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流れ仏

仕事で聞いた話だ。
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その家は旧村の名家だった。隣村との村境近くに住したために、どちらの名主でもなかったものの、二村に跨って顔がきいたという。その家を仮にI家と呼ぶ。
ある時、I家の当主が川仕事をしていると、川上から「とぷり、とぷり」と浮きつ沈みつ、何やら黒いものが流れてくる。
不審に思い、近づき手に取ると、それは丈一尺ほどの銅の美しい阿弥陀仏立像であった。この思わぬ拾い物を奇縁と喜んだ当主は、家に持ち帰り、仏壇に置いて懇ろに祀った。
しばらくして後、村に行者が来た。例の如く村中の家々を回って息災の祝祷を行い、終に村はずれのI家に立ち寄った。
家に上がった行者は、すぐに仏壇の仏像に気づいたという。問われるままに、当主は仏像を得たいきさつを行者に語った。すると行者は、「この御仏は大きく、素晴らしいものである。民戸で祀るような尊像ではない。川上にある寺から流されて来たものだろう。また、仏壇の大きさに不釣り合いな立派さであるし、この家の宗派とも合わない。仏像は、本来ならば本山に許しを得て祀るべきものである。これより私は京へ向かうので、この仏像を預かり、然るべき寺に納めて参ろう」と申し出た。
ここまで言われては当主も言い返せず、手放し難く思いながら、御仏を行者に預けることにした。
それから数日のち、再びI家を行者が訪れる。
驚いて家に上げると、疲れ切った様子の行者は数日前に預けた阿弥陀仏を風呂敷から取り、当主に差し出した。これにもまた驚いて、何かありましたかと当主が尋ねると、行者は不思議な話をしはじめた。
阿弥陀仏を預かり、一路京へと歩を進めたが、箱根の峠に差し掛かった頃、にわかに強い目眩を起こして道の端に座り込んだ。しばらく休み、起き上がって進もうとするが、また目が眩むを繰り返し、仕方なくそのまま木陰で仮眠をとることにした。
その夢枕に阿弥陀如来が顕れた。かの御仏の仰せられるには、「私はI家の子子孫孫に祀られん事を欲して川を下って参ったのに、まったく余計な事をしてくれた。このまま峠を越し、家を離れることは罷りならん。直ちに引き返せ」とのこと。そこで目が醒め慌てて飛び起き、急ぎ戻って参った次第である。
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現在、「メイシャ」と呼ばれたI家の本家筋は絶え、最も本家に近い分家が仏像とこの話を受け継いでいる。亡くなった分家の先代当主は、酒を飲むたびに息子の嫁にこの話を語ったそうだ。その嫁が現当主の奥方である。現当主はこの物語を大まかにしか知らなかった。
「この家の歴史は、嫁の私の方が詳しい」とは奥方の談だ。仏の一件は先代当主のお祖父さんの話で、明治の中頃の出来事だという。
奥方は、件の仏像も見せてくれた。確かに一般の家庭にある仏像としては立派な阿弥陀如来像であった。持ってみると見た目の大きさに比して軽く、中が空洞であるため、川を流れて来たことも肯ける。元は金箔が貼ってあったのか、如来の首のシワや衣の襞に僅かな金色が光っていた。
「この仏さんは振ると音がするから、中に仏舎利があるんじゃないかと思うの」と言うので、断ってから振ってみると、確かに音がした。
まさかゴータマシッダールタの遺骨ではあるまいが、小指の先ほどの乾いた木片が虚な金属の中で動くような「カラリ、カラリ」という音がした。
忘れがたい体験である。

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