2024-08-24の日記(異性愛者がすぎる)

 ナイーブに自罰的なのはやめた方が良い。そんなやつとは話していて面白くないし、傾向として思慮が浅いので新しい物事に到達しないし、何のためにもならない。これは僕の話です。

 女性というものに憧れを持ちすぎている。これは家父長制の話かもしれない。男性には男性の、女性には女性の責任がある世界観で子供時代を過ごしてきたから、東京もんの掲げる男女平等というやつを根本から理解できていないと思う。これは別に悪いことじゃないが、話をするときにすごく苦労する。え、そんなこともわからないんですか、と言われ、え、それが分からないことも分からないんですか、と思うなどする。
 無批判に異性愛者である。これは異性愛を持たないものや同性愛を持つものを非難するものではなく、考慮に入れないというラインまで下がる。だから、みんなが女性に対してしらっとしているのが、僕には本当のことなのか分からない。今では下衆な描写として扱われる、そんな場面ではないのに女性の顔や身体を評価する男(最近で思いつくのはチェンソーマンの以下の場面)は多分僕の感覚に近い。

「チェンソーマン」第一部55話の殺人後
「メイド葬る」の葬式シーン

 これは育った環境によって大きく作用が変わると思う。本能だから深掘りしなくていいとは思わない。
 人間の性質で何を重視するかは人の自由だ。これは僕の自由だ。だから抗いたい。女性だからと好感度を無批判に上げるのは、僕の他の要素と一貫性がない。一貫性がないと、判断基準にブレが出る。判断基準にブレが出ると、フィードバックができない。フィードバックができないと、反省ができない。反省ができないと、面白くなくなる。

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