広島での、積木遊びのような1日

以前、広島に3人で仕事で行ったときのこと。
昼食に寿司屋に行き海鮮丼を食べた。
私たちはカウンターに近い座敷に案内され、3人ともに海鮮丼を注文しました。
来た海鮮丼の魚はどれも新鮮で美味しくて、また嬉しかったのが付いてきた茶碗蒸し。
久しぶりに外で食べる茶碗蒸しの美味しいこと。
一番好きな食べ物が茶碗蒸しの人がいますがなんか分かる気がした。
そうやって美味しく食べているとき、ひとりの奴が海老がアレルギーで食べられないと言って私たち2人の丼に甘海老を分け与えてくれた。
その海老ももちろん美味しくて少々気の毒だったがありがたく頂いた。


ある時カウンターの中にいた板前のおっさんが便所に行くのか私たちが居る座敷の席を横切った。
と思ったら刺身が乗った小皿を海老アレルギーの奴の横に置いたのだ。
「切れ端だけどね」と。
板前は見ていたのだ。彼が海老を他の2人に渡していたのを。

確かに、私たちが食べていた座敷からカウンターにいる板前は見えた。
だけども当たり前だが板前は私たちのことをジーッと見ていたわけではない。
他にもお客は結構いたから何らかの仕事をしていたはずである。
それでもさり気なくこちらの様子を窺っていたのだ。

思えば料理が運ばれてきたタイミングも3人バラバラだった。
これが例えば3人同時に配膳してもらっての海老であれば、板前も見ているかもしれない。
しかし、3人の料理は割と同時ではなかったし、今考えてみれば海老を食べられない奴のカミングアウトのタイミングも変だった。
気恥ずかしさなのか、彼は少し食べ進めてからそれを告白したのだった。
それを見逃さなかった板前のおっさんは見事である。

ただきっとそれも客の反応を見るという大事な仕事の一つなのだろう。
そして今日の魚の良し悪しや料理の改善に繋げているのだろう。

出てきた小皿が刺身の切れ端なのも良い。商品の刺身ではやり過ぎである。
だから「切れ端だけどね」のこの台詞なのだ。本来棄てるようなところで悪いけどという含みがあり、他の客への配慮がある。
素晴らしい板前である。

逆にこれが悪い板前だとどうだろう。
海鮮丼は不味いし先の海老の一件はもちろん見逃しているし、我々の座敷を横切ったときに「美味しいですか?本当ですか?」と聞いてくるであろう。
(この悪い板前、プライベートでも恋人とのデートは塩の博物館だし彼女の機嫌にも気付けないし、「俺のこと好き?」と何度も聞き何度も言ってもらわないと安心ができない)

そんなことなど起こるはずもない完璧な昼飯の時間は終わり、「ご馳走様でした!」と気持ち良く店を後にし、午後の仕事にも精が出たものだ。完璧な昼飯が完璧な1日を作っていた。
赴いた見知らぬ土地の先で出会った「粋」旅もしてみるものですね。


そして仕事も終わり夜、3人で居酒屋に行った。

夫婦でやってるアットホームな居酒屋で、楽しく3人で飲んでいた。
そこに後からお客さんが来たのだが、それがなんと昼の板前のおっさんだったのだ。
おっさんも私たちのことを見て「おお〜昼の」と流石覚えているようだった。
海老アレルギーの奴が「昼は気遣いありがとうございました!」と感謝の言葉を言っていた。

そしておっさんは焼酎を飲みながら私たちに「どこから来たの?」と話しかけてきた。
私は広島の話を聞きたかったので嬉しかった。

最初一通りの社交辞令のような、私たちがいつまで広島にいるだとか近くの老人ホームに仕事で来ただとかの質疑応答を終えると、次におっさんは「今朝の中国新聞読んだ?」と聞いてきた。
「読んでません」と返したが、ん?となった。
なんでそんな質問をするのだろうと私は思った。

この私の疑問を解決させない言葉をおっさんは続けた。
「今朝の新聞にね、ヨーロッパの女の子が地球温暖化を止めようとスピーチをしている記事があってね、わたしは読みながら涙を流したよ。」

とても反応に困る話をし始めたのだ。


つまり、中国新聞を読んだかの質問は質問でなく、自分の話を始めるための撒き餌に過ぎなかった。
仮に私が「はい読みました」「はい食べました」と返しても、おっさんはこの話へと繋げる算段だったのだ。

そこからおっさんは政治の話をし続け、私たちは相槌を打つことしか出来なかった。

なんかそういうのじゃないと思うのです。
私たちは他所から来た一種の旅行者なのであって、そういう人たちにバリバリ政治の話をするのは違うと思うのです。
「ここらへんは昔ね--」
みたいな話が聞きたいのです。
資本主義の限界の話なんか今聞きたくない。

そういった話もやっとひと段落して、また私たち3人で身内話しみたいな流れになったのですが、そうさせたくないのかまたおっさんが脈絡なく政治の話で入ってくるのです。
またしぶしぶ話を聞いているうちにこのおっさん、どうやら広島の人間ですらないみたいで本当に腹が立ってきた。


あの昼の繊細な観察眼と気遣いは一体どこに消えたのですか?
貴方ずっと喋ってますよ?会話のバランスおかしくないですか?
「今政治の話は嫌だよ」って言わないと分かりませんか?
私たち空調の仕事でここに来たと話しましたよね?
くしくも地球温暖化に貢献してしまう仕事なのですよ。
私たちに失業しろと言うのですか?
海老アレルギーの奴が早い段階で相槌さえ打たず無視してるの気付いてますか?

昼飯の新鮮な魚たちのエネルギーは私の憎悪として不本意な形で使われました。ごめんね魚。

そうやって私が心の中でおっさんを罵しることにシフトし始め、反応の悪さだけは察知したのか、おっさんは最後には居酒屋の大将を呼んでまで政治談議を行なっていました。

1時間ぐらいでしょうか。

「こうやってね、居酒屋で知らない人と喋るのが好きなんですよ」
という怖ろしい言葉を残しておっさんは帰っていきました。

私たち3人は、初対面の人に政治の持論をかますことに喜びを感じている嗜好も思想も歪みまくった板前が作ったものを、美味しい美味しいと喜んで食べていたのですね。

昼、板前のおかげで組み上げられていった私たちの完璧なはずだった1日の終わりは、それはまるで子どもの積み木遊びのように、板前自らの手によって崩されてしまったのでした。

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