもいいよ。どうしたい? るりさんの好きに決めて」
「あ、……そ、したら、あの」
 でも、いいのかな、こんなの。迷ったけど、切り出してしまったから。言うだけ、言ってみる。
「今度、材料持って、ここ来ても、いいですか」
「ん。いいよ」
 すんなり承諾されて、びっくり。きょう、わたし、びっくりしてばっかりだ。
「教室やってる日は、さすがに難しいけど。それ以外なら、いつでも遊びにおいで」
 って、工芸教室のカレンダーを持たせてくれた。毎週水曜の、夕方四時から三時間。ここだけ避けてくれればいつでも来ていいと、ユウさんはあっさり告げてきた。
 なんなら、深夜でも、早朝でもいいよ、って。
「……そ、んな、コンビニ、みたいな」
 わたしの震えたつぶやきに、湊がちょっと声を上げて笑って。
「もう、工房に住み着いてますもんね、ユウさん」
「まあ、そんな感じだね、実際」
「そう……なんだ」
「ん。ほんと、基本いつでも。もちろん、湊もね。その気になったらいつでも歓迎」
「はーい、覚えておきまーす」
「うん、覚えといて」
「あ、りがと、ございます」
「ん、どういたしまして。てきとーに待ってるから、てきとーにおいで」
 待ってる。そのひとことが、なんだか、じんわりとあったかかった。最近、ずっと部屋にこもっていたから。湊や橙子さんの帰りを待つのは日常でも、誰かのところに出向く機会、ほんとになくて。
 わたしを待ってるひとが、いる、って。なんだろ、胸がぽかぽかする。ちょっぴり、外に出る勇気が持てる、ような気がする。
「そしたら、まあ、運ぼうか。橙子の家でいいんだよね」
「ですね、僕も半分持ちますよー」
「ん、じゃあ湊はダイクロの箱だけ持って。残りは俺が持ってく」
「了解でーす、先生」
「……俺、もう湊の先生じゃなくなっちゃったけど」
「あはは。ちゃんと尊敬してますよ、いまでも」
「復帰する?」
「うーん、いまは写真が楽しいかなー」
「だよね、知ってる」
 
 
 
 なん、だろ。
 
 兄弟、みたいな師弟だな、って。
 ついていきながら、そう思った。
 
 素敵な間柄だな、なんて、思う。


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