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短編『いばらの森の赤き魔女』


 昔々の、そのまた昔。
 
 
 森に隠れた小さな村に、
 ひとりの少女がおりました。
 
 真っ赤な髪に、真っ赤な瞳の、
 紅蓮のような女の子。
 
 
 少女が灯す炎には、
 不思議なちからがありました。
 
 死の淵にいるひとでさえ、
 呼び戻すほどの不思議なちから。
 
 ゆえにひとびとは彼女を恐れ、
 塔に封じてしまいます。
 
 
 少女の涙は炎へ転じ、
 森ごと塔を焼き払い、
 
 灰燼に帰したその土地に、
 やがて深紅の薔薇が咲き、
 
 いつしかいばらに覆われて、
 ひとの寄らぬ地と成り果てました。
 
 
 
 歳月が経ち、記憶は流れ、
 彼女の名を知るものはなく。
 
 彼女が生きた足跡そくせきさえも、
 御伽話に残るのみ。
 
 
 
 詩人は彼女を、こう詠う。
 ——いばらの森の、赤き魔女。

 
 
 

いばらの森の赤き魔女
 
 
 

「んで? ここが、かの有名な『いばらの森』だ、ってか」
「うん」
 街はずれの、荒れた森には踏み込むな。幼いころから聞かされてきた警句だったが。まさか、御伽話に詠われていたあの森が、こんな近くにあったとは。
 いばらの森の、赤き魔女。自らを封じた塔ごと、すべてを焼き尽くしたと伝わる、幼き紅蓮の魔法使い、か。
「……あの童話を信じるんなら、魔女さまごと焼け落ちて死んでそうなもんだがな」
「ひどい、ひどいよ、なんでそんなこと言うの! エリーはいるよ、生きてるよ!」
「あーもう、わかった、悪かったから大声出すのやめ、耳痛ぇわ」
 さて。眼前に広がるのは、鬱蒼としたいばらに覆い尽くされた深い森。ぽつぽつと咲く薔薇の花は、なるほど、言われてみれば赤色だ。鋭い棘は、剣だとか、槍だとか、そういうふうにも見えた。
 寄りつこうとするものたちを、ひとつの例外もなく拒むような。
「で、俺はこっからどうすりゃいいの」
「わかんない」
「わかんねーのかよ」
 返事がない。ここで黙られても困るのだが。やれやれ、早くも先が思いやられる。はあ、と深くため息をついて。
「ま、いいや。踏み込んでみりゃなんかわかるだろ」
「え。危ないよ、危ないよ? このとげとげ、見せかけでもなんでもないよ?」
「そーだな」
 まやかしで済むのなら、お前の身体もこんな穴だらけにはなっていないだろうよ。
 触れなければならないのが重荷だが、こうなってはもう致し方ない。ならばせめて、なるべく、棘の目立たないあたり。
「なあ。その、お嬢さま、とやら、好きな花とかねえの?」
「花。お花、かあ……んーと、クローバーじゃだめ?」
「ほう、シロツメクサ。悪くないな」
 慎重に指先で触れてから、ぐしゃり。棘ごと、蔦を掴む。手のひらを、鋭い痛みが走る、が。手で触れたところから、いばらの鈍く淀んだ緑が消えていく。入れ替わるように現れるのは、やわらかな新緑の葉と、小さな白い花。
 通り道の確保だけでいいなら、ざっとこんなもんか。手を離して、滲む血を拭う。止血くらいの治癒術は、かろうじて、行使できないこともない。
 この先を思うと、すでに暗雲が垂れ込めている気はするのだが、さておき。
「——え、すごい!」
 左腕のなかで、明るい声が上がる。ちらりと見やれば、白いうさぎのぬいぐるみが、ぱたぱたと小さな手を振っていた。お前、あんまり動き回るとまた綿まみれになるが。あちこち傷と穴だらけなの、さては忘れてるだろ。
「すごい、すごいね! レオってすごいんだね!」
「おー、すごいだろー」
 これしか能がない、ってとこを除けば、な。
 白い花の咲く小道の向こうに、目を移す。うっすらと霞んで見えるのは、石造りの、古い塔。
「ほんとに突っ込んでいいんだろーな?」
「わかんない!」
「そこもわかんねーのかよ……お前のお嬢さま、ほんとに助かる気ぃあんの?」
「わかんない……」
「なるほど? ようは、お前の独断専行、ってか」
「そう、だけど……でも、でも、時間がないの。急がなきゃ」
「はいはい、わかってるよ」
 どんなつもりでいるのか知らんが、勝手に救い出させてもらおうか。勝手で悪いが、救われてくれ。
 いばらの森の塔に座する、赤き魔女さま、とやら。
 
 
 
 シロツメクサの小道を、ざくざくと進む。塔の入口には、鍵のかけられた黒鉄の扉。錠前からは、異質な魔力の気配。左腕の白うさぎをいったん抱え直してから、試しに右の手で触れてみる。なるほど、魔術的封印。そういや、塔に魔女を「封じた」って筋書きだったか、あの童話。そりゃ、魔術のひとつふたつは登場するわけだ。
 軽く解析。ずいぶん古式ゆかしいうえに、手の込んだ封印魔法である。とはいえ、これもまあ、書き換えてしまえば済む話。詠唱も省略でいいや、面倒だし。数秒後、がしゃん、と物々しい音がひとつ。錆びた鉄の錠前が、あっけなく外れて、落ちて、壊れる音。そのまま、重たい扉を押し開けて。
「よーし、先行くぞー」
「……ねえ、ねえ。レオって、もしかして、すっごくすごい魔法使いだったりする?」
「もしかしたら、もしかするかもな」
 いかなるモノであろうとも、なんらかの構造を有し、手で触れることができるなら、書き換えて、つくりかえることができる。例外となるのは、明確な意志を以て魔術に抵抗してくる生命のみ。ようするに、魔法使いを相手にでもしないかぎりは、どんな代物でも構築し直せるのだ。
 これが、俺に許された、ほぼ唯一の奇跡。
「で? お嬢さまとやらに会うにはどこ行きゃいいの。塔のなかなら案内できるって言ったよな、白うさぎ」
「ん、わかった! こっち、こっち!」
 言うなり、俺の腕から飛び降りていく、白いうさぎのぬいぐるみ。だから、そんな派手に動き回るなって。ばらばらに崩れたが最後、繕ってやれる保障はねえぞ。
 案内、とは言うものの、塔内の構造はほぼ一本道だ。螺旋階段がひとつ、それだけ。小さな身体で器用によじ登るぬいぐるみに、ついていく。ぽろぽろ、綿のかたまりが時折こぼれ落ちていくが、こいつは意に介さない。
「そういやお前、どうやってあの封印越えてきたわけ?」
「ん、あれ? あれはね、ひとを通さないだけなの」
「……ほー?」
「うん。ぼく、とっくに幽霊みたいなものだから。ぼくだけなら、ぜんぜん平気なの」
 ところどころ、崩れている段差もある。それすらも、この白うさぎは、よいしょ、のかけ声ひとつで乗り越えてしまう。
「でも、エリーは違うから」
 あの子は、ほんとに、ただの女の子だから。——「ただの女の子」が、あそこまで大がかりな魔法で封印されることになるとは、いささか考えにくいが。
「そもそも、なんでお前はそんな身体なわけ」
「んとね、えとね、いろいろあって」
「その『いろいろ』の中身を聞いてんの」
「あ、そっか。ちょっとね、エリーのこと守ろうとしたら、うっかり死んじゃって」
「ふむ」
「うん。それで、エリーが泣いちゃって、いろいろ巻き込んで燃えちゃって……で、次に気づいたら、もう、こうなってた、みたいな?」
 話を聞きながら、そっと見上げる。螺旋階段の先、遠くのほうに、扉が見えている。
「いまの身体ね、エリーが気に入ってたぬいぐるみなの。だから、ほんとは、もっとだいじに使わなきゃいけないんだけど……そうも言ってられなくなっちゃった」
「……なるほどな」
 彼岸へ渡る魂を、繋ぎ止めたというのなら。それは、輪廻への干渉に他ならない。存在ごと禁忌とされて、封印を食らうわけである。
 死者の蘇生は、許されざる魔法のひとつなのだから。
「——はい、到着! ここだよ!」
「だろーな」
 ここ以外のどこだってんだ、と。軽口を叩こうとしたのは、悠長が過ぎたらしい。
 部屋から、火の手が上がった。反応からして、ただの炎ではなかった。ほぼ反射で飛び退いた、直後、扉を吹き飛ばす、強烈な魔力。簡易な防御の魔法さえも咄嗟には使えない自分が、いまこの瞬間ばかりは呪わしい。陽炎のように浮かぶのは、とうに亡くした知古の面影。彼岸の、景色。
 此岸にとどまりたいのなら、覗き見てはならないものだ。
「だれ。なに、なんの用」
 炎のなかに、ゆらり、人影がひとつ。真っ赤な髪に、真っ赤な瞳の、紅蓮のような女の子。
 ——いばらの森の、赤き魔女。
「いいえ、この際、誰でもいいわ。なんでもいい。わたしはあなたに用などないもの」
 昏い双眸が、こちらを捉える。放たれるのは、冷え切った声。
「失せなさい。二度とここへ足を踏み入れるな」
「……断る、って俺が言ったら、あんたはどうすんの?」
「そう、よほど死にたいのね。なら、お望みどおりにしてあげる」
「んなことは一言も言ってねえだろが」
「煩い」
 一蹴。魔力が爆ぜる。吹き飛ばされる刹那、宙へ舞ったぬいぐるみを、ぎりぎりのところで引き寄せた。目を丸くしてこちらを振り向いた白うさぎに、構うな、と口の動きだけで伝える。身体が壁に叩きつけられた衝撃で、声は出せなかった。こういう状況において、俺の魔法はとことん無力だ。
 反撃、とは言わない。争うために来たわけじゃない。ぬいぐるみを、片腕で放る。お嬢さまの、足元まで。ころころ、床を転げた白うさぎは、それでも立ち上がって、少女の脚にしがみつく。
「エリー、落ち着いて、だいじょうぶ! このひとは、ぼくが呼んだの! エリーのこと、助けてほしいってお願いしたの!」
「——助ける? わたしを?」
 凍えるようだった声に、はっきりと動揺が浮かぶのがわかって。ひそかに息を吐く。まだ、かろうじて交渉の余地はありそうだ。
「そんなこと、頼んでない」
「……エリー?」
 どうしたの、と震えた声が尋ねている。けれど、彼女の耳に届いているようには、到底見えなかった。渦巻く炎の中心で、少女は頭を抱えるように。
「勝手に恐れて、遠ざけて、封じて、だいじなひとまで奪っておいて! いまさら、いまさら助けだなんて」
 冗談じゃないと、少女は吐き捨てる。燃え上がるように、紅色を深める髪。鮮烈な緋色に染まった双眸が、こちらを睨みつけてくる。——なるほど。時間がない、って繰り返し言ってたのは、このことか。
 打ちつけた身体を、どうにか起こして。壁に手をついて、ゆっくり立ち上がって。ああ、痛い。肋骨のいくつかは持っていかれていると見て間違いないな、これは。
「なあ。それ、本気で言ってる?」
「……なに?」
「お前には聞いてない。黙ってろ、『緋眼』の」
 煌々と燃えていた瞳が、揺らぐ。正鵠か。わかったならおとなしく退け、禁術。
 俺が話しかけているのは、さっきからそこで泣いている、女の子のほうだ。
「ところで、お嬢さま。あんた、名前はなんていうの? エリーってのは、あくまで短縮形だよな」
「わたし、——は」
 答えようとした少女の声が、ぷつり、途切れる。あらかた、思い出せないのだろう。そんなことだろうと思った。
「へえ? 魔法使いともあろうものが、おのれの名を忘れる、ってのは感心しないな。術に喰われる寸前じゃん、あんた」
 運がよかったな。本心から、そう告げる。その白うさぎがいなければ、間違いなく彼女の人生は終わっていた。術に喰らい尽くされた魔法使いの末路など、ろくなものではない。誰も教えてやらなかったのか、魔法とともに生きる心得のひとつさえ。
 よいしょ、と控えめなかけ声ひとつ。いつのまにか少女の耳元までよじ登っていたぬいぐるみが、彼女の華奢な肩を、やわらかな両手でぺちぺち叩いている。
「アリス。ねえ、アリス、聞こえてる? 一緒に行こ、ぼくでよければ、どこだってついていくから。だから」
 ふっと、つい笑ってしまった。ほんと、幸運だよ、あんたは。真の名を知る誰かがいる、というのは、魔法使いをひとにとどめるための、最低条件なのだから。
 何度も呼びかけられるうち、少女の瞳が滲んでいく。燃え盛っていた紅蓮の色は、もはや見る影もなかった。窓から差し込む、静かな月明かり。
 待つことしばし。震える声が、問うてくる。
「ほんとうに、助けてくれるの?」
「そのつもり。俺にできる範囲のことで、って条件は、どうしたってついて回るがな」
「それなら、たとえば——わたしが、この塔を出たいって言ったら?」
「連れてってやるよ、どこへでも。お前らがそれを望むなら」
 だから、と言葉を繋いで、笑ってみせて。
「いったん聞かせろ。叶える方策なんざ、あとからいくらでも考えてやる」
 あんたの願いは、なに。端的に問い返せば、白い頬を伝い落ちる涙が一筋。
「——外に、出たい」
 肩に乗っかったうさぎの頭を、そっと撫でて。甘えるように擦り寄るぬいぐるみを、ふわり、胸元で抱きかかえて。
 深紅の双眸が、まっすぐにこちらを見つめてくる。その腕のなかで、白いうさぎのぬいぐるみが、しあわせそうに笑っている。
「この子と。アルと一緒に、外の世界を見てみたい」
「ぼくも! エリーと一緒に、いろんなとこ行ってみたいな!」
 紅玉のように煌めく瞳が、ふたり揃ってよく似ていた。見つめ返して、小さく笑う。
「いいだろう。その願い、たしかに聞き届けた」
 叶えてやるよ、俺にできるかぎり。そのために、わざわざここまで来たのだから。
 魔法使いであるならば、おのれの名を忘るるなかれ、おのれの名を告げるなかれ。そのへんも含めて、道中いろいろ説明しなければ。それから、アル、って言ったか、白いうさぎのぬいぐるみ。あちこちほつれて限界だろう、さっさと繕ってやらんと。
 まあ、難しいことは、いったん置いておくとして。
「ほら、行くぞ。きっと驚くと思うよ、お前らの知らない世界が待ってる」
 
 
 
 
 
 
 白い花咲く三つ葉の木立ちに、
 いばらの森の面影はなく。
 
 その中心には、古い塔。
 魔女の姿はもう在らず。
 
 
 
 歳月が経ち、記憶は流れ。
 詩人は彼らを、こう詠う。
 
 ふたりの騎士を従える、
 白花しらはなの森の、赤き姫君。




2022年、書き納め。
友人からのリクエストにお応えして、「『不思議の国のアリス』を題材にした短編」を捧げます。

それでは、ことしはこのへんで。
よいお年を、お迎えくださいね。


雨谷とうか / 飴屋
@ameya_ayameya

2022/12/30

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