楽しい街渋谷

渋谷のセンター街入口のスタバの前で友達と待ち合わせしていたときのことです。
後ろのガラス越し近くに大学生みたいな男の人が店内で列に並んでおり、ふと振り向いた時に目が合いました。

ここは渋谷なので、私は笑顔で親指をたてました。

渋谷は、知らない人同士でも気軽にコミニュケーションが取れるのが楽しい街なのです。


そして彼は、ガラス越しにたぶん死ねと言ってこちらを睨んできました。


私の思い私の願い。それはおまじないのようなささやかな祈りの類い。

私はただ、みんなのイメージの中にある楽しい渋谷に参加したかっただけなのです。

しかし年下に死ねと言われてしまった。

渋谷は楽しい街です。
何が楽しいとかではなく、楽しい雰囲気を楽しむ街です。
そうやって人はみな渋谷という街を利用してリミッターを外し楽しむ。それは同時に楽しい渋谷という街の幻想を作っていきます。
そして誰の頭の中にも渋谷は楽しいというイメージが出来上がるのです。

これは誰のものでもないけれどみんなのもの。ふしぎやさしいなぞなぞ。私たちは隣地境界線上に咲いた花を見つめる同じ人。それはおまじないのようなささやかな祈りの類い。


そういったイメージがより結晶したものが、スポーツの日本代表の試合で勝利したらスクランブル交差点を走り回ったり、ハロウィンで仮装して走り回ることです。

こういう、渋谷には良くも悪くも人を狂わせる祭りのような力がある。
渋谷に初めて来た人が「今日は祭りでもあるのか?」と思うのは正解です。
毎日が祭りの熱狂のようなものです。

だから、熱狂から抜け出し冷静になって一旦千葉とかに離れてそれらをよく見てみると、あれだけ楽しかった渋谷はただうるさい汚い街で、あんなにオシャレに見えたスタバはただの泥水です。

しかしそれを分かりながら束の間馬鹿になり熱狂するのが楽しい。夢から醒め、真顔のまま汚い街を徘徊しながら泥水をすすることには実際的にはなんの楽しさもない。
桃源郷であろうと楽しそうにするから楽しい。

ですから渋谷にいるのであれば渋谷的に狂うべきです。
みんなで楽しむのです。
そして楽しい渋谷を作っていくべきです。

それが彼といえばどうでしょう。
つまり彼は、楽しい渋谷の街作りには貢献したくはない。だけれどスタバ片手にセンター街を歩いて自分は楽しみたい。
この、お祭りの準備は手伝わないのに当日しれっと白々しい顔で来れる人間の、全員に見透かされている不徳を隠すどころかその卑怯な生き様を変えずに済むようポジティブに解釈してくれる占いでも見つけたかのような開き直った真顔。

渋谷に行ったとき一番やってはいけないこととは、彼のように半分だけ正気に戻り渋谷に居ること。それだったら完全に正気に戻り一旦千葉とかに居た方が良い。
正気の日常があるからこそ、狂気の渋谷に狂えるんです。

彼のような振る舞いの人が増えてしまったらささやかな祈りの類いは散り散り渋谷は、次第にその幻想の力を弱め本当にただうるさい汚い街になってしまう。

渋谷に行くなら狂う。それが自分のためでもあり渋谷のためです。
狂わないのであれば一旦千葉とかに居ましょう。

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