天之妙見宮
信仰を持つということ、
それは、神さまを信じる、信じない
ということではなく
日々の生活の中で
神さまを感じて生きていくことだ
と話してくれたご高齢の方がいます。
例えばご飯を頂く時、
手と手を合わせて
「頂きます」と祈り、
食事が終われば
「ごちそう様でした」
と祈る。
誰に向けて言う訳ではないこの言葉、
自分の中の神さまに祈っている、
ということだそうです。
この何気ない仕草の中に
信仰の心がある。
これが自分の中に神さまがいらっしゃるのと言うことで
生活の一部なんだ」と。
この話を聞いて感動したことを覚えています。
「私は神さまを信じない」
と言っていた友人が
初詣や子供の受験の時
神社に行って祈念した、
と聞いた時、
妙に納得した私でした。
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