見出し画像

人称と文体の問題

せっかくnoteのアカウントを作ったのに全然更新しないのはもったいない気がしたので、週1,2回くらいでエッセイ的な文章を書いていこうかなと。
記念すべき第1回目です。

画像がないのは寂しいので、今見ている風景

何を書こうかなと考えていたら、ふと文章を書くにあたって2つの問題が浮かんできた。

1つは「一人称をどうするのか」問題。
対面での会話なら「俺」だったり、「私」や「自分」といった感じに、時と場合に応じて使い分けるのが普通だが、いざ文章になるとどうしたものか。
プライベートでは「俺」を使うことが多いので、「僕」を一人称として使うことには若干ですが違和感があります。だからといって、わざわざテキスト上で「俺」と呼称するのも、変なこだわりがあるようで抵抗があります。

じゃあ「私」はどうかと言うと、これもまた違和感があります。
字面だけを見ると、どうしても話者が女性であるという風に感じてしまうため、わざと性別を偽っているようで心理的な抵抗が働きます。それなら、仕事をしているときに比較的使うことの多い「自分」ならどうかとも考えたのですが、これもまたテキスト上でまで「自分」と称するのもおかしいなと。
じゃあ奇をてらって「我」「小生」「某」など普段なら絶対に使わないような呼称を使うのも、変に狙っている感じがして乗り気ではない。

一見些細なことに思えるけど、自分にとって人称というのは割と大事なことなんだなと再認識しました。
とりあえず1人称は、話し言葉と同じでその時の感じで適当に使い分けていくことにします。

そして2つ目は、「文体を『常体』と『敬体』のどちらにするか」問題。
これまた非常に悩ましい問題です。
どちらかに統一して書いた方が良い気はするんですが、いざ文章を書いてみると無意識に常体と敬体が混ざってしまう。不思議なものです。話し言葉ならそうならないのに。ただ、これに関してはどちらかに統一しようと意識すると書きづらいしごちゃまぜでも良いのかなと、書いている途中に思い始めました。
というわけで、「常体」と「敬体」の使い分けは気にせず書いていこうと思います。

こんな感じで、週に1,2回更新で適当に何か書いていきます。
では。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?