TOEICと自分の傾向について

 TOEICを受けてきた。
 いや久し振りの投稿で、経過とかもなく終わったことだけかいという感じだが、特に面白みもなく終わった。そんなガツガツ勉強してなかったし。
 点数を取りに行くぞ! という感じではなく、普段のろのろやってるのがどれくらいなんだろうね~という確認で受けた感じ。
 そんでもって気が付いたことが色々あったのでそれをまとめておく。


 まず、私はびっくりするくらい、身銭を切るという手段に意味がない
 よくあるではないか、先に試験を申し込んでおいて「これだけ払ったんだから……」という気もちで自分を追い込もうみたいなやり方が。試験勉強などでは結構セオリーになっている気がする。まず申し込もう! なんてのはよく見る文言だ。
 ところがどっこい(死語か?)
 私はそれが見事に作用しなかった。
 払ったもんは払ったもんである。ただそれだけだ。私が試験を受けると言ったのだ、その費用を払ったに過ぎない。それがあるから頑張ろう、という結びつきはそこに発生しない。試験という予定が出来たなあ、というだけである。
 なんでだよ
 自分でもびっくりだわ。頑張れよ。
 さらに言うと試験だから頑張ろうでもないのである。今回は合格というわかりやすいラインがなかったのもあるが、とはいえ点数の目標くらいは作れるのだ。それくらいはやれよという感じだが、何もしなかったな……
 とはいえ逆に試験がなくても勉強はするのである。その時に自分がやりたいものであれば、試験の予定が無かろうが平気で休みの日に数時間勉強してたりする。簿記は実際勉強だけして面白かったな~で試験を受けていない。いや受けろよ。ユー○ャンもびっくりだよ。
 確かに、試験に限らず私は払ったものに対してかなり無頓着である。手に入れる対価を払ったのだし、それを売った時にいくら入ってこようがあまり気にしない。そりゃ高値で売れたら嬉しいなとは思うが、そのために色々なやり取りをする気にはなれない。(だからメ○カリを未だに使えていない)
 あー……さもありなん。
 それこそ試験に受かったら給料が上がるとか言われても、そっちはそっちでまったく作用しない。マジでどうでもいい。上司も頭を抱えていた、インセンティブで成績上げさせようとしても無意味すぎる……と。正直すまんかった。

 じゃあどうするか。
 そこで、そもそも私は何を報酬に勉強してるんだと考えてみた。
 まあ至極単純で、やりたいからだ。身も蓋もない。英語は若干目的があるが、最近薄れてきた。英語でシェイクスピア読んだらおもろいんやろな、というのと、最新論文は英語の方が絶対数があるよなというに点が最初の目的だった。今は英語がちょっとできるのが楽しいのでやっているという部分が強くなってきたが。
 簿記もマジでやってみたら面白そうで手を出したし、やりたいなという気持ちだけでITパスポートの参考書買ったし。そこに「資格取って転職を有利にしよう」みたいな気持ちがないわけではないんだろうが、マジで職に関係ない「チョコレート検定」とかも受けてみたいので実利への傾きはわずかな可能性が高い。
 おそらく、新しいことを知ること自体が、すでに報酬なのだろう。本を読み始めると止まらなくなるのもそこだと思う。小説より学術系の本が家に多いのも頷ける。

 それならもう、そこを上手く使っていくだけだ。
 いかに「やりたい」の気持ちを継続させるか。
 あとはシステムを作ってしまうこと。毎日やると決めてシステムを構築すると、私は割と淡々とやれてしまう。今も基本通勤時にDuolingoを開くのは決めてやっているし。ここらへんは特性だろうなあ。ラッキーなことに、職場での異動のおかげで時間の固定がしやすくなる。ここを追い風にしよう。


 そんな感じである。
 気付きはまとめておいた方がいいので、まとめておいた。
 同じようなタイプの人に、追い込めなかったのは怠惰とかそういう話じゃないと思うよと伝わればなお良い。単純に罰やらご褒美やらの種類が違うだけだろうから。


 来年は受けるかわからんが、せっかくシャドーイング始めたしまだまだ勉強したいので、また自分の位置確認くらいで受けるかもしれない。話す方受けてもいいな。いっそ合格というわかりやすいラインのある英検でもいいかもしれない。そこはまた考えよう。
 せっかくなので点数も届き次第晒しにこようとは思う。それでは。

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