Be mine 第一話

 僕が彼女と連絡を取るようになったのは、八月末の音楽サークルの飲み会で会ってから。向かいの席に座ってた女性のスマホのロック画面をちらっと見ると、僕の好きなバンドのライブの時の写真が見えて、それをネタに僕から話しかけたのが始まり。黒いフリルシャツと白いチノパンを履いて、K-POPとか聴く感じの人なのかなって思っていたけど、人は見かけによらずって事だね。後で二人で別のお店行く?って、向こうから誘ってくれた。
 彼女は行きたいバーがあるからと、僕を連れていく。バスと電車を乗り継いで三十分、とあるビルの一階にある、Peaceと書かれた店に着く。
 「いらっしゃーい、何名さ...あら優奈ちゃんじゃないの〜!」
 「コウちゃーん!会いたかったよー!」
 カウンターに置かれた物で少し見づらかったが、黒いシャツを着たキャストらしき人が彼女に挨拶をする。見るからに二人は友達らしい。ゲイバーは初めて来たけど、思っていた雰囲気とは違った。彼女が人数確認などを済ませてくれて、奥の方の席へ案内してくれた。
 「じゃあ改めて自己紹介ね、経済学部三年の内山優奈です。よろしくね」
 「法学部二年の萩原亮です。よろしくお願いします」
 「年下かあ、よろしくね」
 とりあえず二人で唐揚げとビールを注文する。少し待っているとさっきのカウンターにいた人が、銀バケツに山盛りに入った氷に刺さったビール瓶を運んできた。
 「はいお待ちどおさま、ビールです。挨拶遅れたわね、こんばんは、浦田浩史です。コウちゃんって呼んでね〜」
 「あ、萩原亮です」
 「亮ちゃんっていうのね〜よろしくね〜。優奈ちゃんのお友達の子?」
 「サークルの飲み会終わった後に二人で飲み直しに来ました」
 「あら、それはお邪魔したわね。唐揚げすぐできるから待っててね〜」
 表情とかもそうだけどとても優しそうな人だった。キャストをしている以上優しくしているとかって訳ではなく、根っから優しい人そうな振る舞い方をしていた。優奈はビールを喉に勢いよく流し込み、気持ちよさそうに息を吐いて口を開く。
 「亮君って浪人とか留年ってした?」
 「全くないですね」
 「お、偉いね。あ、タメでいいよ。堅苦しいの苦手だし」
 見た目通り気軽そうな人で良かった。
 「私さー、もう二回も浪人してんだよね。学校行くの面倒になってさ。ほら、あの大学って毎学年留年あるじゃん?二年の時に二回もやっちゃってさ」
 それはそれはと相槌を打つ。実際僕も去年あと一単位でも落としたら留年だった。話を聞きながら彼女のグラスにもビールを注ぐ。
 「ありがとね。それじゃ乾杯しよっか」
 キンとグラスが音を立てて、浮かんだ氷が少し揺れる。一口、程良い苦味が喉を通り抜ける。彼女は一気に飲み干して、ぷはあと息を吐く。
 「いやー、一回目はイッキが気持ちいいわ。ビール飲む時毎回こうだもん。女じゃないみたいって何回か言われたかな、ハハハ」
 「倒れないでね?心配だよ」
 「だーいじょうぶだよ、私結構いける口だから」
 そんなことを言いながらグラスにビールを注ぎ直す。
 「亮君もSeek Back好きなんだっけ?」
 「好きだよ。特に歌詞がすごい好きでさ」
 「だよね!てか新曲聴いた?『夕焼け』」
 「聴いたよ。早くライブで聴きたいよね。十月だっけ?」
 「そうだね。ねえ、ライブTシャツ合わせない?四月にあったライブのシャツでさ」
 「いいね、合わせよ」
 この曲のここがいいよねとか、あの曲のこれってこうなんじゃない?とか、そんなことを話しながらお酒と話は時間と進む。気付けば十一時を過ぎようとしていた。彼女は変なところで笑う位には酔っていて、帰りをどうするか悩んでいた。店には僕達とテレビを見る浦田さんだけがいた。僕達、というよりかは彼女が静かになったのに気付いてこちらへ来る。
 「優奈ちゃん寝ちゃったわね〜。前にも何回か寝ちゃったことあって、彼氏がいる時は連れ帰ってもらってたけど、亮ちゃんは彼氏じゃなくて友達でしょ?それに今日の飲み会で会ったばっかの。あなた、手出したりしないでしょうね?」
 少し警戒している感じがして僕は怖気ついてしまった。
 「手は出さないけど、彼氏でもなんでもないし、優奈さんの身の安全も保証出来ないんで、できれば浦田さんの方で一日寝かせてもらったりとかして欲しいんですけど、大丈夫ですか?」
 「全然いいわよ〜、優奈ちゃん一人で寝ちゃった時とかもうちに泊めてたし。安心な子でよかったわ〜」
 さっきまでの警戒はすっかりどこかへ行って、引き締った二人の間には緩みが戻る。
 「ごめんね〜、優奈ちゃん、前の彼氏とうちに来た時の帰りにちょっと殴られてて、痣いっぱい作って顔出したから怖くてさ〜。亮ちゃんはそんなことなさそうで良かったわ〜」
 物騒な人と当たっちゃったんですねと話しながら、二人分の会計を済ませる。彼女を泊めてもらう分のチップ的な五千円も渡そうとしたけど、いいのいいのって返された。気持ちだけで十分よって言ってた。
 「それよりも大丈夫?亮ちゃんあなた、どこからいらっしゃったの?」
 「大治からです」
 「大治だなんてあなた、帰りの電車ないじゃないの!ごめんね〜優奈ちゃんが遅くまで!」
 ウフフと笑いながら浦田さんはカウンターの片付けを始める。帰りは気をつけるのよと言ってくれて、ご馳走様でしたと返して店を出た。
 八月の夜なのに、今日の風は過ごしやすくて、歩くには快適だった。帰りのコンビニで明日の朝ご飯の味噌汁の素と今朝で切らしたヨーグルトと、今飲む用ホットのコーヒーを買って、タクシーで帰った。

 雀の声で目が覚めた。今日はこれといって外出する必要のある事はない。着替えるのが面倒だったから顔だけ洗って、昨日買った味噌汁の素を茶碗に入れてお湯で溶かす、いい匂い。朝のニュースを見ようとテレビを付けると、今日の星座占いが丁度始まった。六月十七、双子座の運勢はなんだろう?
 「おめでとうございます!今日一番運がいいのはおとめ座のあなたです!小さな事をコツコツとやっていく事で幸せになれるかも?ラッキーアイテムは緑色のストラップです。続いて二位から四位です。二位がうお座、三位がしし座、四位がおひつじ座の〜」
 上位三分の一に入ってなかった、なんなら二分の一にもいなかった。
 「〜続いて九位がさそり座、十位はてんびん座、十一位はふたご座のあなたです。ふたご座のあなたは今日一日体調管理に気をつけましょう。風邪をひかないように気をつけて!ラッキーアイテムはきんぴらごぼうです」
 鼻がムズムズしてくしゃみが出た。反動で味噌汁をこぼした。おかげで朝から洗濯をする羽目になった。きんぴらごぼう食べようかな。脱いだパジャマを軽く濯いで、ネットに入れて洗濯機を回す。ついでに冷蔵庫の中プレーンのヨーグルトとブルーベリージャムを取ってテーブルへ戻る。ジャムを入れて食べると、プレーン特有の酸っぱさが少し薄まって食べやすくなるから好き。ブルーベリーヨーグルトでは味わえない美味しさがあって、譲り難い拘りがある。スマホを見るとメッセージが三件来ていた。黄色いウサギのアイコンをした人、優奈からだった。
 「おはよう!」
 「起きたらコウちゃんのバーのベッドいた!」
 「ごめんねー一人で潰れちゃって笑笑」
 浦田さんがまだどんな人かははっきりとは分からないけど、手は出さないちゃんとした人だったようで良かった。
 「おはようございます」
 「昨日はありがとうございました」
 「全然大丈夫ですよー笑」
 付けっぱなしのテレビから流れる天気予報、最高気温二十四度の曇りのち雨。もう既に湿度が高くて洗濯物はすぐには乾きそうにない。
 「固いのやだよ!笑」
 「あそうだ」
 「今から会わない?ひまだし」
 流石に家に入ってくるような感じはしないけど、薄い期待だけでテーブルとベッドは片手間で片付ける。
 「あーごめん笑」
 「いいよ」
 「どこに迎えに行けばいい?」
 「私清須なんだけどさ、亮くんってどこ住んでるの?」
 「大治だよ」
 「じゃあそっちまで行くね」
 「今帰ってるー」
 「昼前くらいにそっち着くー」
 「わかったー」
 清須からなら四十分程で大治の役場前に着くはず、向こうが準備したとしてもあまりもたもたはしていられない。残りのヨーグルトを掻き込んで、すぐにシャワーをする。朝だっていうのに慌てるから時間はすぐに過ぎて、もう家を出ないといけなくなった。顔も洗ったし鍵はかけたし、忘れ物はないだろう。いつもなら自転車で十分足らずと着く場所だけど、野暮だろうから流石に歩く。
 彼女よりも早く着いた、スマホにはもうすぐ着くとの通知が入っていた。駅で待ってると返して数分、バスが停留所へと到着した。年寄りに紛れて白いキャップの人が降りてくる。迎えに行くと、あちらもどうやらこちらに気付いたようで、手を振って近付いてくる。
 「おはよう!待った?」
 酔いは抜けても、対して変わらない彼女だった。
 「ううん、今来たところだよ」
 「そっかー。ごめんね、駅まで迎えに来てもらって」
 「大丈夫だよ、車じゃないけど」
 「大丈夫だよそれくらい。それよりもお腹すいた!起きてから急いで帰って、準備しかしてないから朝ご飯食べてないんだよね」
 「いいカフェあるけどそこ行く?」
 「いいね、連れてってー」
 役場前から歩いて数分、「カフェ ユトレヒト」へと着いた。白塗りの壁と少し大きな風車のようなものが特徴のカフェ。美味しいし安いし、たまに行ってるいいお店。
 「風車ついてるの?かわいい!」
 「そうだよね、目立つしいいお店」
 店の中に入ると漂うコーヒーの香り、既に二組程の客がいる。窓際奥の方のテーブルへ連れて行かれると、彼女はメニュー表を手に取る。
 「メニュー多いね、迷うなあ。亮君は食べたの?」
 「俺はもう食べてきたよ。でもコーヒー飲みたい。ここの特製ウィンナーコーヒー美味しいんだよね」
 「へえー!私もそれ頼もうかな。あとはこれかな、エビピラフ」
 店員さんを呼んで注文すると彼女はキャップを脱ぐ。キャップの隙間から通していた髪がするすると抜けていく。白系の金髪が窓から少し入る光に反射して、三秒が七秒に感じた。彼女が手を振ってくれて、自分の世界から帰ってこれた。
 「大丈夫?じっとこっち見てたけど。なんか顔についてた?」
 「ああいや、別になんともないよ」
 「そう?大丈夫ならいいけど。で、このあとどうする?私ちょっと服見に行き
たいかも。簡単な家着とか欲しいしさ」
「いいよ、着いてく。すぐそこにGUあるよ」
 「お、ラッキーじゃん。いいね」
 外だったから分からなかったけど、シャンプーのいい匂いがする。
 「そういえば来月のライブのホテル取った?私まだ取ってなくてさ」
 「俺も取ってないなあ。多分いっぱい人泊まるよね」
 「そうだよね。あ、まだ部屋空いてるっぽいよ。一緒の部屋でいい?」
 「え?あ、うん」
 急に一緒の部屋でとか言われたから考える暇無くうんと言ってしまった。まあ、他の人も同じホテルにどっと泊まるだろうし、結果的に良しだろうか。コーヒーが運ばれてくる。
 「ん、いい匂い。頂きます」
 美味しそうに啜る彼女の顔は嬉しそうだった。お勧めして良かった。
 「いいね、ホイップが甘くなくて飲みやすい」
 「だよね、コーヒーも美味しいから好きなんだ」
 白の中に薄く香るバニラの味が良い風味を引き立てる、恐らく手作りだろう。少しずつ溶けるクリームが、コーヒーにもほんのりと匂いを移す。
 「部屋取っといたよ。四階のツインルーム」
 「あ、うん、ありがと」
 女の人とホテルに泊まるなんて初めてだし、粗相の無いようにしなければと緊張が指に薄く走る。彼女の注文していたエビピラフが運ばれてくる。
 「久々食べるなあエビピラフ。頂きます」
 美味しそうに一口、見ていてなんだか和める。
 「美味しいなあ。なんだろ、エビフライってさ、お米にも匂いとか味とか移るじゃん?あれ好きなんだよね」
 うんうんと頷きながらコーヒーを啜る、ゆっくりと時間は過ぎてゆく。
 「亮君って一人暮らしなの?」
 「うん、実家北海道なんだ」
 「うわ、いいなあ。私北海道行ってみたいんだよね」
 「いいとこないよ?夏は暑いし冬は寒いし」
 「雪に背中から飛び込んでみたいんだよね。見たしょ?こっちの雪の量」
 確かにねと頷きながらまたコーヒーを一口。彼女はピラフを半分食べていた。余程お腹が空いていたのか、華奢に見えるその体にどんどんと詰めていく。
 「それにしてもよくこっちまで来たよね。なんか学びたい事でもあったの?」
 「なんとなくかな、こっち側来てみたいなとは前から思っててさ。立地とか色々良さそうかもって思って名古屋大にした」
 「そんな簡単に決めてここに来たのか!行動力凄いなあ」
 「大した事ないよ。入試は難しかったけど私立よりは学費安いし」
 「後の事まで考えてあそこにしたのか、偉いねえ」
 「最初親に言った時は流石に驚かれたけどね。北大でいいじゃんって」
 「まあそうだよね。家持つだけでお金かかるんだもん、絶対そっちの方がいい」
 「でもなんとなくここら辺に住みたかったんだ」
 そっかーと言って、彼女はご馳走様と手を合わせる。彼女のコーヒーのクリームはすっかり溶けて、白くなっていた。ただ、まろやかさが増して先程とは違う飲み応えになる。倍楽しめるのも良い所。
 「優奈は?愛知の人?」
 「うん。でも西尾にある吉良町って所から引っ越してきたの」
 「遠いから?」
 「遠いから」
 「なるほどね」
 残りのコーヒーを飲み干して一息。会計を済ませる為、彼女の分まで払おうとすると、いいからと止められる。昨日の分と言って払ってくれた。
 店を出ると、先程よりも雲行きが怪しくなっていた。 少しか時間はあるだろうから、早めにGUまで向かう。
 「亮君っていつも服どこで買うの?」
 「それこそGUでも買うし、ネットとかでもいいのあったら買うよ」
 「なるほどね。私店の方が多いかも。なんか着てみないと分かんなくない?オーバーオールみたいなのが欲しかったりしても合わせたりしないと分かんないんだよね」
 なるほどね、なんて言っているとすぐにGUに着いた。昼だからか、結構車が停まっていた。
 秋に向けての長袖や少し暖かいものがもう並んでいた。ここら辺では大きめの店舗で、安定の白から流行りの緑系のものが様々にあり、品揃えは中々広かった。彼女は長袖のコーナーへと進んでく。
 「あった!これが欲しかったの!」
 そう言って手に取ったのは逆立ちした少年の描かれた服だった。
 「この服かわいくて欲しかったんだよね」
 「確かに可愛いね」
 「でしょ?しかも生地とかも家着としていい感じでいいなって思っててさー、でも欲しかった色こっちに無くてね」
 彼女は緑と白のをさっと手に取って、奥のスウェット等がある所を見に行く。彼女は寝巻きも欲しかったらしい。
 「今の季節って半袖だと寒いしもこもこしたのは逆に暑いし難しいよね」
 「分かる、特に上がね」
 「そうそうそう、めんどくさいよねー」
 上下セットで置かれていた灰色のものを手に取って、また別の所へと向かう。何故かちょっとだけ他の所へ行っててと言われたので、とりあえず自分サイズの服を見に行く。
 そういえば赤系の服を持っていなかったから、セーターみたいな感じのものを探しに行く。そこそこ背は高い方なので、店によってはサイズがない、なんて事もしばしば。彼女はもう用が住んだようで、迎えにきてくれた。
 「なんかいい服あった?」
 「赤い服そういえば持ってないなって思ってさ」
 「それならこれなんてどう?こういう暗めの赤が欲しかったんでしょ?」
 「いいねこれ。よく欲しいの分かったね」
 「あったりまえよ!だって真っ赤なの着るタイプじゃないじゃん絶対」
 「確かに」
 「でしょ?買ってあげるからカゴに入れてよ」
 いいからと言ったけどやだって言って聞かない。せめてこれでと五千円札を渡すとそれは受け取ってくれた。
 「お待たせ。荷物二つあるからこっち持ってよ」
 「いいよ」
 「それ、亮君の服ね。さっきの以外に私のチョイスあるから!喜んでくれると嬉しいなあ」
 「家帰ったら見るね」
 どうにも外は雨模様で。困った事に傘は無い。
 「亮君さ」
 「うん?」
 「家行ってもいいかな?」
 「いいよ、雨だしね」
 うん、雨だし。丁度良い雨宿りにはなる。
 「ありがと。あでもバスとかある?」
 「ないけど、タクシーなら」
 「うーん、いいや。家までどれくらいあるの?」
 「一キロくらいかな」
 「うーん、走る?」
 走るって選択肢出す辺り、意外と豪快な人かもしれない。でも、陽気な人だか
らこんな事を言い出すのもまあ分からなくはない。
 「傘買ってく?向こうにホームセンターあるけど」
 「いらないでしょ、節約しよ?」
 だそうだ。
 中々ざあざあと降っているけど、それでも別にいいらしい。勢い良く彼女は飛び出していく。遅れずに僕も追いかける。ひゃーと高い声を出しながら二人で走る。青春って感じがして良かった。こっちこっちと言って道案内もする僕も、やばいやばいと言いながら走る彼女も、服がぐしゃぐしゃになってもマンションまで笑顔は尽きなかった。
 「いやー、楽しかったねー!」
 「服がもうべちゃべちゃだけどね」
 ハハハと笑いながら階段を上がっていく。三〇七、角部屋まで歩いていく。
 「お邪魔します」
 あ、家だ。雨宿りだったっけ、そうだ、雨宿りだよね?
 「ごめん、いきなりなんだけどシャワー借りていい?」
 「え?あ、うん、いいよ」
 女の人にシャワーを貸すのは初めてだった。片付けてないしなんて言われるか少し心配ではある。
 「あ、先入る?」
 「ううん、いいよ。先入りなよ」
 「うん、ありがと」
 個人的な価値観だけど、トイレと風呂場はちゃんと分かれてる方が好きだ。今なんかそうだ、彼女は買い物袋を置いてすぐに風呂場へと入っていったけど、こちらも寒さで尿意が近付いていたから、分かれていて助かっている。
 少ししてシャワーの降る音が聞こえ始めた。朝洗濯した服をハンガーに干し、テーブルやシンクまで散らかっている所はとりあえず片付ける。天気予報は明日まで雨だし、この調子だと家で晩ご飯も食べることになる気がした。流石に家に寝泊まりとかはしないとは思うけど。
 「タオルどこー?」
 「洗面所にあるタンスの一番上に入ってるやつ使ってー」
 「ありがとー。あとごめーんスウェット取ってー」
 あまり後先考えない人なのかもしれない。カーテンがめくれないようにそっと奥へ入れてあげると、ありがとーと返ってきた。
 「ごめんね、雨に濡れてそのままだったから寒かったでしょ」
 「全然大丈夫だよー」
 「見てない?」
 「見てないよ!」
 本当はちょっと見たかったけど。
 「見たい?」
 男の欲望完全に分かってるよね。でもよ...!
 「結構です」
 「ふーん、堅いね」
 カーテンレールがいい音を立てて、ほかほかになった彼女が姿を現す。雨の匂いは流れて、シャンプーの匂いになった。
 「シャワーありがとね、いいよ」
 右手に持ったドライヤーで使うよって見せてきた。窓際の空いてるコンセントを指差して、あそこ使っていいよと言った。
 「服とかどうしよ、洗濯機使ってもいい?」
 「使っていいよ、優奈が気にしないなら」
 「いいの?助かるー」
 丸めてあった服をネットに入れ、洗濯機へ入れる。女の人が自分の洗濯機で洗濯をするなど考えてすらいなかった。もっと嫌がる感じあって、コインランドリーとか教えてあげようかなとか思ったけど、知らない人の方が嫌かって気付いたのはこの後すぐ。
 いざシャワーを浴びようとすると、彼女の匂いが微かに残っていた。ちょっとだけいけない気分になってしまったのはここだけの話。彼女はシャワーの温度を四十度を少し超えたところに設定していた。冷えたからなのは分かるが、それにしても高いような気はした。自分の好みは丁度四十度。言うて自分も他の人からしたら高い方なのかもしれない。シャンプーの泡を落としたらすぐにいつもの匂いに戻った。
 シャワーを止めると、部屋の奥から彼女が歌ってるのがなんとなく分かった。イントロを聞くに恐らくSeek Backの二枚目のアルバムの曲だと思う。
 「『アネモネ』?」
 「うん、よく聴くんだ、この曲」
 昨日、家にCDプレイヤーあるんだって話の隙間で言ったの、覚えていてくれてたらしい。あんなに酔ってたのに。それで家にあったCDをわざわざ持ってきてくれるなんて、なんか嬉しいなあ。
 「これ冬の曲だけどさ、別に季節関係なく聴いてたいんだよね」
 見ていたスマホをテーブルに置いて、頬で寄りかかった左腕は肘をつく。
 「前々の彼氏の事、まだちょっとだけ引き摺っててさ。丁度十ヶ月くらいかな、付き合ってたんだけどね、向こうが素っ気なくてどうしたのーとか色々聞いたんだけどあんまり返事くれなくてさ。まあ、浮気されてたんだよね。私と全然違う感じの子が好みだったみたいでね?」
 なんだかなあと浮かない顔をしてそんな事をぼやく。
 「未だにたまに最近何してるんだろうとかってSNSとか追いかけちゃうんだよね」
 「まあ、気持ちはわかるよ。だからアネモネなんだもんね」
 「そうなんだよね。しかも別れたの冬だったし。丁度合うって言ったらアレだけどさ、ハハ」
 憂鬱な彼女の顔にほんの少しだけ明るさが戻る。ちょっと失礼と、彼女は冷蔵庫へ行く。
 「あるじゃん。飲む?」
 チューハイ缶をこちらへ向ける。
 「まだ昼だけど?」
 「いいじゃん、別に。この後用事あるの?」
 「無いけどさ」
 「ならいいじゃん。いいでしょ?」
 今だけはお酒のせいにして酔いたかったんだなって、言葉無しでもなんとなく感じれた。んっと突き出した缶を手に取る。乾杯して、プシュッと音を立てた口から炭酸が跳ねる。彼女もアルコールは入っていなかったから、昨日みたいなイッキはしなかった。
 「ゲームでもする?テトリスなんだけど、二人でできるんだよね」
 「テトリスって二人でできるようになったのか」
 「そうなんだよ。この前出たばっかのゲームなんだけどさ、協力プレイと対戦バトルができるようになったんだよね」
 「テトリスなんて久々だから協力プレイからやろうよ。私そんな上手く無いし」
 すぐにテレビをつけて準備をする。隣に人がいる状態でゲームをすると一瞬で時間は過ぎていく。二、三時間なんてすぐに過ぎて、外は夕陽も沈む頃になっていた。
 「ご飯何かリクエストある?家にお邪魔させてもらってるわけだし私作るよ」
 「なんでもいいって言ったら?」
 「鍋作るかな。白菜と豚肉でミルフィーユするよ」
 「賛成」
 せっせと鍋を取り出し、彼女は手際良く重ね上げていく。最後に出汁の素とお湯まで入れて数分で完成。蓋を開けると共にいい匂いが溢れ出す。前に自分で買っておいた白ワインで乾杯。
 「いいね、なんか。なんとも言えないけど」
 そうだねと返す。昼過ぎの悲しい顔はどこかへ消えていた。
 「なんかごめんね?急に押しかけて晩ご飯まで食べててさ」
 「気にしないでよ。鍋、美味しいし」
 「ありがと、それは良かった」
 なんとも言えないけど、やっぱり自分もなんか良かった。こういう時、よく時間がいつも通り過ぎているのか分からなくなる。少しだけ不安になって考えるけど、いつもの事でいつも通りだった。
 「今日、泊まってもいいかな」
 落ち着け、何も無いぞ俺。
 「いいよ。俺ソファで寝るからベッド使って」
 「ううん、ベッドで寝よ?」
 当然落ちつける訳は無いし、やっぱり時間の進み方はおかしい。言ったかどうか認識出来ない位ぼやけた返事をした。
 そこからずっとおかしかった。相当酔ってしまったのかなって定まらない頭でずっといらない妄想ばっかしてた。鍋の味もよく分からないまま食べ切って、片付けまでして、テレビをつけたらたまたま流れていた映画をよく分からないまま最後まで見て、いつの間にか、なんだっけな。 

 意識が戻ると不思議な感触と雀の声が聞こえた。目を開ける前に鼻から息を大きく吸い込む。お腹の上あたりに二つ、柔らかい何かを感じた。少しずつ冴え始めた頭で少しずつ自分の姿勢がどうであるか、二つの柔らかいものがどうであるか分かった。ぱっちりと開いた目で見たものは、想像と同じものだった。起こさないようにそっと、体をくの字にして、背中に周っていた細い腕を潜り抜けて服を着る。

 朝ご飯、目玉焼き乗せたトーストでいいよね。

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