見出し画像

【映画本】アメリカ映画に見る黒人ステレオタイプ 『国民の創生』から『アバター』まで

ごきげんよう。雨宮はなです。
今年もゴールデンウィークはおこもりバケーションが推奨されていますね。もともと長期間の休みがあると家に籠ってため込んでいたコンテンツを消化するのに使っていたので、いつもと変わらないゴールデンウィークです。
映画だけでなく、普段はなかなか一気に読めない本を読むのにとてもよいタイミングだと思うので、久しぶりに書籍紹介です!

今回私が紹介するのは、「アメリカ映画に見る黒人ステレオタイプ 『国民の創生』から『アバター』まで」です。

知って、

この本は大学生時代のサークルの後輩で今も仲良くしてくれている子が「たぶん、先輩はめっちゃ楽しんで読んでくれると思います」と教えてくれて知りました。大当たり、めっちゃ楽しんで読みました。

ただ、この本は非常に流通している数が少ないです。なぜなら、大学教授の方が書いている本で、しかも授業の教科書として使われるものだから。私が購入したのは去年の5月でしたが、当時はAmazonにも中古しかった記憶があります。現在は新品の在庫があるみたいです!

Amazon商品ページ:
「アメリカ映画に見る黒人ステレオタイプ 『国民の創生』から『アバター』まで」

読んで、

非常に濃い内容のものでした!黒人キャラクターにおける役割と特徴、過去作品における該当者と見解、ブラック・ムービーの遍歴など…読めば読むほど、早く映画を観たくなる不思議な本でした。

黒人キャラクターがおおよそ6種類に分けられ、どのような役割をもって作品に登場しているのか…もしくは、どういった事項で役割を判定できるのかを詳しく説明されています。
この本を読み進めるにあたり、大前提の知識です。歴史的背景から何から一気に説明されるので、ここでギブアップしてしまう人も多いかもしれません。冒頭ですが、読むのに時間がかかります。さすが教科書!でも、ここでじっくり読んで知識が馴染めば…そのあとはただただ面白い時間が待っています!

私が『グリーンマイル』でトム・ハンクス演じる主人公にモヤモヤした理由がしっかりと書かれていました。

楽しんで。

この本を読んですぐに楽しめるのは、安直ですが、本文中で紹介された映画作品とそのキャラクターに注目して鑑賞する方法です。紹介されている数がとても多いので、知識が馴染むまでこの本を開きつつ数をこなす…という鑑賞になるかもしれません。まさにトライアル。
勉強のつもりで観なくても、自分の頭に残った分の知識でほかのアメリカ映画を観ながら「この作品におけるステレオタイプはこの人かな」「役割はこれかな」と考えを巡らせるだけで十分楽しいですよ!

私がもうひとつ楽しめた理由は、勉学的であったことです。久しぶりに教科書を読んで勉強した!という気分になり、非常に清々しかったのです。
こういう書籍にもっと早く出会っていれば。映画作品に親しんだり、そこから「これは何故だろう」「これを勉強したいな」という考えから大学を選んでいれば。タラレバになってしまいますが、どうしても思ってしまいます。せめて自分で書籍を探して勉強しつつ、今後の自分の人生を楽しくする材料を増やしていくしかないですね。

差別と表現手

近年、人種差別に関する話題がよく挙がったり、差別を表現・言及するような作品が以前より多く作られている、上映されるようになった印象があります。様々なものを表現する作品が広く普及し、様々な現象や価値案に触れる機会が増えるのは非常に喜ばしいことです。ですが、最近の傾向として「これは差別だ!だからダメなんだ!全く無かったことにしなくてはならない!」という思考と解決策になりがちというか、偏った傾向を強く感じます。むしろ差別的、というか。
肌の色、人種、性etc.で差別があるのは事実です。歴史や文化、脳科学的に無くならないものだと私は認識しています。良し悪しではなく、どうあっても無くすことができないものなのだという認識です。

それを無理やり「無かったこと」にしたがる意思をもった人が多いように感じます。たとえば、アワードは男女混合で行おうとか、主人公が白人だけなのは差別的だとか。それに、黒人をイメージしたメイクは差別だから役者のもつ肌の色のまま舞台をやろうとか。
本当に認められるべきならそんな規定がなくても認められるし、理想的なキャラクター設定なら何の問題もないのです。肌の色が物語にとって重要な要素なのに、それをわざわざ消した演出をするのは本質からズレているのではないか…。私はそう思います。

だって、「無くそう!」は「あるものを止めてあげよう!」なのです。
それに、「かわいそう!」は「私はそう思える立場です!」なのです。
これがすでに、差別的じゃないですか。
この本を読みながら、「現在の自分の認識とのすり合わせを行い、他者をみて判断するときの材料を得て、自分が差別的な言動をとる人間から少しでも遠い人間であるよう生きること」が自分にできる精一杯なのではないかと考えました。

今回も最後まで読んでくれてありがとうございます。
ではまた次の記事で。ごきげんよう。

いいなと思ったら応援しよう!