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不穏な空気のままで過ごせばいい。

相変わらず北の国からを見続けて今丁度半分くらいまで
見終わった。

疲れる。
凄く。

映画でもそうだけど
完全に映像の世界の立ち位置で観てる。

だから現実まで戻ると
あーーーー今なんだ。
と思う。毎回40年経過する。

でも映像の中の北海道は電気も水も全て自分で
引いててガスはまだ来てないと思われ。

埋もれた車を探すのに馬が登場した。
純と雪子おばさんを救出するのに
馬を貸したおじさんにお礼の1万を差し出すと
おめー人の命が、たったの1万かと言われ
10万と払えという始末。

純がお母さんに電話するのに中畑のおじさんの家から
そして蛍に至っては学校の職員室から
こっそりかける。

今ならスマホでかけるし
ラインがあるから電話なんてかけなくてすむ。

螢が純から預かった母親あての手紙を出すようにいわれたが川に落とした上に路頭にまよって大騒ぎなんてのもある。

手紙を出すために街まで出かけるとか
道に迷うとか
帰ってこないから大騒ぎとか
今のドラマならこんなシーンは登場しないだろう。

でも、その今ならありえないシーンだからこそ
人の胸をうつことも美しい描写もある。

不便な生活は時として美しいのだ。

不思議とこのドラマを観てて思い出される
ふとした日常の感覚。

ドラマの中で雪子おばさんが
牧場の若者の草太さんの牧場の手伝いを頼まれる。
草太さんは婚約者がいるのに東京出身の雪子さんにべたぼれだ。

しかしそのことを良く思わなかった草太君の父親から
雪子おばさんはある日呼び出されて迷惑だということを
告げられる。

私はこの一連のやり取りを見て思い出したことがあった。
それはこのドラマの話みたいに
良かれと思ってやったことが実は相手はそう思ってなかったという
苦い思い出だ。

今から2年位前に、突然知り合いの女性からメッセージが届いた。
「あの時の失礼を許して欲しい」という内容だった。

仮にAとしよう。
Aとはあるセミナーで知り合った。
仲良くなり彼女が妊娠をして周りも私も嬉しかった。
無事出産を終え出産祝いを用意して
赤ちゃんの顔を見に行くことになった。
リクエストがあったおもちゃと
何か食べたいものをということで焼き菓子を買った記憶がある。

しかしどうも様子が変だった。
当日私が約束の時間に遅れることを連絡しても
返事が来なかった。
引き返そうと思った矢先に
「さっきメール見た」という返事があり
ともかく行くことにした。
家の近くまで来て連絡してもやはり返事がなく
やっと連絡が付いたと思ったら
親戚の人と電話で話してて気が付かなかったという。

わたしはともかく赤ちゃんの顔だけ見て
帰ろうと思い、家に上がらせてもらった。
何もないし用意してなくてごめんねといって
出てきたものは白湯だった。
持ってきたお菓子も箱から出されることもなかった。
わたしは不穏な空気を感じて
赤ちゃんの顔だけ見て早々に帰った。そのあと
彼女からは一切の連絡がなくなった。
出産祝いのお礼も何一つなく
それが彼女からの答えだと思った。

わたしはお祝いをしに行っただけなのに
何が面白くなかったのか
全く見当がつかなかった。
もしかしたらとっくにわたしのことなんか
嫌いだったのかもしれない。
それを私が気が付かなかっただけなんだろうと・・
そんな気持ちになった。

ドラマを観てふとそれを思い出したのだが
先ほど書いたように
2年ぶりに彼女からお詫びのメッセージが来た。
長い長い言い訳のようなメッセージだった。
その時共通の友達がいたので
「悪いけど先に読んでもらえる?」といって
目を通してもらった。
すると
「アメリアさんが読まなくても良いかも。
長い言い訳だよ。」という。
私はそのあと斜め読みをしたけど
良く頭に入らなかったし、正直ムカついた。

しかしなぜ2年もして謝罪なんかしてるんだろう。

わたしは許す気になんかまったくならなかったし
一生そのままでいいと思ってすぐにブロックしてしまった。
ブロックすることが私の答えだ。
どうかその不穏な空気のままで過ごしてくれと思った。

あのドラマはそういう意味では色んな懐かしさを運んでくる。

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