この目で見たもの

 世間一般で言う所の不老不死っていうのは銃で撃たれても槍で突かれても死なないものを指すらしい。周りの奴らに聞いたら死なないって言ってるんだから死なないじゃんとか、そもそも無傷なんじゃない?とかって意見が大体だった。体がずっと再生し続けるんじゃない?って言った奴もいたな。今は三四一回目の十六歳を過ごしている。時が過ぎるのは早かったり遅かったりした。花の咲く時から、世界が終わる直近の瞬間も、誇張なしに、この目で全てを見てきた。人の移り変わりも、常識というものの変化も、全て。
 私は十六の時に後天的な不老不死の病に罹った。罹ったというよりはそこから自分の背も胸も変わっていない気がするから、そう言うことにしてある。本当はもっと早くから罹っていたのかもしれない。
 最初に異変に気付いたのは高校を卒業する年だった。自分の高一の時からあまり見た目が変わっていないような気がした。親に相談しても最初は成長が止まったんじゃないかと笑い話にしていたが、二十になった時もそのままの姿だったから流石に親も心配して医師へ相談した。しかしその医師もおかしな話だと笑い飛ばした。
 不思議だった。頭は若いままでどんどんと知識を吸収していくのに体はずっと十六のままで、二十五までは自分だけ置いてけぼりになっている感覚だった。同級生にも馬鹿にされてた。でも三十超えた辺りからいつまでも若いっていいよねって逆に妬まれた。もういいやって吹っ切れたから、その後の同窓会とかはもう行かなかった。百年たった位で、恐らく皆死んだと思う。いつまでも同じままの自分が嫌になって、こっそりと家を出ていった。その後の探し人の紙などは見た事がないから、受け入れ難くても理解はしてくれたのかもしれない。
 勿論人生何も起こらなかった訳ではない。軽く話す程の軽い友人を何人も作った。自分の年齢は偽ってずっと十六としていた。何匹の猫とも友達になった。色を名前にして呼んでいた。でもみんな死んでいった。何回かはこの目で死を見たこともある。自殺もあったし穴に落ちていった人を見た事もあった。他人の死にはまあまあ慣れてはいた。急に始まった戦争の時に逃げ遅れた五十半ばの酔っ払いの友人が、目の前で瓦礫に押し潰されたのを見た時は流石に泣いたが。
 話は遡るが、戦前は街の飯屋や服屋で働き、日々生活する為のお金を稼いでいた。ただ、身長も顔も変わらないのを気付かれる訳にはいかなかったから、長くて二年で働く場所を変えていた。ご飯など食べなくても生きてはいけるのかもしれないが、実際二日目で倒れた過去がある。たまたま通行人に助けてもらったが、そのままいけば苦痛のまま死んでいったのかもしれない、死ねたのかもそれない。
 産まれ育った村が空襲を受けた事を、新聞で知った。父も母も、既にこの世には居ない位の年月は過ぎた。それでもなんだか悲しくなって、初めて帰ってしまった。
 家は無惨に散っていた。父の耕していた畑は燃え続け、母の好きだった風車の建物も跡形も無く消し飛んでいた。死にたくなって畑へ飛び込んだが、服を燃やし、火傷をしただけだった。
 それから別の場所に住むことにした。名前も知らない山を抜けて、言葉も話せない所まで歩いて、空気も読めない自分は思った通り一人だった、最初は。物好きな少女がいた。名前を出すのは野暮だから、彼女に一番合う言葉で「夢少女」と称する事にしよう。夢少女は私に親切だった。こんな私の事を怖がらず笑わず、なんなら興味深く話を聞いてくれた。最初はお互い何を言っているか分からなかったが、夢少女は懸命に、私に彼女の操る言葉を教えてくれた。身振り手振りも多かったが、伝わるのが分かって、私は年甲斐も無くはしゃいでいた。
 当時十六の夢少女は経済的理由で高校には行けなかった。農村で働く、私とそんなに背丈の変わらない子だった。好きな食べ物は蒸した芋と、本当に貧相な子だった。
 ある日、私は貯めていたお金を使い、彼女の為に素敵な赤い服を買った。成長も祈って、長く着れるようにと、一回り程大きいものを買った。夢少女の家は知っていたから、彼女に突然に渡すと大きく目を見開いて喜んでくれた。夢少女は、着替えてくるから待ってて、とすぐに自分の部屋に着替えに行った。外で待っていると出てきたのは彼女の父だった。怖い顔をして、二度とうちの娘と関わるなと、そう言い放った。
 急な事ではあったが、話がしたいと彼女の父を引き留めた。夢少女は両親に、私の事を目を輝かせて話していたらしい。真偽を確かめる為に、彼女の父は、片言ながらも私の故郷の言葉で質問をしてきた。ありのままに、あちらであった事を、あちらの言葉で全て話した。彼女の父は、どちらかと言えば夢物語等を信じない人だったが、五十を超えていただろう彼女の父に、当時で既に百歳以上の差を付けていた十六の少女の話す全てに頷くしか無かった。そうして彼は、私を家へと招き入れた。
 家に入るなりお出迎えをしてくれた夢少女は、今までのみすぼらしい雰囲気は一切無く、街に居ても可笑しくない程可愛かった。しかし、それが良くないのだと、彼女の父親は言った。農民なのにそんなに可愛い服を着ているのを村の長や街の役人等に見つかってしまえば、没収どころか、余裕があると見做され、仕事量や国に納める穀物等がさらに厳しくなってしまうらしい。
 そう、新天地を求めてやっと着いたこの地は、国から腐っていたのだ。彼女の父が言葉で突き放そうとした時、悲しい顔をしていたのはそういう事だったのだ。
 夢少女は可愛いから着たいと言っていた。家だけで着てしまえば見つかることはないと自慢気に言った。私はその日、夢少女達の貴重な晩ご飯を頂いてしまった。愛する娘の恩返しなのだろうが、申し訳無さに溢れ、少しの持ち金から半分を机に置いてその村を去った。
 言葉という文明の力を今いる街である程度発揮できる位になった私は、人の目にも触れないような細路の、更に入り組んだ後にある穴の中に住んでいた。何の為に用意されている部屋なのかは分からないが、ある程度の寝床と、机代わりになりそうな木箱、それに数週間は凌げるであろう蝋燭と籠があった。難しい事もあるが、この街で生き延びるには悪くない環境だった。
 結局故郷の生活とほぼ同じで、街の店を転々として働き、何だかんだ何年かいた。だが、街の人々の噂が中々大きくなりその生活も終わらせる事にした。最後の一晩を寝たら、今ある安定した安定を捨てて、少し溜まったお金と便利な蝋燭籠と、ある程度買い揃えた雑品を大きな背負い鞄に詰め込んで、この街を出ようと決めた。
 照り付ける朝日をこの目に見て、街を出ようと表通り、いつもと変わらぬ臭いだった。また見知らぬ方向へと歩き出して数歩、私の肩を掴み引き留め声を上げる人。見なくても分かる、数年ぶりの夢少女であった。
 目の前の夢少女は記憶の中の彼女よりも一回り程大きくなっていて、見覚えのある赤い服を綺麗に着飾っていた。何だか感極まってしまって、一線綺麗に涙を流してしまった。お世辞にも清潔とは言えない私を、温かく彼女は包み込んでくれた。咽せるような埃ときつく残る磯の香りの私が彼女にとってどれ程のものか、知る由も無かった。私が街を出る旨を彼女に伝えると、彼女は驚いた。せめてもと言って、彼女は財布から金貨を五枚くれた。長い人生に置いて数少ない、形のある宝物だった。
 数日後に夢少女の住む街で戦争が起こった。三つ程国を跨いだ私が号外で見た話だった。夢少女に習った文字と同じ文字を使っていたからすぐに読めた。こんな形で辛い話を知ってしまうなんて、運命というものはなんて残酷なのだろうか。腕を切っても足を擦り剥いても夢少女に会わなければと、縺れる足を引き摺って尚進んだ。
 街は空襲を受け瓦礫の残骸で溢れていた。夢少女の住む家まで見に行くが、見覚えのある家は崩れた石と煉瓦が虚しく散り散りになっていた。生きるのが長ければ長い程、人との出会いも別れも必然的に多くはなる。だが、こんなのは違う。こんなのなんて誰もが求めていないはずなのに、どうしてなんだ。何も見たく無くて、もう、死にたかった。いつかまた、彼女と会えるのだろうか、なんて有りもしない事を無限に考えてしまった。
 今の街にも、前と同じような路地裏から地下室へと入れる道があり、そこを拠点としていた。非常食が幾つも据え置きされており、水の調達だけで最低限の生活でそれなりに長く過ごせた。幸い、誰かに顔を知られる等も無かった。しかし、時代もあってか、この街の治安は良くはなかった。
 ある日、二人組の男に夜の住処を襲われ、私は殺された。滅多刺しに遭った様で、治った体にはその痕と、起き上がった背中には干涸びた地の跡があった。仮死状態の様なのか、自分が倒れていた間の意識は全く無い。ただ、何とも言えない光の夢を見ていただけだった。治ろうと治ろうとして、何十年も経っていたらしい。置いてあった宝物や日用品は粗方無くなっていて、残されたのは崩れた岩の下に隠していた非常食だけだった。どうにも体力は限界を迎えていて、何とか這い蹲って、顔面と腕で力を振り絞って岩を避けて、口だけで食い散らかした。固い菓子を弱った歯茎で潰して、血と涙と土の味がした。
 夢か現か、私が起きた時には、天使と名乗る二人が居た。私という存在自体が夢現を聞かれてしまうとどうとも言えないが。彼等は白い一張羅でそこに居た。二人は元々ここを遊び場や寝場所にしていた訳では無く、神のお告げにより、惨めな姿で寝ていた私の前に現れただけらしい。
 私の半分程しか無い背丈の二人に、本当に神の遣いなのかを聞くと、はいと声を揃えて返事をした。続けて二人は、私の願いを二つ叶えると言った。期限は構わないらしい。生活においての軽い事は数えないそうだ。神は優しいのかどうか分からない。回らぬ頭で聞くと、神と運命は違うと言われた。確かになと頷いた。立てない私に、缶詰を持ってきてくれた。
 随分と長い時を過ごした。死んでいる間に世界はどうなったのだろうか、こんなにも長く生きた私に願い等あるのだろうか。願いを二つも叶えてくれる理由も聞いたが、神の気紛れに貴方を試す、とだけだった。どうやら神は、自分の考えでこの世界に直接関与するのは良くないと思ったそうで、生贄の様なものとして私達が生まれたと語った。二人の感情の有無は分からず、ただ静かなだけだった。
 世界はほぼ終末の状態だった。環境汚染による黒い霧、強酸性の雨による農作物や人間含む生物への甚大な被害、水質汚染による生活環境への直接的な害等、世界的に未曾有の危機が訪れていた。転がっていた新聞がそれを伝えてくれた。産まれてからもう、三五七年も経つらしい。馬鹿馬鹿しい。
 辺りは一面、強烈な臭いの放つ毒の霧に塗れていた。それなのに空襲の警告音はなり続け、爆撃音がそれ以上の音で掻き消していた。四回目の呼吸で噎せて血を吐いた。
 泣きもしなかった。ただ絶望と呆れの中間点にいた。私は全てを終わらせてもらう事にした。一つ目の願いに、汚染された全てを元通りにし、全ての生き物に安全な環境を。二つ目の願いに世界の平和を祈った。二人は強く輝きを放ち、次に自分が目を覚ましたのは寝床だった。やはり夢だったのかと地上へ出ると、確かに私の履いた血と、人々の微かな生活音が聞こえた。
 神は優しかった。奇病に悩まされ、苦しい世界を生き続けた事を知っていた。私の命と引き換えにもう一つだけ、心からの願いを叶えてくれた。

 私は見ていた。世界が平和になったのを。水も空も、海も大地も全て綺麗になった。鳥は飛び、街は賑わい、海は静かに耀いていた。
 私は見ていた。とある小さな村の中で、小さな命が産まれたのを。小さな家に、元気に泣き喚く声が響き渡っていた。
 私は見ていた。すくすくと育ったのを。不自由何一つ無く、高校へ進学し、赤い服を着こなす元気な女の子を。
 私は見ていた。幸せな家庭を築いたのを。元気な男の子と女の子を産み、素晴らしい毎日を過ごし、やがて静かに息を引き取った。
 神はお茶目なのか優しいだけなのか、私の願いを二つも叶えてくれた。長く長く、長く生きていて良かったなと、空から見下ろしてそう思った。

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