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音楽を演奏することで得る「魔法の時間」

 私が意識的に音楽に接触することになった理由ははっきりしている。
 中学校の音楽の時間に「スコアリーディング」を学んだことだ。お題はクラシックのベートヴェン、交響曲第5番。いまでも、中学生のつたない文字で書かれた「ソナタ形式」とか「展開部」とか「再現部」とか残っているスコア(総譜)を持っている。

 本当は中学校の時に、吹奏楽部に入りたかった。
 でも、その時同学年の男子は一人もおらず、思春期の私は吹奏楽部に入ることもなく、不完全燃焼でもやもやとした日々を過ごしていた。

 高校生になったとき、一番最初に飛び込んだのは、音楽部(吹奏楽部)だった。気がついたら、トランペットを担当することになり、親の好意のおかげで現在も使っている楽器を手に入れ、3年間、勉強そっちのけで部活に熱中していた。

 ただ、私の悪い癖。「どうやったらうまくなれるのだろう」と考えだしたところが悪かった。そこで1冊の本に巡り合い、教科書にしたフィリップ・ファーカスの「すべての金管奏者のために」。それを元に、これを大学時代、社会人時代もある程度ふける程度のレベルは維持できていたが、上手くはなかった。まあ、今でも上手くはないが。

 社会人になり、楽器からしばらく離れることになる。
 5年くらいあまりトランペットを触らない時間が続いたのだが、そんな暇すらなかったのだ。

 しかし、その私に、高校の恩師が指揮を振る楽団のお誘いをする人が現れる。定期的にお誘いをされる。まあ、1回は顔出すのも後輩にも先生にも礼儀かな?と、つい行った楽団が「沼隈サンパルオーケストラ」だった。

 そこで出会ったのが、私の心の師匠。小原先生である。小原先生は、私の演奏と話を聞くと、伸び悩みの問題が「ファーカス信者」であることが分かった。全く違う観念を教えていただき、ビックリするくらいトランペットの音が変わり、演奏が楽になり、音楽が楽しくなっていった。

 当時のサンパルオーケストラは、なぜか弦楽器と管楽器が分離しており、それが初めて一緒になったときの曲がシューベルトの「未完成」だった。
 サンパルオーケストラは、なぜか講師陣が充実しており、NHK交響楽団の奏者の方、読響の方、フリーだがウィーンで修行した小原先生。本当にたくさんの学びを得ることができた。
 そこで、毎年、毎年レベルアップする選曲。未完成から、カルメン、白鳥の湖、ペールギュント、運命、チャイ5、ベト7、新世界、ドボコン・・・。数々の作品に触れながら、現役バリバリの講師から教えをいただき、本当の音楽の楽しみを教えていただいたような気がする。

 仕事が忙しくなってしまったため、サンパルオーケストラは休団(してるのか?)し、地元の高校のOBが中心となった吹奏楽団が、活動のメインになる。そして、なぜか三原室内管弦楽団にも乗せてもらえるようになり、すっかり三原が拠点になり、つい最近にはPJO(ポポロ・ジュニアジャズ・オーケストラ)にも足を突っ込んでしまった。

 私は、そんなに音楽のセンスがあるほうではないし、楽器もそんなに上手でない。ラッパ奏者によくあるような、マニアックなものでもなく、普通の楽器で満足しているし、トップを吹きたいともソロを吹きたいとも特に思わない。
 ただ、音楽を楽しみたいのである。

 その一番最初のきっかけは、高校1年生の吹奏楽コンクールの本番だったと思う。舞台に乗り、演奏し、妙に感動し涙した。その時間が私にとっての「魔法の時間」だったのだ。

 その「魔法の時間」を追い求めて、今まで音楽を続けてこれたのだと思う。思い出してみても、いくつもその「魔法の時間」を経験してきた。それは、もう、どんなことよりも快感な時間なのである。

 好きな曲を聴き、感動して涙したことも、多くある。好きな映画を見て感動したことも、芸術に触れて感動したことたくさんある。
 でも、結局、プレイヤー側に立たないと「魔法の時間」にはたどり着けないのである。

 それは、仕事でも同じこと。なにをするにも同じこと。プレイヤー側に立つことが「魔法の時間」を得る、唯一の手段なのだ。
 そして、その「魔法の時間」を得るために、たぶん、私は生きているのだと思う。その「魔法の時間」を得るためには、かならず自らへの負荷がかかる。しかし、その負荷が報われるときにはじめて「魔法の時間」をえることができるのである。

 では「魔法の時間」とは、なんなんだろう。
 他人に分かるように説明するならば、たぶん、多くの人と一緒になって、同じことを楽しみ、感動する「ほんの少し」の時間。何秒かの時間。なのだろう。

 ほぼ半世紀を生き、そのことに気づいてきた今日この頃。
 やっと、人生の1歩目に立ったような気がする。