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短編『魔法使いの祝福』

現在制作中の長編から、中心人物のふたりにちらっと出てきてもらいました。
持って生まれた琥珀色の目がすきになれずにいた女の子と、彼女のことをだいじに想っている男の子の、呪いと祝福と、恋のおはなし。

(1年ほど前、Twitterに投稿済みの作品です。)



 
 
 変なの。
 
 ぼくの目を勝手に覗いたやつらは、ほとんどがそうやって勝手なことを言う。光の加減によっては、はっきりと金色に光ってる、みたいに見える、らしくて。そういうタイミングで見られてしまったときには、ヒトじゃないみたいだ、とかいうことも、言われて。少し睨みをきかせただけでも、本気で泣かれるほど怖がられたりして。
 カラーコンタクトって手段があるのを知って、一度試してみて。それからは、もう、手放せなくなった。おとなしいブラウンにも、あきらかにありえないピンクとかにもできるの、気が楽だったから。
 黒かった髪を、思いっきり明るく染めたのも。ぼく、って一人称を好んで使うようになったのも。ぜんぶがぜんぶ瞳の色のせい、ってわけじゃないけど、理由のひとつには、いつだって目のことがついて回ってた。
 どうせ変だと言われるんなら、って。
 
 
 だから、詠人がふいに目元を見つめてきたの、すごく怖かった。約束してた時間に遅れそう、ってなって、カラコンできなかったせいで、余計に。
 わかってる。このひとだったら、ああいう、ばかなこと、ぜったい言ってこない。わかってるのに、身体が怯んだ。身を引いてしまったのが伝わったようで、向こうも軽く距離を取ってくれた。くしゃり、片手で頭をなでられる。
「ごめんね。目、勝手に見てた」
「こっち、こそ、ごめん。逃げちゃって」
「ん、いいよ。だいじょうぶ、気にしないで」
 ふわふわと、ぼくの髪を簡単に整えてから、彼の右手がすっと離れた。このひとの部屋にはしっかり窓があるから、色づいてきた日の光がよく入ってくる。使っているソファーの近く、ローテーブルに置いてあったタブレット端末を、詠人の手が取って、膝の上で抱えるようにして。作業に戻るんだろうな、って察しがついたので、ぼくはなんとなく、窓から空を眺めていることにする。燃えてるみたいに鮮やかな、夕焼け。
 ここのフレーズ、どの楽器の音色がいいか、とか。こういう主旋律にしたいけど、無理なく歌えるか、とか。隣から尋ねてくる声には答えるけど、こっちから無意味に話しかけることはしない。少しずつかたちになっていく音楽のかけらを聴いて過ごす、この時間が好きだ。ひととおり最後まで曲を流してみて、本人のお気に召したようで。ふらり、詠人の視線がこっちに戻ってくる気配。なんだろう、と思って、ぼくも彼に目を向けてみると。
「きょうの目、綺麗な色だよね」
「そう……かな」
「うん。なんだろ、琥珀みたい。すごく似合ってるな、って思って、つい見ちゃったんだけど」
 タブレットの画面をロックする音、テーブルに端末を置く音。そのあと、身体ごと、ぼくのほうに向き直ってきて、
「それもカラコン?」
「あ、と。……きょうのこれは、カラコンじゃなくて」
 その先の言葉が、詰まった。詠人はぼくの言葉をちょっと待ってくれて、その空白になにかを察したようで。ぼくが口にできなかったところを、さらりと言ってくれた。
「もともとの色なんだね、それ」
 頷く、だけでも、だいぶ勇気が要った。ずるずる下がり続けている目線を、上げるタイミングがなくて、困る。
「目のことで、なんかあった、とか?」
「なんか、っていうか……」
 もう、うなだれてるのと変わらない。ピンクアッシュに染めてる髪が、はらはらと視界に入ってくる。この部屋のフローリングって、こんな、暗い色だったっけ。
「あんまり、いい思い出、ないんだよね。なんなら、嫌な記憶ばっか、って、いうか」
「そっか」
 詠人、いま、どんな顔してるんだろ。そろり、ほんのちょっとだけ、視線を上げる。口元に右手、伏せられた目、軽く左のほうへ傾いた頭。なにかを、考えているときの。よくわかんないけど、まあ、そっとしておこう。そんなことを思った矢先、彼の手がぼくの額に触れてきた。なんで。反射で目を瞑ってしまって、その隙にさらりと前髪を流されて、額にあった手で頭を支えられて。まぶたに触れる、やわらかいもの。
 なに、これ。
 状況に、ぜんぜん追いつけない。中途半端に浮いた両手を、ひとまとめにふわっと握られる。彼の手に、ぎゅっと縋りつくみたいになった。ほんの数秒が、やけに長い。名残惜しそうに、ゆっくりと唇が離れていく。それでも、つないでもらっていた手は、離す気になれなかった。
「な、に、いまの」
「んー? うーん」
 頭に触れたままの手で、また髪をふわりとなでてくる。おそるおそる、目を開けてみると、穏やかに笑う双眸が真っ先に見えた。あんまりに優しい表情をしていたから、ぶつけようとしてた文句もどっかへ消えていってしまった。
「いい思い出、ひとつくらい増えたらいいな、みたいなこと考えてた」
 目、もうちょっと見てもいい? って言われて、拒む気になれなかった。ちょっとでも嫌だったらぜったい言ってね、とつけ加えられて、それで気づいた。このひとの目は、なんにも嫌じゃなかった。
 至近距離からじっと覗き込まれていると、吸い込まれそうだ、とか、ばかみたいな錯覚をしてしまう。ぼくの目を間近で眺めながら、詠人はゆるりと首を傾げて。
「……べつに、瞬きはしてていいよ?」
「う、わぁ」
 瞬きすら忘れてたなんて、自覚してなかった。目が乾くわけだ、なにやってんだろ。それでもなんだか躊躇ってしまって、瞬きのひとつもうまくできなくなる。そうこうしていたら、こちらを見つめる双眸がいっそうやわらかく笑って、そのあとで。
 はくりと、唇を重ねられた。視線はさっきからずっと絡められたままで、ふわふわと髪もなでられたままで。こんなに、甘やかしてもらったこと、なくて。どうしたらいいんだろ、なんにもわかんない。勝手に、きゅうっと目が細まる。彼の腕にしがみついたのも無自覚だった。じんわりと視界が滲む。ぽろぽろあふれてきた涙を、彼の指先が優しく拾ってくれる。頭が霞んで、くらくらする。
 さすがに、呼吸、そろそろやばい。そう思ったのとほぼ同時、重ねられていた唇がそっと離れた。そのまま頭を引き寄せられたから、素直に体重を預けて抱きついた。涙が、ぜんぜん止まってくれない。あらためて髪に触れようとしてくれた彼の片手がわずかに躊躇ったの、気配でわかって。こっちから、頭を寄せた。
「ごめん、あの、そんなふうに泣かせたかったわけじゃ」
「謝んないで」
 遮る。言葉の途中だって、わかってたけど。これで謝られるのは、ぜったい違う。聞きたくない。
 そういうことに、したくない。
「いやだった、とか、そういうのじゃないから。ごめんって言わないで」
「……ん、そっか。わかった」
 くしゃっ、とぼくの髪をなでた手が、背中に置かれる。あったかい。とん、とん、ゆっくりめの、一定のテンポで、落ち着かせるようにそっと叩いてくれる。速まっていた呼吸を、詠人の手に合わせて整えていく。深く息を吐いたら、目を閉じる。
 言える、かな。わかんない、けど、詠人に聞いてほしいなって、思ったから。頭のなかでうまくまとまらない言葉を、それでも、どうにか拾って。
「いままで、いなくて」
 吸い込んだ空気から、ほのかに香るもの。甘さのなかに、少しだけ苦みのある柑橘、みたいな。自分じゃないひとの匂いなのに、なんでだろ、すごく落ち着く。
「ぼくの目、こんなふうに、ちゃんと見てくれたひと、いなくて。きれい、なんて、言ってくれたの、ほんとに詠人がはじめてで、それでっ」
「うん、そっか」
 もういいよ、って、告げるみたいに。ぽふっ、と頭に置き直された手が、びっくりするくらい優しかったから。それ以上、言葉なんか出てこなかった。なにがなんだかわからないまま、こどもみたいに声を上げて泣いた。
 つらくて泣いたわけじゃない、ってことだけは、わかった。はっきりと、わかってしまっていた。
 
 
 
 ——自分の目、見るたびに、このことを思い出すのかな。
 触れてきた体温だとか、優しい指先とか、唇に落ちた吐息とか、支えてくれてた腕とか、ほのかに甘い匂いとか、まっすぐ見つめてくれた瞳の深い色、とか。
 そんなことになったら、もう、心臓がいくつあっても足りない、けど。
 
 ありがと。
 きみの魔法で、ぼくの呪いがひとつ、解けたんだと思う。
 
 

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