先日の投稿にお声掛け下さった方ありがとうございました。 気にかけてくれる人がいるってこと、普段人と関わらないから嬉しい自分がいます。 撮影をしないと私って本当に人と関わることないんだな、休日特にすることなく家にいるな、と思うこの頃です。 もう疲れたからしないっていう部分もあるんですが、カメラを通してでしか会えない人達がいるんですよね。 なかなか友人関係になることって難しい気がして、私が友人と思っても相手からは“カメラマン”と思われていたらそこで終わりですし。 写真を撮
お久しぶりです。 9月1日から就職して、会社員になり1ヶ月が経ちました。 今は仕事に慣れることで精一杯で他のことに手が回らない状態です。 皆さんはいかがお過ごしですか? 本来ならもう秋と名乗っていい時期なのにまだまだ暑い日が続くそうですよ。 10年に1度の高温らしいですが、そんなこと言って来年もそうだったら「嘘つき!」と言いたくなりますね。 7〜8月は無職期を過ごし、8月後半には有償依頼を受けていました。 依頼は数件で 多いとは言えませんが、有償でも撮って欲しいと思っ
いつも人の人生を覗く度に「この人は人生を歩んでいるな」と思い 自分は人生を歩んでるとは思っていなかった。 人生を歩むということはどんなことなのかは人それぞれだと思うけど。 今日初めて人生を歩んでいる実感をしました。 本当に申し訳ございません。 皆さん本当にごめんなさい。 展示出来なくなってしまいました。 理由をここに書くことは出来ないので 詳細は伏せさせて頂きます。 好きなことを仕事にするために挑戦したきたつもりです。 今回で3回目の夢が折れました。 流石にも
「生きて活動する」 生きていたら当たり前のことではあるけれど、人間らしく、自分らしく生きて活動することは当たり前ではない。 専門学校を卒業した4年前からより一層人間らしく生きたいと思うようになった。 描く人間らしいは人それぞれだけど、私はもっと外への関心を持とうと思った。 基本引きこもり、家にいることが好き、インドア、別にこれを否定することはなく好きなことには変わりないけどもう少しアウトドアな人間になりたくなった。 まず始めにしたのがキャンプ。 次はパラグライダー
湿気かもしれないということは置いておいて、5月に買ったお守りが膨らんできている日々です。 私の代わりに悪い気を吸ってくれてるなら助かるけど、それならもっと吸ってくれないと困るな。 5月に初めて熱海の来宮神社に行って、 生まれて初めて「この神社、私と相性いいかも…」と思った。 身体全体の風通しがいいというか、足の裏から脳天まで風が通ってる感じで、肩もすごく軽くなった。 せっかくだからお守りを買おうと思い迎えたのが『凪守』 波風が立たない平穏な日々が続くようにと願いが込
数年に1度、誰かに問われている 「生きててしんどくないか…?」 「生きてて楽しい?」「何が楽しくて生きているの?」 身体中が痛くなる言葉、第1位ですね。 楽しいことないと生きてたらまずいですか? 楽しい基準って人それぞれですよね? というひねくれた返答はさておき、 私自身、向上心があまり存在しないんですよね。 お給料を沢山もらいたいから労働がんばる!というよりかは自分が無理しない範囲の労働をしたい、給料はまあ生きれるぐらいの金額でいい。という感じ。 向上心がない上に
自分の中で区切りをひとつひとつ丁寧につけている日々です。 でも思い通りに区切りがつけれない季節になってきた。 好きだった冬はどうしてもメンタルがやられてしまう。 私がもう少し感情的な人だったら、辛いを理由に涙を流せたんだろうか。 どんなに辛くて悲しくてどうしようもなく泣きたい時、涙を流すことができない。 泣くって少しは心がマシになるって聞くけど、どうしたって泣けないや。 唯一泣ける方法は感動ものや悲しい映画・ドラマを見ること。その時は自然と涙が溢れて、結構泣いちゃうタ
私も思うことはたくさんある。 海はなんで深いのか この人にはずっと笑っていて欲しいな 連絡取れなくなったあの人は今頃何してるのかな 私っていつまで頑張ればいいんだろう、とかね。 最近の好きな曲の歌詞に 砂浜に絵を描いたよ すぐに消えちゃうように だって感情は誰かに見せるものではないから 私は、遊というアカウントで感情を見せるものではないと思って呟きを辞めた。 別に誰かに何か言われたわけじゃないけど、なんとなく必要ないなと思ったし、写真だけ見てくれたらいいなと思った
こんにちは 3月から始まった実咲さんの毎日投稿で写真撮らせていただいてます。遊です。 約30枚の写真を実咲さん本人ではなく他の人がセレクトするという一風変わった毎日投稿になっています。 3月はまず私が選びました。 私の写真を私が選ぶだけなので、私は31枚並んだ時に顔顔顔と連続してならないように考えた31枚(正確には32枚)にしました。 他の人はどんな気持ちでセレクトするのか分からないですが、実は私も初の試み「レタッチ済みのデータ全てを第三者に見てもらう」ということ。
きっとこのことを書くのは最後になると思います。 - 私はずっと卒業アルバムに書いてもらった言葉を思い出せずにいた。 きっと在り来りなことしか書いていないだろう。と思いながらも見る勇気が持てず、ずっと奥底に閉まっていた。 そんなある日、あまりにも悲しい日にふと卒業アルバムを見たくなった。 見たところで悲しい気持ちは変わらないのだけども、どうせ今悲しいんだから見たところでこれ以上悲しくなることもない。と思い奥底から卒業アルバムを取り出した。 写真を見る気にはなれず、最後
今日(5月14日) 『 I’m a Lover, not a Fighter. 』の1周年特別展示会に行きました。 私は写真を撮る側の人間、常々被写体さんには少しでも気が楽にいて貰えるような撮影をしなければならないな。と思いつつも、それが出来ているのか、相手は苦に思っていないかと不安になる日々を送っています。 そう考えれば考えるほど、ポートレートというものを撮るのに私が消費されてしまっている部分がある。それは私が上手くできていないからであって誰が悪いとかはない。 I’m
《 永遠 》 という言葉が怖いです。言葉だけじゃなく永遠そのもの自体が怖い。 永遠って綺麗な言葉ですよね。 《 永遠の愛 》とか愛を語る時に使うとより綺麗なものになる。 私は死んだらまた別のものになって生き返ると思っていて、それが人間なのかお花なのか魚なのかはさておき。 でも、そうなると私たちって永遠なんだよなって。 地球が終わったら私たちがそこで終了なのか分からないけどそれまでは永遠に生きては死ぬを繰り返すのかと思うと怖くて仕方ない。 どうせ来世にこの考えは持ち越