2024年3月24日の日記。『ソフト老害について思った事。』


※この記事を読むと、後輩の仕事に対しての自分の振る舞いが、老害化していて、それが無自覚だった事にショックを受けた。という内容だった。
成程な~。と思いつつも、心にモヤモヤした感情が芽生えたので、このモヤモヤの正体を突き止めるべく、今更ながら『ソフト老害』という言葉を知った時に感じた事を書こうと思っている。

老害というストロングワード



まず初めに老害について書いて行くが、そもそも「老害」という言葉も好きではない、理由はこのワードを言えば大概の事は説明不要になるからだ。
あいつは「老害」だから駄目だ。
確かに、そういう状態も見受けられるし、それで個人や会社が被害を被るのなら糾弾し断罪させるべきだ。
でも、老害というワードは万能ではないし、他の言い回しがあるはずだ。
その言い回しの一つが老害だったはずなのに、いつの間にか市民権を得て、「このワードを言えば、皆迄言わなくても察してくれるよね?」と言うような雰囲気さえ漂っている。その擦り寄ってくる感じが嫌なのだと思っている。

そして『ソフト老害』に戻る。


※「ソフト老害」という言葉。大事なのは老害になってるか否かであって、カフェインが少し入っているコーヒーを、ソフトカフェインコーヒーと言わないのと同じで、少しでも老害的な行為があったら、それは老害という事なのだろう。
ただ、30代40代の場合「老害」という言葉が適切ではないから、「ソフト老害」という言葉を使用したのだとすると、その言葉は適格では無い気がした。
先輩が後輩に見下すように、自慢げに偉そうに指導する様を言い表すなら「先輩風を吹かす。」という言葉で説明が出来るのではないだろうか。

しかし、記事のタイトルが「僕も先輩風を吹かせていた。」だったら、多くの人に届いたかと言われると疑問が残る。
「ソフト老害」という言葉に引っ掛かってこの文章を書いているのは事実だからだ。

従来の言葉で説明出来る現象なのにも関わらず「ソフト老害」という言葉で一新させようとする心積もりを感じた。あくまでも、私がそう感じただけだ。
モヤモヤした感情の正体は、その心積もりに対しての違和感なのだと結論付ける事にした。






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