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あめます舎日記2 あめます舎が目指すところと「三年鳴かず飛ばずプロジェクト」について

 2024年1月1日、「あめます舎日記2」を途中まで書いていたのですが、「日が落ちる前に」と近所の小さな神社にでかけて帰ってきたら、能登で地震発生の一報が入ってきました。

すぐ近くの崖線にある「御嶽神社」たぶん、ロープが鳥居。

 次女は阪神淡路大震災の翌年に産まれて、わたしたち家族は、長女4歳、次女6か月で「転勤」のため震災被災地の大阪豊中市に転居しました。豊中で5年間子育てし、長女が小学校4年生、次女が幼稚園の年長になる年に東京に戻りました。2011年の東日本大震災の時は次女は中学で体育の授業中、長女はアルバイトにでかける直前、私は小さな広告事務所の手伝いをしていて赤坂にいました…。そして、原発が爆発し、そのことは、私が自分の生き方を振り返り、その後どう生きていくかを考えることに大きく影響を与えていると思います。
 そういった出来事は、この世界の片隅で、ぼんやり生きてきた反省と、後悔と、これから果たして自分は罪滅ぼしができるんだろうか、できることはあるんだろうか、と日々思うことにつながっているのですが、今は、被災地の方の安寧を祈るしかありません。

 以下は、地震発生の前にのんびり書いていた日記です。「天災は忘れたころにやってくる」…最近は忘れないうちにやってきてしまう気がしますが、毎日の日常はのんきに過ぎているのです。明日、何が起こるかはわからないのに。

2024年1月1日(月)


(元旦が月曜日だなんて!)
よくよく考えたら、元旦の朝をひとりで迎えるなんて、産まれて初めてかも?とちょっとびっくり。
でも、おせちを作って、窓を拭いて、誰かくるかな?って思いながら、過ごすのはとてもいい感じ。すぐそこの小屋のみーちゃんと話していたら、「ゆかさ~ん」って自転車のママが「あけましておめでとうございます!」って子どもたちと一緒にあんこを持ってきてくれました。嬉しいな。午後には、3人の子どもを連れたママさんが、子どもたちのおばあちゃんと一緒にお年賀を持ってきてくれて。

手作りの可愛い箱に干菓子が。


嬉しくって一緒にお雑煮を食べました。

おもちは、畑のおじさんにいただいたもの。

あめます舎の目指すところ

あめます舎ができるまでには、長い長い物語があるのですが、目指しているところは、「きままにやさしくいみなくうつくしくいきる」ことかな?と思います。
これは、この「あめます舎」を私に貸してくれている大家さんに教えてもらった絵本の題名。
小田まゆみさんの絵とアン・ハーバードさんとマーガレット・パロマ・バヴェルさんとの文章で作られた絵本なのだけど、谷川俊太郎さんが翻訳をされています。

あめます舎の2階は私のお部屋。お気に入りの本を並べたりします。


原題は、「RANDAM KINDNESS&SENSELESS ACT OF BEAUTY」これを「きままにやさしくいみなくうつくしくいきる」と訳してくださった谷川先生はやっぱりすごい。すばらしい詩人だと思います。
じぶんのできることなんてないのですが、死ぬまではしっかり生きないといけないので、きままにやさしくいみなくうつくしく、生きられたらいいなと思っています。

「三年鳴かず飛ばずプロジェクト」について
~マザーハウス=あめます舎~

あめます舎は、2023年7月に竣工した新築の家です。8月くらいに、私が勝手に「あめます舎」と名付けました。建築中、またたぶん今も、プロジェクトの中では、設計のビオフォルムデザイン室さんが名付けたと思われる「マザーハウス」と呼ばれています。
私は、地方の公営団地で育ち、「地主さん」のようなことには無縁だったので、よくわからないのですが、結婚してこの地域に住んだ時に、地域の中には同じ苗字でつながった「地主さん」がたくさんいるんだな、と知りました。そして、道路整備のためにご先祖さまから受け継いできた土地畑などを手放したり、引っ越し先を探して転居する方がたくさんいらっしゃることも知りました。あめます舎の大家さんは、経営するアパートや生まれ育った実家を取り壊したり、畑をつぶしたりして、次のステージに進まなくてはいけなくなった「地主さん」の一人です。
 私と大家さんは、今から遡ること10年くらい前の2014年ごろに出逢いました。今、私が住んでいるところのプロジェクトは、2020年ごろに「三年鳴かず飛ばずプロジェクト」としてたちあがった?ものらしく、私自身は「マザーハウスに住む人」として途中でそこに参加させてもらい、「住む人」はこうしたい、ということをわがままに発言していたところです。

「三年鳴かず飛ばずプロジェクト」についてのnoteの記事がありましたのでよかったらお読みください。

記事の最後の写真、奥に写っているお雛様は、私の姉が産まれたときに、私の母と祖母が大分の日田でひとりひとりのお顔を見ながら選んでくれたお雛様です。(ちなみにプロフィールに使われているカワセミの写真は2020年に急逝した「せたがや水辺の楽校」の川の神様、中西修一さんが撮ったものです)
お雛様、今年は、あめます舎に飾れるかな?
設計のビオフォルムデザイン室のサイトにも、プロジェクトについて掲載されています。

地震の報道に続いて、羽田空港で事故が起こりました。2024年、なんという幕開け。母を東京に連れてきたので、今年は羽田空港には行かなかったけれど、いつもだったら行っていたのではないのだろうか。いつだって、何だって、他人事ではないと心に刻みます。今日と同じ日はもう二度とこないのだから、もし、私にできることがあるなら、できる限りやらなくちゃな。
(つづく)

友人のご実家の中華おせちと、私が詰めたおせちのコラボレーション。            いろんな人がいろんなものを届けてくれたので、人呼んで「人脈おせち」?・・・
小屋の住人さんとの新年会でお料理が倍に!
1月2日のおせち。やっぱりおせち料理ってすごいな
インフルエンザ潜伏期間かも?とのことで新年会に参加できなかった次女にデリバリー。          おせちってすごい・・。

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