読解力低下の世界では、きっと、失礼な文章を書くことが歓迎されるのだろう

文字だけの本を読める人が嘆く。
最近の人は読解力が低下している、と。

そう聞いて物書きを目指す私は考える。
読解力のいる文章を書くべきか、はたまた、読解力のいらない文章を書くべきか。
親切なのは後者だ。それに、自分が書いたものを誤解されて書評など書かれてはたまったものではない、と思ったりする。

というわけで、読解力がいらないように文章を書いてみる。
ご親切に、登場人物がその時どう思ったか、を補足してあげる訳だ。
これまでの純文学なら描写で想像させるところを、怒ったのか悲しかったのか書いてあげる。
これでもう読解に苦しむことはあるまい、と自分の親切心を誉めてあげたくなったりする。
もはや、小説も説明文の一種となる。

読者の力量を勝手に低く見積もって、それに合わせて書く。
ずいぶんと失礼なことだと思ったりするが、分かりやすいと大勢から評価され、それ故に、出版社から「うむ、これは本にしたら、売れるな。」となるのなら、そうせざるを得ないのだろう。