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けもの触れんず

これを言うとおそらく反感を買いそうな気がするのだが、勇気をもって申し上げる。実は生き物全般が苦手だ。
脊椎が有るものにせよ無いものにせよ分け隔てもなく、基本的にすべて苦手だ。
何か犬に嚙まれただとか、猫にひっかかれただとか、そういうトラウマエピソードがあるわけではなく、子供のころからなんとなく苦手で、それは今もあまりかわらない。
虫が苦手というのは共感してもらいやすいので、わりと大っぴらにも言えるのだが、犬とか猫だとか哺乳類系になると人に理解してもらえないような気がしている。
世は大ペット時代。いまや子供の数よりも犬と猫を合わせた数の方が多い世の中である。
もしも動物が苦手などと言えば「冷酷」だの「血も涙もない」だの「ひとでなし」だのといったそしりを免れない。たぶん。面と向かって言われたことはないけど、きっとそう思うに違いない。実は私以外の人間も怖いのは秘密。
冷血人間のそしりを免れるための弁明をすれば、実は動物を遠巻きに見る分には、それほど嫌ではない。
いちおう私にも多少は生類を憐れむ心の持ち合わせくらいはあるので、散歩している犬を遠巻きに見るだとか、池の亀だの鯉だのを眺めるだとか、動物園で檻の向こうにいる象をぼんやりながめるだとか、テレビの番組で野生のチーターを見るのだとか、そういうことであれば心穏やかにいられる。
なんなら動物園や水族館で檻や水槽の前に掲げてある生息地やら生態やらの説明書きは、わりと熱心に読むくらいなので、厳密に言えば動物が嫌いなわけではないのかもしれない。
檻の向こう側や水槽の向こう側など、手の届かないところにいさえすれば、多少の可愛げすら感じることもある。
いっぽうで動物を触りたいだとか、抱きしめたいだとか、そういう感情が起きてくることは全然ない。本当にない。やせ我慢か何かとでも思うかもしれないが、本当に一ミクロンたりとも、そういう感情が起きてこない。
動物園などで「ふれあい動物園」なるコーナーが設けられていることがある。
たいていは柵で囲まれたスペースの中に入ってウサギだとかモルモットだとかに触れることができるというコーナーなのだが、私はこれが子供のころからすこぶる苦手であった。
一般に愛くるしいとされている動物を目の前してなお、私はなぜ動物を触りたいと思うのか、まったくわからないのである。
あるいは言い換えれば、私は動物との「ふれあい」というものが苦手なのかもしれない。

 そっかー!あなたはけものに触れないフレンズなんだねー!
 そうだよさーばるちゃん。だから僕は「けもの触れんず」だよ!

そんな「けもの触れんず」な私があるときぼんやりテレビを眺めていると、ちょっと変わった動物とふれあえるカフェの紹介をしていた。
ハリネズミだとか、ミーアキャットだとかの小動物が中継しているアナウンサーと、カメラの前でいわゆるところの「ふれあい」をしている。
おそらく何分、何時間でいくばくかのお金を払えば、「ふれあい」というのをさせてもらえるのであろう。
おそらく、これを見た視聴者に期待されている反応は、「かわいー!」だとか「いきたーい!」だとか、「飼ってみたーい!」だとか、そのあたりなのだろう。でも「けもの触れんず」な私は理解に苦しんでしまうのである。
そもそも、ああいう原野だか森だかに住んでいるような野生動物が四角四面の部屋やら檻やらに閉じ込められているのを見て、気分がよくなるものなのであろうか。
いつか飼われたウサギがゲージの中を窮屈そうに飛び回っていたのを見たときも、まず第一に気の毒だなあと思ったことを思い出す。
もしかするとそれは私が冷酷なせいで、動物を見ても直ちにかわいいという感情が湧かないからなのかもしれないの。
それに加えて得体のしれない人間が、ペットみたいにべたべた触って「ふれあい」とやらをしているのも、動物にとってうれしいものなのかどうか。
だいたいハリネズミなんていうのは見てくれからして「ふれあい」を拒絶しているようにしか思えない。
でもそれもきっと私が「ふれあい」を理解できない「けもの触れんず」というやつだからのであろう。
きっとはるばる海を越えてこの日本のビルの一室に身を置くことになったあの野生動物たちも人間と「ふれあう」ことができて心底うれしいに違いない。
もし人間側がそんな動物の喜びを想定せずに「ふれあい」とやらをしているのだとしたら、けっこう怖い。
いや、喜んでいると思っていてもそれなりに怖いけれど。
あるいはちょっと考え方を変えてみよう。
たとえばお金を払って「ふれあい」をするのが人間対人間だとしたら。
お金を払って「ふれあい」に近いことをするといえば風俗というのもある。
人間も人間にお金を払って、人間と「ふれあい」を楽しんだりするのだから、いわんや動物においてや、というところなのかもしれない。
やっぱり知らない人間もちょっと怖いと思っている「けもの触れんず」な私には、そんな人間との「ふれあい」というのもよくわからないのだけれど。
やっぱり私は動物とはできるだけふれあわなくてもいいと改めて思う。
人間と動物がそんなにふれあわずに、生きていく道はないのだろうか。
人間は人間。動物は動物。お互いの領分をなるべく侵さずに遠巻きな友達としてやっていく。それではだめなのだろうか。
私とけものはふれあわず、けものふれんず。
少なくとも私はそれがいいよ。

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